薄っぺらぺらで味気ないと嫌っていたものが、実は清々しい軽やかだと気づいた話
うちの中学にはHくんという伝説のモテ男子がいて、誕生日にはプレゼントを渡したい後輩が列をなしていたとか、バレンタインの時はチョコがカバンに入りきらなくて先生に紙袋をもらって持ち帰ったとか、卒業式ともなれば制服のボタンが一瞬で袖まで無くなっていたとか、数々の武勇伝が聞きたくもないのに聞こえてきた。
なんで聞きたくもないかというと、私にはその魅力がまったくわからなかったからだ。野球部でエースで4番のすごさがわからなかったのはこちらの落ち度だが、成績も普通だし、面白い話をするわけでもない。何ならいつもボーッとして覇気がないように見える。何がいいんだ。
高校へ進んでも、彼がモテる理由はさっぱりわからなかった。違う中学から来た友人に「Hくんの中学時代の話聞かせて〜」と色気づいた声で聞かれても「え。全然興味ないし、知らないし」と冷たい答えしか返せなかった。
ようやく理由がわかったのは、ごく最近のことだ。数年ぶりに開いた卒業アルバムのHくんを見て私は思わず声が出た。
どちゃくそイケメンじゃないか!
なんで何十年も気づかなかったんだろう。普通に誰が見ても、ど真ん中のイケメンだ。爽やかなイケメンだ。「自分は好みじゃないけどね」と前置きしてもイケメンと言われるであろうイケメンだ。当時の私の目には凡庸で薄っぺらい顔にしか見えなかったのに。私の目はどんだけ曇っていたのか。イケメンを認識できない呪いにでもかかっていたのか。今は数十年ぶりにとけた謎について、同級生の誰かと語り合いたい気持ちでいっぱいなのである。
そんなようなことが、この正月にもうひとつあった。
常日頃、大の日本酒好きをアピールしている私には、実は大っぴらには言えないことがあった。
新潟の酒の良さがわからないことだ。
関東以外の土地にお住まいの方には実感が薄いかもしれないが、東京において日本酒といえば「北の酒」といっても過言ではない。居酒屋に行ってちょっと酒好きの上司が「お、〇〇があるぞ」とニヤニヤしていう時、そこには秋田や青森、宮城など東北の銘柄が入るのがデフォだ。豊盃とか十四代とか新政とかそういうやつ。カレーで言ったら魯珈とかカルパシみたいなやつ。
で、もう少し年配だったり、酒好きといっても銘柄にそうこだわってるわけじゃない上司の場合は、新潟の酒が出てくると喜んだりする。八海山とか越乃寒梅とか久保田とかそういうやつ。カレーでいうとボンディとかナイルレストランとかデリーみたいなやつ。
その違いは何かというと年代によるところが大きい。越乃寒梅が一世を風靡したのは、十四代よりはるかに前なので、年配の人でもマニアじゃなくても「なんかいい酒」としてご存知だったりする。年配の人、そう私が若かった頃の上司はその世代だろう。つまり私にとって新潟の酒というのは「おっさんが若い娘にマウントかましながら無理強いする酒」ものとして最初に記憶されたものだった。
説教されながら飲む酒がうまいわけない。おまけにトップオブ説教おじさんこと当時の上司は、食べ物うんちく話を語ることも多かったのだが、それがことごとく「とっくに知ってる、なぜなら小学校の時に本で読んだから」レベルの薄っぺらさ。私の中で「新潟の酒×薄っぺらい上司の話=薄っぺらく味気ない酒」の定義が出来上がってしまったのも無理はない。
酒が嫌いになったおかげで、新潟の食べ物にも懐疑的になった。北陸の味は大好きなのに、新潟となるとなぜか薄っぺらく感じてしまう。栃尾揚げは普通、タレカツは甘いだけ。角上魚類や吉池の品揃えも「新潟っぽさ」を感じて心が拒否する始末。カニだって金沢や福井の方がいいと心から信じてた。
そこで今回の新潟旅行だ。
心のどこかに「しょせん新潟の酒」という侮りがあったのだろうか。オットから「夜の店決めた?調べた?」と聞かれても、なぜか気が乗らない。体が動かない。「うー」とか生返事のまま月日は流れ、結局予約も何もしないまま現地へと向かった。
朝の9時には新潟に着き、ホテルの近くだからという理由で適当な回転寿司へ行き、適当な気持ちで、適当な皿を取った。何も期待していなかった。寿司がイマイチだったらファストフードでいい、どこかで口直ししようなんてコソコソ話し合ってすらいた。
ところがだ。
最初の寿司ひとつを食べて以降、記憶がない()
うまい!
うまい!うまい!
ビールじゃだめだ、酒もってこい
酒うまい!
酒うまい!
魚と酒が合う!
魚と酒が合う!
魚と酒と米が合うーーー
えと、なんだろこれ。まずね、魚がうまい。すごくうまい。そして米がうまい。寿司飯の味つけもうまい。新潟の魚に新潟の米、新潟の酒の三位一体。高貴な軽やかさ。全体のバランスがとてもうまい。
通常ひとつの皿に対して3カットは撮る私が、この1枚以外は写真を撮ることを忘れ、ひたすら寿司に溺れていた。気がつけばオットも私も通常の5割マシの量を平らげていた。うまい。ひたすらうまい。
全然薄っぺらくないじゃないか
新潟の味は「薄っぺらい」ではなく「軽やか」だったことに気づいた私たちはあわててホテルへ戻り、夜の計画を真剣に練り始めた。これは生半可な気持ちではいけないよ。目からウロコが落ちたよ。夜ごはんの店を真剣に探そう。そうだフォロワーさんからも色々教えてもらってるし…
だが時すでに遅し。
いいなと思った店は全部満席だったのでした。
全部満席だったけど、全部の店が「満席です」と冷たくガチャぎりするのではなく「22時半からでしたら」とか「19時20分から20時20分という短い時間では難しいでしょうか」とか、何とかできないかと調べてくれるのが嬉しかった。人柄もいい土地なのだな。これも全然薄っぺらくないな。
結局「今すぐから1時間半だったら」ってことで何とか入れた店もよかった。豪快な見た目に反してちゃんと美味しくて、酒も安くて、接客も良かった。2日夜の店も観光客向けかと思いきや、ちゃんと美味しくて、酒も安くて、接客もよかった。31日にうっかりボッタクリの店に入ってしまった以外は、すべての店が美味しかったです新潟。
あとお土産で買った餅や味噌や調味料とかも全部美味しかった。渋谷味噌を推してくれた方が「栃尾揚げに塗る」と言ってたので、家でやってみましたよ。何だこれは。こんなにうまいのか。今まで「栃尾揚げなんて普通」と思ってた自分を恥じたい。きっと現地で食べたらもっと美味しいんだろうなあ。
テロワールとか身土不二とかいう言葉があるけれど、やはりその土地のものは、その土地の空気と水、その土地の調味料でいただくのが1番なのだと思う。以前からそれが持論なのだが、今回もそれを痛感した。
さて、次はどこへ行こう。