グリンカード、俺の11年戦争(1)

私は日本人男性である。つまり結婚による永住権取得はほぼ無理である。なんてったってワタクシ無色透明ですから。しかしアメリカはチャンスの国である。実力があれば仕事をとうしてグリーンカードが取得できる!と鼻息を荒くすることもなく、インターン先の会社に薄給で正社員に登用された。1999年、Y2Kに怯えるアメリカ社会で私の社会人は始まった。

なかなか外国人が米系の会社に正社員になることは難しいので、ある意味幸運だったのかもしれない。この時在米4年ほど。英語力は皆無で今更よく雇われたなと思う。

アメリカでは正規留学した学生に卒業後1年間のプラクティカルトレーニングビザというものに申請できる。この間に次のステップであるビザサポートを会社にお願いするのだ。これはお金もかかるしなかなか難しい。申請者も多くリミットもあるので翌年に持ち越されることもある。私もその一人でした。

日本人は幸運です。卒業後別に日本に帰っても全然平気です。多くの留学時代の日本人の友人は日本へ帰って行きました。私たち日本人は他の外国から来た方みたいにアメリカにしがみついて家族全員呼び寄せる必要はないのです。インドや南米、中国のみなさんはなんとかアメリカにアンカーを打とうと必死です。そのために家族全員、親戚一同で優秀な親族をサポートします。

私はというとせっかくチャンスがあるのだから少しはアメリカ社会に参加したい。学費しこたま払った分を取り返したいと思ってました。ちょうどインターネットブームも来ていたのでそれを勉強してから日本に帰ろうと思っていました。それにまだ全然英語も喋れないし今帰ってもなぁというのもありました。しかしこの時グリンカードまで11年もかかるとは思ってもいませんでした。


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