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塩をかける少女

「パルコでバイトをしていた」というと、それは私ら中年世代にとっては「オシャレなとこで働いてた」という自慢の意味である。今ではゆるふわの名を欲しいままににしているこのワガママボディも、当時は細かったのだ。今では何を着てもうすぼんやりとした印象だが、当時は歩くだけで振り返る人もいたのだ。その服どこで買ったんですかと呼び止められたことも何度もある。いわばオシャレ上級国民だったのだ俺は私は!という魂の叫びである。もしお近くの中年がそんな話をしてきたら、嘘でも「ステキ☆」って顔をしていただけると幸甚である。嘘でいい。嘘でいいから。

恥ずかしながら私もパルコでバイトをしていたことがある。しかもオシャレフロアのオシャレブランドに囲まれた、そのビルでもっともオシャレ地価が高い場所だ。パルコ内の鳩居堂前だ。そう、津田沼パルコは当時なぜか、オシャレブランドフロアの真ん中に、ミキハウスがあった。私はそこで3ヶ月ほどオープニングスタッフとしてバイトしていた。時代の先端をいく高感度フロアになぜミキハウスがあったのか。他に場所がなかったのか。期間限定だったのか。理由はわからぬが、エスカレータ降りてすぐ目に飛び込むのが真っ赤な子供Tシャツであるのは、なかなかに異様な雰囲気だった。

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だがまあそんなわけで、あの夏の交友関係はなかなかに華やかだったと言える。オシャレで美人、かわいい、イケメンが揃ってる集団は、どこへ行っても待遇がいい。飲食店ではいい席へ通され、イヤなおっさんにからまれることもなく、入り口で服装チェックがあるクラブもするするスルー。私も集団の最後尾で虎の威を借りながら、精一杯スカして生きていた。

特に仲良しだったのは、アツコちゃんだ。アツコちゃんと私はよっぽどのことがない限りいつも一緒にランチに出かけ、そしていつもアツシくんのことを話していた。アツシくんは同じフロアのメンズブランドで働いている男子で、顔が良くて背が高くて足が長くて髪型がバッチリ決まっていて、まあ、つまり、うちのフロアのアイドルのような存在だ。ほとんどのショップの女子が、アツシくんが店の前を通るだけでキャアキャア騒いでしまう。アツコちゃんはアツシくんのことが好きで、何とかお近づきになりたいものだと、毎日のように「アツコのラブラブ☆大作戦」の計画を練っていたものだ。

特に熱心だったのは「さも偶然のようにランチで相席になる計画」だ。相席に持ち込みさえすれば同じフロアにいる同士だもの、何かしら会話の糸口はある。最近あの靴屋のBGMがうるさいですよねとか、明日の消防訓練の話聞きました?とかでいい。もちろん服が好きという共通点もハッキリしているので、服の話でもいい。そこは問題ない。

アツシくんが何曜日が休みとか、ランチのシフトの順番とかもバッチリ調べ上げてある。そこも問題ない。

問題は、アツシくんがどこでランチをとっているのか、一向にわからないことだ。

ひとつには、アツシくんが休憩タイムと同時にダッシュして消えてしまうからだ。基本的に「お、12時だ!じゃ休憩いってきm」と最後まで言い終わらないうちにもう姿が見えないくらいの勢いで消えてしまう。あれに追いつこうと思ったら女子は短距離走の選手なみに走らねばならないだろう。いや走ってもいいが、それだと「さも偶然のように」というクールな展開には持ち込めない。

そしてもうひとつは、パルコの周辺の店はかなり調査したのに、どこにも彼の姿が見つけられないことだ。今日はカッコいいバー、明日はパルコのレストラン街、明後日は男子が好きそうな中華と、周囲の飲食店をスタンプラリーのように巡っているのに、一度もアツシくんと会えない。いったい彼はどこで食べているのか、本当に謎だった。

答えがわかったのは、私のバイト最後の日のことだった。

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その日は「最後だから」という理由で、今まで入ったことのない店に挑戦してみることになった。なぜ今まで敬遠してたかというと、おそらく趣味が合わないかなと決めつけていたからだ。昔のペンションのような店の外観も、窓から見えるローランサンの絵も、表のメニューでわかる花柄の皿も、およそ私の好むものではなかった。でもうちの店長が「あそこ、すっごい美味しいよ」というので、バイト最終日にして初めて入ってみることにしたのだ。

すると、そこにアツシくんがいた。

ここか!こんなとこにいたのか!
「どうしよう〜」と小声で叫ぶアツコちゃんの声は完全に裏返ってる。私たちはアツシくんの一挙手一投足が完全に把握でき、かつアツシくんからは見えない位置に陣取った。アツシくんが注文したハンバーグをこちらも注文し、ワクワクしながら待った。「明日もここに来るぅ...」とアツコちゃんが小さく言った。

ハンバーグはとてもおいしかった。さすが店長、もっと早く教わっておきたかったよ。スープもサラダも美味しいね、ね?アツコちゃん? あれ?ねえ?アツコちゃん?どうしたの...?

アツコちゃんはアツシくんを凝視していた。

「ねえアツシくん、ライスに塩かけてるんだけど」

確かにアツシくんは、サラサラと塩の瓶をライスの上に何往復もさせていた。アツコちゃんは絞り出すような声で小さく言った。

「おじいちゃんじゃないんだからさ」

うん、確かにその当時からしても、ライスに塩をかけるのは「久しぶりに見た光景」だったと言っていい。私自身そういう所作があるのは知っていても、やったことはない。同年代の友達がやってるのを見たこともない。どちらかというと年配、お年寄りの人がたまにやっているというイメージだ。

「昔の人じゃないんだからさ」

泣きそうな声でアツコちゃんは言った。女子に凝視されているとも知らず、アツシくんはガツガツとすごい勢いで塩かけライスとハンバーグを平らげ、ダッシュで店を出ていった。

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昨日、私はオットに連れられ新宿の「はやしや」というレストランにいた。ここは新宿をうろうろしている人なら一度は見たことがあるスーパー「三平ストア」が経営している洋食屋で、オットのお気に入りである。私もこのビルに三平ストアがあることは10代の頃から何となく知ってはいたが、洋食屋には入ったことがなかった。

注文したハンバーグとコロッケのセットをひとくち食べ、私はとても驚いた。なんだこの味は!これは昭和のデパートの大食堂の味じゃないか。子供の頃オシャレして親に連れられた三越の、高島屋の、ニューナラヤの、上層階にあったご馳走の味じゃないか。

いや、もっと幼い頃の「ファミリーレストラン」かもしれない。ファミレスがまだほんの数軒しかなかった時代の、あの、日本のファミレスのさきがけ「すかいらーく」の、ファミレスがまだご馳走だった時代の、あのハンバーグの味は、こんなものではなかったか。

三平ライス

大感動だ。ここはまた来よう。次は三平ライス(トンカツの卵とじがケチャップライスの上に乗っかっている最高にバカでステキな食べ物)にしようか、それとも昭和プレート(全部乗っけマシマシプレート)にしようか。ああ、それにしてもこのハンバーグの素晴らしさよ。このナツメグのきいた「昭和のごちそうハンバーグ」の得難い魅力よ。

私はあの日のアツシくんのようにガツガツと食べていた。

すると、目の前に塩があらわれた。

塩

この瓶は知っている。昭和の塩といえばこの瓶だ。うちにもあった。私は何かに突き動かされたようにふらふらと塩の瓶に手を伸ばし、躊躇することなくライスの上にパラパラと塩を振った。

ああ、これが塩かけライスの味か。

昭和24年創業の古いレストラン、レトロな食品サンプル、透明ビニールのテーブルクロス、ほんのりカレー味のコロッケ、隣席の着物のおばさまたち、決して高級ではないけどちゃんとした店のたたずまいのすべてが込み込みで、この塩かけライスをとても美味しいものにしている。これは塩をかけることで完結する定食なのかもしれない。みなさんも昭和風味のレストランへ行ったなら、ぜひ塩をかけてみて欲しい。昭和ライスを堪能して欲しい。


アツコちゃんは「アツシ塩かけ事件」がよほどこたえたようで、そのあとすぐに「アツコのラブラブ☆大作戦」の中止が発表された。アツシくんもまさか塩で嫌われるとは思ってもいなかっただろう。

昭和プレート




めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。