オリンピックが見られなくなった
どうも。コトミです。
私は幼い頃からスポーツ観戦が好きでした。
地元である愛知県出身ということもあって、中日ドラゴンズのファンクラブに入り、月1でドームに試合を見に行くほど好きです。
好きなのは野球だけでなく、スポーツ全般の観戦も含まれます。
特にオリンピックシーズンになると、一日中テレビの前でだらだら過ごしています。日本人選手が登場するタイミングとなると、一気に身体に熱がこもり、当事者でない私が心臓バクバク言わすほど緊張してしまいます。
2020に開催された夏のオリンピック
多くの日本人選手がメダルを獲得し、その魂震わす熱い姿に涙を流すほどでした。
しかし、現在開催されている2022北京オリンピック
急に観戦する事が辛く感じ、見る事ができなくなりました。
開催直後は、楽しく見ていたのですが
だんだん辛くなってしまい、今では試合結果やメダルの獲得数もできれば知りたくない・・・と思うまでになりました。
その理由としては
・国をあげての対立構造をみていて辛い、という点と
・オリンピック出場に対する敬意があまりにも感じられない、という点です。
一点目の「国をあげての対立構造」について
今までは、国を代表していた選手同士の個人戦というイメージが強く「この選手ってすごい!」と純真無垢な感想を述べるくらい純粋に楽しめていました。しかし近年、『団体戦』が新種目として登場しまいした。
もちろん競技自体、とても魅力的に感じます。
しかし『団体戦』として戦わせる必要はあるのだろうか?と考えてしまいます。オリンピックは世界中で楽しまれ、熱くなるスポーツの祭典です。
国家としての『団体』の縛りをつくると
拝聴者の国民へのエンタメ性をはらんだコンテンツの一つとなって、本来求められているオリンピックの形ではなくなってしまうのではないかという不安が生まれた。
「平和の象徴」として一つのことを共有し、確かめ合うオリンピック。
しかしさらに外交問題や世界の諸問題が絡み、深刻化しているのでは・・・
二点目の「選手への敬意が感じられない」という点だ。
私がオリンピックを見る、となると当然のようにテレビの特設番組を介している。やはり日本人選手のことを強調して応援するような煽りVTRや演出が当たり前になっている。
ふと気づいた時に、それらに耐えられなくなった。
私自身、スポーツは何もやっていなく素人であることは十分承知ある。
しかしテレビの演出上、メダルを獲得した選手しか取り扱われなかったり、有力選手を過剰に取り上げたりするメディアに飽き飽きした。
オリンピックという場に出場するのに、想像を絶する努力と時間、全てをかけて挑んでいる選手を結果だけで切り捨てていくような番組演出など意味がないし、残酷なものだと感じる。
全てのアスリートが一番で、金メダルをもらうはずだ。
でもなぜ順番をつけたがり、競争したがるのだろうと疑問とも言えるし不安とも言えるようなドロドロした感情が湧き上がってくる。
これからもいろんな選手が、日本・世界を盛り上げてくれるだろう。
私は表向きのキラキラした世界の上澄みだけ美味しくいただくような、下品な観戦はしたくない。
コトミ
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