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トウモロコシ畑の子供たちとゴトウさん

実家で親が「ほら、〇〇さんがね」と近所の人の話をしてきても、その〇〇さんが自分にはまったくわからないという経験はないだろうか。親は一生懸命「上のお姉ちゃんは確かいずみとスイミングで一緒だったはずよ」とか「弟は3つ下だったでしょ」とか情報を追加してくれるのだが、それでもさっぱり思い出せない。自分と同世代ならなんとかなることもあるが、親世代ともなると「故郷を離れて幾星霜」の私にはさすがに無理だ。そんなこんなで親と話すと〇〇さんのすり合わせだけで小一時間かかることも珍しくはない。

ところがずっと記憶にある人もいるにはいる。さすがに隣や向かいの家は飼ってる犬の顔まで全部わかるし、幼なじみの親もOK。母が特別に仲良く一緒に旅行に行くような人も話題に上る回数が違うので否応なく覚える。

そしてゴトウさんだ。ゴトウさんは隣でも向かいでもない。母親と親友というわけでもない。それどころか我が家とはどういう関係なのかいまだにわからない謎の存在だ。なのに昔からちょくちょく名前が上がるため、忘れようとしても忘れられない人なのである。

ともかく家に野菜や果物、魚などの「明らかに誰かからもらった箱」みたいなのがあったら、それはゴトウさんがくれたもので大体間違いない。晩ごはんのとき両親が「これ(食材)はどうした」「もらったの」という会話をしたときも間違いない、それはゴトウさんの仕業だ。帰宅して玄関に魚の入ったバケツや、キャベツの入った箱を見て「ひょっとして、さっきすれ違ったのがゴトウさん!?」と思ったのは2度や3度ではない。ほんの子供の頃からずうっとそうだった。

スープ

コロナ前、帰省していた私はふと母に「そういえばゴトウさんって、そもそもどういう知り合いなの」と思い切って尋ねてみた。結論から言うと我が家との関係は結局よくわからないままだったのだが、ともかく今の家に越してきた時から何かとお世話になった方のようだ。

「特に畑ね」と母がいう。

畑! 畑か、懐かしいなあ。そう我が家にはかつて「畑」があった。いや、あれを畑と呼んでしまってはちゃんとした畑に申し訳ないほどにショボいものだったけど、庭付き一戸建てに越してきた人がまず夢見るように、うちも庭木に花壇、さらに食べられる野菜を作ることに夢中になった日々があったのだ。房総らしく食べ終わったサザエやアワビの貝殻で縁取りし、門扉に近いところにはハナミズキを植え、玄関にはソテツとコスモスを植え、リビングの窓の先には古代種だというアサガオがあった。そしてさらに奥へ進むとそこが畑だ。

後から母に聞くと、季節ごとにいろいろな野菜を植えていたというが、その記憶はまったくない。私にとってあの場所は「トウモロコシ畑」だった。子供の背より高いトウモロコシがすっすっと立ち並ぶ様子はなんだかとてもワクワクした。私たち兄弟3人はトウモロコシにわけもなく興奮し、トウモロコシの周りで鬼ごっこをし、かくれんぼをし、ひたすらぐるぐる走り回ったりした。房総の記憶は「夏」と結びついているものが多いのだが、トウモロコシ畑もその理由のひとつだろう。トウモロコシ越しに見上げた照りつける8月の太陽を思うと、慣れ親しんだ房総の潮風が鼻をよぎるような気分に今でもなる。

だけきみ

そんなトウモロコシ畑の思い出を母に語っていたら、ふと不思議なことに気づいた。

「ねえ、畑の思い出はいっぱいあるのに採れたトウモロコシを食べたって記憶がないんだけどなんでだろう」

思えば変な話だ。鮮度が命の代表みたいなトウモロコシを植えたのなら、お楽しみはひとつだろう。「まずお湯を沸かしてから畑に取りに行く」という定番のアレだ。アレこそがトウモロコシ栽培の醍醐味だ。やらない訳が無い。とれっとれのトウモロコシを完膚なきまでに食べ尽くさない理由がない。ははあん、ひょっとすると父親が食べちゃったのかな。食い意地がパンパンに張って、ひどく子供じみた性格の男だもの。我が子といえど分け合いたくない、この美味は俺だけのものだ!とひとりじめしちゃったかな。

そう邪推する私に母が告げたのは、意外なものだった。

「ゴトウさんがね、トウモロコシをやめろって言ったのよ」

「もともと畑づくりにはたくさんアドバイスいただいてたから、何かできるたびに見てもらってたのね。それまでもいい評価はもらえなかったんだけど、トウモロコシがほんとにひどくてね。でゴトウさんに見せたら『あんたはもうトウモロコシ作るのやめなさい。トウモロコシが欲しかったらうちが作ったのあげるから、もうトウモロコシは諦めなさい』って言われてね」

「だからトウモロコシは1年しか作ってないのよ」

記憶ってやつは実に都合よく修正されるものだ。私の小学生の夏はほとんどトウモロコシ畑とともにあるつもりだったのに、それがたった1年で終了していたとは。

ゴトウさんはDASH村でいうならアキオさんのような存在だったのだろう。その年、母の作ったトウモロコシはほとんど粒がつかず、歯抜けも歯抜けのすごい代物だったらしい。その後ほどなくして畑を潰してしまったのは、母が忙しくなったからだけではないだろう。ゴトウさんに悲しい顔をさせるのが申し訳なかったからかもしれない。

トウモロコシチャーハン

【トウモロコシの茹で方】

最近は面倒でつい電子レンジを使ってしまう私であるが、本来はゆでたものが1番好きだ。人生で最高のゆでトウモロコシは、愛知県大府市にある「JAあぐりタウンげんきの郷」で食べたものだ。今はコロナでやってないかもしれないが、かつては今すぐそこで収穫したばかりのトウモロコシを大釜でゆで、ゆで上がったらすぐ販売するという夢のようなことをやっていた。売れ行きが良すぎてトウモロコシが足りなくなると、その辺にいたおじいちゃんがさっと自分の畑へもぎに行ってすぐ戻ってきてゆでるのだ。最高でしょ。

そのゆでトウモロコシは、しっかりしょっぱい味がついていて、それがトウモロコシの甘さを引き立て、これまた最高オブ最高だった。私がお湯にしっかり塩味をつけてゆでるようになったのは、あのトウモロコシを経験してからだ。

味の目安は海水くらい。おっと、山の子だから海水の濃度なんてわからないぜという貴兄は「パスタをゆでる時と同じくらい」と覚えておくといい。トウモロコシがしっかりつかるくらいの多めのお湯で、できれば落としぶたをしながらしっかり時間をかけてゆでること。パスタと違って、アルデンテである必要はないのであまり時間は気にしなくていい。

皮を数枚つけたままゆで、こんなふうに三つ編みにするとうんとかわいいので、全人類はこれを真似してもいいよ。

トウモロコシ結び


めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。