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食マイノリティのみなさんへ

おおっぴらに言えないけど嫌い、という食べ物がある。なぜおおっぴらに言えないかというと、その食べ物を好きな人が多いからである。そいつらに「あんなに美味しいものを嫌いだなんて信じられない。人生の半分損してるよ」と言われるのがめんどくさいからでもある。残念ながら人は「〇〇が嫌いなのは本当に美味しい〇〇に出会ってないからだよ」と決めつけがちだ。「どこそこの〇〇を食べたら変わるよ」とアドバイスもしがちだ。こちらが長年かけて東奔西走し、目についたものは片っ端から試し、その都度「やっぱりダメだった」と泣いていると言っても聞いちゃくれない。仕方ない、人間なんてそんなものだもの。

おおっぴらに言えないけど私は嫌い。その代表が、今をときめくフルーツサンドだ。

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フルーツサンド、その意味はまったくわからない。ケーキにすればいいじゃないか。なんでパンではさむ必要がある。なんでたっぷりクリームしぼって食べづらくする。なんでキウイやみかんを丸ごと2個も使って、ひとくちじゃかじれない厚さにする。果汁とクリームを落として台無しにしたあの夏のワンピースの無念を思うと、今でも泣けてくる。

本当に何がいいのかまったくわからないが、みんな大好きだ。なのでその謎を探るべく、私は若い頃からせっせとフルーツサンドを買ってきた。食べ物を好きになるには「慣れ」が必要なこともあるし、そのうち運命のフルーツサンドに出会う可能性もある。それを信じて銀座のフルーツパーラー、下北沢の有名店、はたまた通りすがりのデパ地下で買っては食べてきた。今でもめちゃくちゃ買う。おやおや、これじゃまるで無類のフルーツサンド好きみたいじゃん、てくらい買う。経験値が高まりすぎて、フルーツサンドの美味しい店は私に聞いてくれ、と言っても過言でないくらい買う。だがまだその意味はわからない。

タイ料理と韓国料理も実は好きではない。食べればそれなりに美味しく咀嚼できるし、そこそこいろんな店で、そこそこいろんなメニューを食べてきた実績もある。でも「何か食べよう」という時の選択肢には絶対上らない。「う〜んランチ何食べよう〜中華もいいし〜オムライス...いやカレー?それとも...」とあらゆるジャンルから正解を導き出そうとする脳内会議に、タイと韓国が出席していた試しがない。積極的に嫌いというより、存在を忘れているといった感覚だろうか。経験値はあるのに。

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そうそう、生しらすも嫌いだ。2007年に東京へ戻ってきた当初、久しぶりに飲む友人たちがみんな嬉々として「お、生しらすあるじゃん」とか「この店に来たら生しらす食べなきゃ」とわれさきに食べているのが不思議でしかたなかった。ねえ、東京の人ってこんなに生しらすが好きだったっけ。私が東京を離れている間に、都民と生しらすの間に何かあったのか。宇宙から生しらす大好き怪光線が降り注いで、東京民の嗜好を変えてしまったのか。流通がよくなったから?それだけでみんな、あんなに目の色変えるかな。怪しい。

しかしこれまた「いつか王子様が」の気持ちで、結構食べている。そのうち運命の生しらすと出会うのだろうか。ちなみに火を通したしらす干し&ちりめんじゃこは、これがないと生きていけないくらい必要不可欠なもので、大好き。生だけ。嫌いなの。

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そして、そして、ちらし寿司! 特に海辺の街の魚自慢の店にありがちな、デカくて分厚い刺身がガンガンモリモリ乗せられた系ちらし寿司ときたら!もう!ほんとにダメだ。ほんとに意味がわからない。だいたいが刺身がデカすぎて、食いちぎらないと食べられないだろう。汚い。寿司飯とのバランスも何もあったもんじゃない。なのに「中年女性はちらし寿司が好き」というのが世の中の常識であるため、中年女性である私の前には良かれと思ってちらし寿司が置かれる機会がとても多い。本当に困る。

ところがこれ。「ばらちらし」ならば大丈夫なのである。

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理由は、ネタの大きさだ。

これくらいの大きさであれば食いちぎる必要はないし、寿司飯と魚とのまったりとしたマリアージュを思う存分楽しむことができる。「まともな一切れが取れない端っこを使う原価の低いやつ」と軽んじる人もいるが、魚の部位に貴賎はない。あるのは自分にとってうまいかまずいかだけだ。

ちらし寿司はネタの大きさを変えることによって「嫌い」を克服できた。実はフルーツサンドも先日「ひょっとしてこれがターニングポイントとなるかも」ということがあった。お酒のラムをフルーツサンドの上にこぼしてしまったのだが、ラム酒の香りが長年不仲だった私たちの手を取ってくれたのだ。まだ完全に和解ではないが、歩み寄れそうな気がしてくる。そう、克服の種は意外なところにいつもある。そんなことってよくあるような気がする。

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例えば友人のWだ。彼は高校生までものすごい偏食で、お菓子とポカリで生きているような男だったらしい。ところが大学で一人暮らしを始めると、急になんでも食べられるようになった。それは外食ばかりになってようやく、母親の料理が嫌いだったことに気づいたからだという。

これは「作ってもらって生意気な」とか「文句があるなら自分で作りな」とかいう話ではない。気づかなかったことに気づいた話なのだ。それまで食材が嫌いだと思い込んでいたら、料理のやり方に原因があったとわかった話なのだ。エウレカ!エウレカ!

Wのお母さんは、どうやらひとつの料理に食材をたくさん詰め込みすぎる人だったらしい。卵焼きは常に大量の具入りだったらしいし、サラダも煮物も炒め物もごちゃごちゃと具材を合わせ、主役が何かわからない状態。特に嫌いだったという麻婆豆腐はキュウリやモズク(!)が入ってることもあったそうで、味覚のチャレンジャーである私もかなりドキドキする。

彼は東京で「卵だけの卵焼き」や「豆腐とひき肉だけの麻婆豆腐」を食べて初めて、食べ物が美味しいと思えたという。食材が好きになれば逆に、母親の料理に手をつけることも増えたという。原因がわかれば対処は見つかる。意外なところに克服の種はあるものだ。

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ではここで、オットの克服の種を紹介しよう。

彼はずっとドレッシングが嫌いだった。なのでどんなに私が張り切って特製ドレッシングを作っても、サラダっぽいものはすべてマヨネーズで通していたのである。ところが試行錯誤しているうち、意外なところで克服の種が見つかった。なんとオットは市販のドレッシングにありがちな「甘味」を嫌っていたのだった。

確かに市販のドレッシングは甘いものが多い。有名どころの商品情報を見ても、砂糖もしくはそれに代わる甘味が含まれているのがほとんどだ。全部とは言わないが、よく売れている・つまり人気があるものはなんらかの形で甘味がある。その味がつまり、日本人のマジョリティということなんだろう。

それがわかってからは、自作ドレッシングには甘味を感じる成分を入れないようになった。もし身近に「市販のドレッシングは嫌い」という人がいたら、一度これを試してみて欲しい。覚えてしまえばむしろ簡単。何しろ気を配るのはその比率だけなんだもの。

【マイノリティのフレンチドレッシング】

酢:油=1:3(塩分はお好みで)

実はフレンチのサラダドレッシングの基本・ヴィネグレットソースとはこれのことなので「マイノリティの」というと語弊があるが、現代の日本で、スーパーで気軽に買えるものではないという意味で、あえて冠した。

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塩は酢に溶けるので、最初に酢と塩を混ぜる。そこへ油を入れてよく混ぜる。それだけである。ガラスのボウルで混ぜてもいいし、ガラス瓶やドレッシングの容器に入れてよく振るでもいい。私はマスタードを入れるのが好きだ。

「米酢と軽い油、醤油」だと和風になるし、「ごま油と和カラシ」を入れるといわゆる中華ドレッシングのようになる。黒酢やザクロ酢、くるみ油にグレープシードオイルなど、今や酢も油も世界あちこちのものが手に入る。自分の好みに突っ走ったドレッシングを追求してみるのも楽しいだろう。

みんなが大好きなものが嫌いだからと言って、恥じることはない。嫌いなものは嫌いだし、無理することもない。ただ克服の種は意外なとこに転がっているものである。「私はこれで食べられるようになりました」という事例があったらいつでも教えてください。

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じろまるいずみ
めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。