クラブイベントのフライヤーを配っていたらマイケル・ジャクソンの通訳になれた
マイケルが裁判後にはじめて公の場に姿を見せたのが、2006年5月に東京で行われたMTVビデオミュージックアワードでした。
僕はその来日の際に、全く予期していなかった通訳という大役をまかされました。
当時いわゆるプロの通訳ではなく、クラブイベントのオーガナイザーをメインの仕事としてやっていた僕がどういった経緯でこの仕事がすることができたのか、書きたいと思います。
突然の電話
2006年5月末のある日、その電話はかかってきました。
電話の主は多くの海外アーティストを招聘していたコンサート会社・ポジティブプロダクション社長のモーリス氏。
「今週末マイケル・ジャクソンを日本に呼ぶんだ」
たしか来日3日前くらいだったと思います。それだけでもびっくりだったのですが、次に聞いた言葉は、
「来日中、通訳をやってくれないか?」
スケジュールすら見ずに即答で、YES! と答えました。
詳細も全くわからなかったですが、なんとかすればいいだろう、と。
ビッグチャンスのオファーは極力即答するようにしています。
あまり考えると相手も、せっかくチャンスを与えてるのに、と冷めてしまうかもしれないので、、
こんな一生に一度のオファーは考えるまでもありませんでした。(ちなみに英語ではこういう状況を”No Brainer”といいます)
一言二言交わしたあと、モーリス社長がこう聞いてきました。
「How much should I pay you? (ギャラいくら払えばいいかな?)」と聞いてきました。
1秒間だけ考えて、こう答えました。
「No, I don’t need any money.(ギャラは要りません。)」
要らないの? って感じの反応だったモーリス社長に続けてこう言いました。
「But I actually have a favor. Can you promise me one thing? (お願いがあるのだけど、ひとつ約束してもらえますか?」
「What is it? (なんだい?)」
「Can I take photo with Micheal Jackson? (マイケルと写真撮りたいんだ。)」
「OK.」
こうしてマイケルの通訳をすることが決まりました。
↑MTV Japanのマイケル来日ドキュメンタリー
フォーシーズンズホテルでのミーティング
マイケルと対面したのは、フォーシーズンズホテル椿山荘最上階のスイート。
モーリス社長から紹介されるとマイケルは、「Oh, You are tall!」といってとても大きな手で握手してくれました。
そして、モーリス社長はきちんと約束を守って、写真を撮ってくれました。
そのときの写真です。
来日中、モーリス社長自身が日本語堪能だったのでだいたい彼が通訳していて、あまり出番がありませんでした。
そんななか、ある丸一日ホテルのスイートでさまざまな企業とマイケル自身がミーティングをする日があり、そこは基本的には自分がまかされました。
ある世界的に有名な日本企業などは、米国、欧州のトップもこのために来日してミーティングに参加しました。
丸いダイニングテーブルに相手側の企業の方、マイケルの代理人、モーリス社長、そして僕が座り、マイケルは少し下がって壁際の椅子に座って話を聞いていました。
マイケルは質問をしたり、自らいろんなアイディアを話してくれました。
正直にいうと、自分としてあまり良い仕事をできたとはいえません。
アメリカの大学でバスケをしていた5年間でかなり喋れるようになったとはいえネイティブでなく、かつ当時ビジネス経験も足りませんでした。
日本のセレブたちが大集合したシークレットウエルカムパーティーでは、ありえない大失敗もしてしまいました。。
それでは最初からこの仕事を受けなければよかったかというとそうは思いません。
受けた以上やるしかないし、あとから考えても意味がないからです。
通訳としては3流だったかもしれないですが、必要とあればなんでもやりました。
マイケルと渋谷のパチンコ店「マルハン」に視察に行った際、店を出ようとしたら噂を聞きつけて店外はすごいひとだかりが。
群衆が押し寄せてきたのを、セキュリティ、スタッフとともに全員できっちり守ったことも。
張り詰めた緊張感でしたが、代理人やスタッフなどとも打ち解けることができ、自分の持ち味は出せたと思います。
モーリス社長はオファーの電話でこういってくれました。
「こういう仕事を専門にするプロ通訳がいるのもわかっているけど、ふだんから貢献してくれている誰かにやってもらいたいんだ。」
↑養護施設を訪れたマイケル。隣に座っているのがモーリス社長。
↑マイケルの隣の女性が代理人をつとめていたレイモンさん
↑MTV Japanアワードの会場でマイケルの楽屋を訪れたリアーナ
モーリス社長との出会い
そもそものモーリス社長との出会いはコンサート会場「横浜ベイホール」でした。
当時小さなクラブイベントを六本木ではじめたばかりだった僕は、HipHop系の大きなイベントにかたっぱしから行って勝手にフライヤーを配っていました。
そのときも横浜BayHallのまわりに駐車している車全てのワイパーにフライヤーをはさみ終わり、出口から数メートルのあたりでフライヤーを配っていると、まだ面識もなかったモーリス社長が僕に気づいて「おい、なにをやってるんだ?」と大声で聞いてきました。
やばい、怒られる!と思いましたが、会場外で一生懸命イベントを宣伝してるのを彼は気に入ってくれ、それからMCをやらせてもらったりアフターパーティーを任せてくれたりしました。
当時なにも考えずにひたすらフライヤーを配りまくってたときには、2,3年後にマイケルと仕事をさせてもらえるなど夢にも思いませんでした。
なにからなにが生まれるかわからない。
行動すればなにかが起きる。
そう実感しました。
最後になりますが、こんな素晴らしい経験をさせてくれたモーリス氏、そしてポジティブプロダクションのスタッフのみなさんに感謝しています。
Thank you, Michael. Rest In Peace.