見出し画像

忘れちまつた悲しみに

重なる時は重なるもので、月曜日、私のTwitterは

「ああ〜アレを忘れてしまったあ!」
「電車の中に!」
「さっきのドトールに!」
「スーパーのサッカー台に!」
「置いてきてしまったあ!」

という悲痛な叫びがいくつもつらつらと流れていた。

それが大したことないモノなら何も嘆かないのだ。知らない街の道端で受け取った、一生行くことがない店のチラシなら泣かない。ペットボトルについていた何に使うかさっぱりわからない便利グッズなら悲しくはない。わざわざその店まで出向き、他人にはわからぬこだわりの僅差を悩み、逡巡の末ようやく我が物にしたその逸品を、あろうことか自分のうっかりでどこかへ置いてきてしまった。誰が悪いのでもない、悪いのはオノレだけだ。ああその喪失感たるや! わかる。私にはわかる。小学校の担任から「忘れ物の王様」と呼ばれた私にはわかる。私はあらゆるものを家に忘れ、またあらゆるものを学校に置いてきた。私の人生は忘れ物の歴史でもある。

その忘れ物の歴史の中でダントツ1位なのは「あの焼津の日」だ。

思えばあの日は最初から何もかもうまくいかなかった。小田急は遅れるし、新幹線ですら遅延するし、静岡に着いたら土砂降りだった。あまりに寒いので「駅ビルにユニクロくらいあるだろう。ヒートテック買おう」と思ったのだが先を急いでいたので「焼津にも駅ビルにユニクロくらいあるだろう。そこでヒートテック買おう」と焼津へ向かってしまった。なんと焼津には駅ビルもユニクロもなかった。

さらにせっかく焼津くんだりまで来たのだからと向かったパン屋は臨時休業だった。濡れそぼり、ガチガチ震えながら向かったオフ会の会場は思ったより遠くて寒かった。オフ会の主催者はテレビにバンバン出ているちょっとした有名人で、気さくと乱暴をはき違え、初対面なのに最初から失礼ジョークを飛ばしまくっていた。ひどいこと言われて、きゃあきゃあと喜ぶふりをする女性もいるので勘違いしてしまったのだろう。いろんな人に「はじめまして」の代わりに暴言を投げつけてくる。私には「そんな顔してるとブスが余計ブスになるぞ!」と怒鳴ってきた。体感温度も寒けりゃジョークも寒いと思ったが、寒いから黙ってた。

オフ会自体は楽しかった。気になるジャンルの知らない知識を教えてもらえる催しなんて楽しいに決まってる。近くの席の人たちと大いに語り合い、飲み食いし、非常に楽しい時を過ごしたのである。

ただその部屋の作りがちょっと変わっていた。


画像2

50人くらいの宴会ともなれば普通はもう少し違うレイアウトにすると思うのだが、とにかくそこは細長い部屋に細長〜〜いテーブルがひとつだけ。そこへ25人ずつ向かい合って座れという。腰を下ろした背後の隙間もあまりなく、一度座るとトイレに立つのも難儀である。おまけに店員さんは入り口付近にしか現れず、料理も酒もそこから順番に流れてくる。おかげで30分もすると参加者の間に「いっぱい食べて飲める上流に座る人」と「自分の前に皿がきた時にはもう空っぽ。酒の注文もできない下流に座る人」との大きな溝ができ始めた。

真ん中あたりに座っていた私ですら不満を感じる流れだ。もっと後方の人は同じ会費を払っているのにたまらんだろう。そこで私は料理の皿に気づいたら入り口まで出張っていって、一皿を取り上げ奥の方へ直接渡す作業をし始めた。ついでに奥の人からお酒の注文を聞いて店員さんに直接頼むことも始めた。私より後ろには20人くらいはいたから注文の量も結構なもんになる。なので店員さんの姿が見えたらとりあえず「すみませーん」と呼び止めて注文する、この作業を何回も繰り返した。それを苦々しく見ている男がいるとは思いもせずに。

さて宴たけなわではあるが、そろそろお開きである。昼飲みということもあり会費は安く、男性が5千円、女性が3千円。うかつにも万札しか持ってなかった私は(ヒートテックで崩すはずだったから!)お釣りをもらおうと、テレビにバンバン出ている主催者の元へ進んだ。すると思いがけない言葉をかけられたのである。

「お前はダメだ。2万円よこせ」

何を言ってるのだこのテレビにバンバンは。ジョーク?またしても笑えないやつ?もうこの流れいらないーつまらないー。はいはい、笑ってあげればいいんでしょ「あははは」ほらどうだ。はい次行こう。

しかしテレバンはお釣りをよこさない。それどころか私の手から財布を奪おうとすらしてくる。や、やめろ。なんだ、なんなんだ。

「お前はガンガン酒飲みやがって。俺はちゃんと見てたからな。何十回も酒注文してただろ。料理も勝手に自分のとこに持ってったよな。そんな大酒飲みの大食らいが他の人と同じ会費でいいわけないだろ!」

人は本当に驚いた時には、言葉が出てこない。
そして人の話を聞こうとしないやつは何ひとつ聞いてはくれないのだ。

もちろん私は説明した。後ろの人たちが、皿が空っぽで、みんな食べてなくて、店員さんも気づいてくれなくて、私が代わりに、みんなの注文をとってエトセトラエトセトラ。

だが何を言おうとしても全部さえぎられ、全部否定され、万札はしまわれ、援護してくれるはずの人たちはとっくに会場を出ていて、私とテレバンだけが残され、一方的になじられ怒鳴られ終わった。もちろんお釣りはもらえなかった。1万円で済んだだけよかったと思うしかなかった。

つらすぎる。食べ物になぐさめてもらおう。

さあ静岡駅で私はハジけまくった。伊勢丹、松坂屋、パルシェにアスティ。静岡でしか買えないものを買い、静岡でなくても買えるものも買い、常温のものを買い、冷蔵のものを買い、保冷剤代わりの冷凍ものも買い、最後に熱々の静岡おでんまで買った。家に着くのは8時くらいの予定だったから、オットに「今夜は”しぞーかおでん”だよ。お腹すかして待ってな!」とメッセージを送った。大きな紙袋2つ分のヘヴィなお土産をたずさえ、私は再び車上の人になった。

なった...つもりだった。

ない。

ふと気づくと紙袋がない。

なんと忘れてきちゃったのである!仙骨のあたりがさーっと冷たくなる。うん、どこにもない。いつだ、いつまで持っていた。ホームではあった。ホームのベンチに座った時もあった。そうだ、お茶を買って、その後割とすぐに電車がやってきて、それで、たぶん、ベンチに紙袋を置いたまま電車に乗っちゃったんだ。

あんなにたっぷりの食べ物を。置いたまま。

人生で最大の喪失感を味わった忘れ物だった。運の悪いことにここでスマホのバッテリまで喪失してしまい、オットに「しぞーかおでん、置いてきた」と教えることもできなかった。帰宅するとオットのお腹も最大級の喪失感でいっぱいで、なんだかもうやるせない1日を終えたのである。


水無月

【水無月みたいなもの】

今日、6月30日は「夏越の祓」と呼ばれ、半年分の穢れを払う神事が行われる日である。一般的には「水無月」というういろう菓子を食べる日として知られている。どちらかというと西の風習ではあるが、最近では東京の店でも売られていることが多いので「特筆すべきイベントのない6月」の貴重なイベント食として、今後はおそらく恵方巻き並みに普及していくものと思われる。

今日はレシピではないのだが、ポテサラとフェジョアーダを悪魔合体させたら、水無月になってしまったので画像だけお裾分け。ういろう嫌いな人もこれなら食べられるかも。オットもこれなら大丈夫。

めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。