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16円の女

自分が生きてるうちにはどうにかなるんだろうと思っていたけど、こんなに早くキャッシュレスの時代がくるとは思っていなかった。コンビニの店長である友人の体感では今「現金で支払う人は4割」だそうだ。コンビニは支払いが高額ではないとか、急いでいる人が多いとか、ランニング途中でやってくるとか、朝起き抜けのパジャマ姿であるとか、普通のお店とはちょっと事情が違うのだろうが、そんなにも多くの人がキャッシュレスなことに少し驚く。だがそんな私もとっくにキャッシュレスである。ペイとカードとPASMOで人生を送っている。

名古屋にいた頃は、めちゃくちゃな現金主義だった。ひとつには「そういう時代だったから」もある。またひとつには「飲食業界はやっぱ現金」というのもある。またひとつに「名古屋は現金主義」というのもあった。ともかく自分のため、相手のため、世の中のために、私はせっせと現金を差し出し、現金をいただいていた。数年前にはTwitterで「カードが使えない店はダメー!海外ではありえないー!日本は遅れてるー!」と吠える人に「現金じゃないと困る人もいるんですよ」とリプしてブロックされたこともあった。後悔はしていない。

今は支払いは引き落としだし、送金もほぼネットバンキングだし、日常の買い物もほぼペイかカードかPASMOで済ませられるため「ATMに行ってお金をおろす」作業が本当に減った。うむ、おそらく月に一度くらいではないか。週末にオットと出かける前に「もしかすると現金しか使えないパン屋の前を通りかかるかもしれない」と、用心のためにお金をおろす程度だ。しかも大抵の場合それは杞憂に終わるのだ。

そういえば若い頃も、個人的にキャッシュレスであった。私の財布には、とにかくお金が長逗留してくれないのだ。なんでとどまろうという気概に欠けていたのか。どうしてお金が長居してくれないのか。理由はうんざりするほどわかっていた。それは

あればあるだけ使っちゃう

という自分の性格だ。また

計算が甘い

というステータス異常もある。計画性も何もなく、あるだけ使っちゃう。そして「これくらい使っても大丈夫、月末まで乗り切れる」と自信満々で計算するが、そもそもの数字からして間違っている。その結果がこのざまよ。私は毎月のように給料日がくると金額をあまり考慮しない飲み食いや買い物をし、すぐお金が底をつき、爪に火をともすような日々をやり過ごしていた。ぼんやりした性格のせいか、それでもなぜか絶望することはなかったのが幸いといえば幸いだった。

なめろうたち

若い時分のある日、友達が泊まりに来ることになった。

月半ばくらいだったろうか。まだお金はあったので私は友人のためのご馳走を作るべく、スーパーをはしごし、酒を買い、甘いもんを買い、家を整えて待っていた。夜になると「今から家を出る」と電話があった。じゃああと30分くらいだね、そういえば勝手に料理を作ってしまったけど、リクエストを聞いてなかったよ。何か食べたいものある? 今なら間に合うよ。

すると彼女の答えは意外なものだった。

玉ねぎ! 玉ねぎだけを炒めたやつ! 

理由はこうだ。実は寮の食事がひどい。若者には肉さえ出しておけばいいだろうとばかりに唐揚げドーン!肉炒めドーン!ご飯どっかり!以上!みたいな食事ばかりだ。朝も夜も肉、ご飯、具のない味噌汁だけ。肉はたっぷりあるが、野菜はレタス一枚とネギのかけらだけ。そんな日々が続いている。私は野菜が食べたい。贅沢は言わない。玉ねぎだけでいい。玉ねぎをサラダ油で適当に炒めて、醤油をぶっかける。そんな粗末なものが食べたいんだ。そんなシンプルな野菜に飢えているんだ。お願い、玉ねぎ買ってきて。

もちろん私になんの異論があろうか。スーパーはすぐそこ。時間は全然ある。よしまかせろ。玉ねぎ炒めを死ぬほど食わせてやろうぞ。私は電話をきり、意気揚々とスーパーへと出かけたのである。

玉ねぎ

店では5個入りの袋を手に取った。そしてレジへ進んだ私は開いた口がふさがらなかった。

16円しかないじゃないか!

財布の中にはなんと、16円しか残っていなかったのである。いや、なんでさっき気づかなかったのだ。さっき買い物した時に財布開けたでしょう。普通その時に「あ、お金ギリギリだから少しおろしておかなくちゃ」と気づくでしょう。気づかなきゃー。大人なんだからー。その時気づいていればすぐ銀行に行けたでしょう。もう銀行しまってるよ。どうするんだよ。

当時の銀行は預金者にうんと厳しかったのだ。街角に単体ATMなどなく、銀行そのものに付随するATMを使うしかない。しかも営業時間はとても短いため、うっかり夜になってしまったらもう諦めるしかない。もちろんコンビニATMなんてものも存在しない。なので今夜16円しか持っていない私は、明朝まで16円の女として過ごすことが決定しているのである。

さあ大変だ。レジであたふたと慌て、謝り、玉ねぎを辞退した私はさて途方に暮れた。玉ねぎ炒め?まかせとけ!なんて安請け合いしちゃったよ、どうしよう。なんて言い訳しよう。あの娘、あんなに玉ねぎ食べたがっていたのに。

諦めきれずもう一度売り場まで行くと、さっきは目に入らなかったものを見つけた。玉ねぎのバラ売り。ひとつ13円。あ、買える。これなら買える。

そうして無事に玉ねぎを手に入れ、その夜はなんとか玉ねぎ炒めを振る舞うことができたのである。その後も私は全然お金のない人生を送ることになるのだが「16円しかない」なんてひどい事態になったのはさすがにこの時だけだ。この1年後くらいに「102円しかない」財布を見せてラッセンの押し売りを撃退したこともあるのだが、それはまた別のおはなし。

玉ねぎ2


めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。