嫌いなものから見えるもの
※少々罵詈雑言が飛び交うシーンございます。
ご了承を。
私は、
言葉で人を押し潰していく人間が大嫌いだ。
じわじわと追い詰める人もいれば、
強い言葉を豪雨のように投げかける人もいる。
いずれもわざとじゃないのかもしれないが、
確実に矛先を向けられた人間を蝕んでいく。
呼吸するかのように人を罵倒する、
もはや人間とは思えない化け物も存在する。
そんな化け物とどう向き合うか。
私はまだその点、解決できていない。
だから心の中で、同じように罵倒してしまう。
「おいてめぇこの野郎、おめぇがさっきから罵倒してる人の気持ち考えたことあんのか?ねぇよな?あるわけねぇよな?いっぺんてめぇの目ん玉に食器用洗剤ぶちまけてやろうか?あ"あん?」
ってな具合だ(どんな具合だ)
…気を取り直して。
きっとそんな化け物が好きな人はいない。
しかし何故こんなにまで私の心を掻き乱すのか。
それはおそらく私の気質が関係している。
よく最近耳にするHSP、
(細かく言うとHSS型と推測するが詳細は省く)
つまりは共感性が高い人間だ。
だから人の話を自分の話のように受け取る。
怒鳴り声も自分に向けられたかのように縮み上がる。
幼い頃からそうだった。
だからとりあえず大きな声で怒鳴ってりゃ言うこと聞くだろ?みたいな教師は、
小学生ながら軽蔑していた記憶がある。
人間だから色んな人がいる。
だからしょうがない。
そう心を寛容にして受け止める。
そんなこと、今のわたしには出来ない。
「嫌い」だ。
でもそんな「嫌い」って感情も私で、
私だから抱く特別な感情で、
それは向けられた相手に人一倍共感し、
理解しようとするからこそなのかもしれない。
そしてその分、
人の気持ちを汲み取ろうと努力してくれる人が
たまらなく「好き」だ。
共感性が高いことで悩んだこともある。
でも、この「好き嫌い」の感情も
私が28年で培って育ててきた「私らしさ」と
捉えてみてはどうだろう。
だから「嫌い」でいい。
好きになろうとしなくていいし、
許せなくても別にいいんじゃないか。
そう思って罵詈雑言のブログもいいかも
と思って書いたけれど…
もし、嫌な気持ちになった方がいたら
きっとその「嫌」も大切なあなたの一部です。
読んで下さってありがとうございます。