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たくさんの"SHOW"をありがとう!荒波翔選手は、新たなフィールドへ。

荒波翔選手、現役引退。
その第一報がスポーツ報知からもたらされました。
メキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズから契約解除となったのが6月25日でしたが、そこから約2ヵ月。去就が注目される中での、現役引退表明、ということになりました。
とにもかくにも、本当にお疲れ様でした!という、まずはその一言ですし、ベイスターズを支えてくれて、本当にありがとう…という感謝の気持ちでいっぱいです。

走攻守三拍子揃ったリードオフマン・荒波選手の台頭は、横浜ベイスターズから、横浜DeNAベイスターズへと移り変わる、暗闇の中から光を探し求めるような黎明期の日々の中で、それはもう、一筋の…というか、レーザービーム一閃!というぐらいの光明でした。
中畑清監督から「サル」と呼ばれたほどの身体能力と脚力で、フィールドを右へ左へ縦横無尽。幾度ものナイスキャッチを見せてくれました。自慢の快足で数々の盗塁を決めてくれてのチャンスメークで、勝利への道筋を作ってくれました。ベイスターズが待ちに待っていたリードオフマン・荒波選手の輝きはただごとではなく、当時人気を博していた「みんなのあるあるプロ野球」でも、荒波選手は本当に存在しているのか?とネタになっていたほどです。
まさに初期DeNAの看板選手だったんですよね。

荒波選手の身体能力がいかんなく発揮されたと特に思うのは、2012年6月3日の西武ドームでの西武戦。打ってはタイムリー、走っては盗塁、そして守っては超ファインプレーを連発と!まさに荒波デーだったのです。普段彼のプレーを観ていないパのファンからも「彼は何者だ?」ぐらいに驚かれましたし、「私、荒波クンのファンになる!」というライオンズファンの女性の声も、現地で本当に耳にしたぐらいなのです。

僕は当時書いていたブログで、この日の記事に「SUPER SONIC DANCE」というタイトルを付けていました(moveの曲のタイトルを借用)。とにかく荒波選手は、速かったんです。凄かったんです。

さらに僕が忘れられない場面がもう一つありまして…
2013年8月24日、ハマスタでの巨人戦です。
ナイジャー・モーガン選手の入団で、この年の多くの試合でセンターからライトに回ることが多くなっていた荒波選手。この日の2回表、坂本選手のライトへのフライを捕るやすぐさま、3塁に向けてレーザービーム一閃!3塁にタッチアップで走る選手…実は巨人時代のホセ・ロペス選手(!)だったりしますが、ロペス選手を見事に刺してくれたのです!
(この場面はニコニコ動画で視聴可能です。ぜひ探してみてください)
そのレーザービームを、僕は1塁側のエキサイティングシートで、まさに目の前で見ることができたのです。

あのレーザービームの道筋と、ハマスタが沸きに沸いたあの一瞬のことは、今も忘れないし、きっと一生忘れないと思います。
そういえばベイスターズは、新しい合言葉ができたようですが(「FOR THE MOMENT THAT WILL LAST A LIFETIME.」=「一生残る、一瞬のために。」のこと。8/30の広島での試合前にお披露目されました)、あのレーザービームはまさに僕にとっての「一生残る、一瞬」のひとつでしたね。

もちろん、ファンの数だけ、荒波選手の想い出はたくさんあるはずで、もっとこんなシーンがあった、あんなシーンがあった、という話もたくさんあるでしょうね。
広島での血だらけの怪我、サヨナラヒット(例の「荒波さんはフォーク」)、満塁ホームラン…たくさんの想い出があるはず、です。
いっぱい、語り合いたいですね。

そして荒波選手と言えばやっぱり忘れられないこと。
それは、スターマンをはじめとするマスコットのみんなと過ごしてくれた光景です。

荒波選手がスターマンを円陣の中に入れてくれたり、試合前にベンチの横にたたずむ荒波選手のところに、スターマンやチャピーがかけよって、一緒に座ってお話をしたり、スキンシップをしたりしていた姿が、とても印象に残ります。
決してはしゃいだり、(軽くでも)叩いたりとかするそぶりもせずに(あ、でもちょっといたずらはしてたかも)、いつもおしゃべりしたり、撫でてくれたりして、マスコットのみんなをたいせつにしてくれながら、一緒にいてくれた荒波選手。そのおだやかな光景は、ハマスタに来る人たちの心を和ませてくれたものです。

もしお手元にスターマン写真集「よこはまの星になる!」(2015年発売)がある人はぜひもう一度、44ページからの「荒波翔とスターマン」を読んでみてほしいです。あの頃の荒波選手が、スターマンをどんどんチームの輪に入れちゃおう、と思ってくれていたことに、あらためて感謝の気持ちをいだけると思います。

2012年・2013年と、2年連続でゴールデングラブ賞を獲得し、これからも順風満帆、と思われていた荒波選手でしたが、その後は度重なる怪我にも悩まされ苦しみ、なかなかバッティングでよい結果も出なかったり、また他の選手の台頭にも重なり、一軍での出番になかなか恵まれない、そして上がれてもスタメンではなかなか出られない、そんな時期が長く続いていました。

しかしながら、そんな試合前の彼の側にいつも来てくれていたスターマンやチャピーの姿は、ファンにとってとても安心でき、癒してくれるものでした。あの頃の荒波選手にとっても、きっとスターマンたちとのこんな時間が、少しでも支えになってくれていたんだろう、と思います。
試合前の荒波選手の、こんなちょっとした時間は、とても楽しみで、とてもかけがえのない、大切なものでした。

そして、そんな姿を見てきただけに、今年荒波選手がメキシコに行っていた頃の、「スターマンは元気かなぁ~」から、「マスコットのみんなも元気でやっています。」と、あっという間につながったインスタでのやりとりには、とても嬉しくなるものがありました。
戦力外となったとは言っても、ご縁まですべてを断ち切るわけではないんだよ、ということ、そんなベイスターズの温かさを感じさせてくれたものです(そしてそのご縁がつながり続けて、今に至るという嬉しさ)。

もちろん、もっともっと、荒波選手のプレーを観たかったのも確かです。
しかしながら、またベイスターズとのご縁がつながったことも、正直に、とても嬉しく感じています。

そう、メキシコからの帰国後、しばしの休息を終えたであろう荒波さんには、ベイスターズを舞台に、次のステージが待っているようです。これからはベイスターズのベースボールスクールの先生として、子供たちに野球を教えてくれるとのことです(スポーツ報知参照)。

きっとこのDB.スターマン号に乗って、鈴木尚典先生や加賀繁先生たちといっしょに、時には幼稚園で、時にはショッピングモールで、そして各地の野球教室などで、横浜の、神奈川の子供たちに、野球の楽しさを伝えてくれることでしょう。
横浜で生まれ、横浜で育ち、そして横浜でプロ野球選手として輝いた荒波さんをきっかけに、新しいプロ野球選手が生まれていく未来が来ることを、願ってやみません。
そして横浜の街のどこかに、DB.スターマン号が停車していたら…そしてもしドアが開いたら、その中から荒波さんがやおら姿を見せてくれることもある…かもしれませんね(僕もこの車から加賀さんが降りて来た時はびっくりしました)。
そんな偶然に出会えることを、ちょっとだけ、楽しみにしています。

スターマンは昨年のファーム最終戦で、この時点で戦力外が報道されていた、荒波さんとのお別れを惜しんでいました。荒波さんと離れたくないスターマン。そのもふもふの手がとても切ない一瞬でした。
でもこれからは、子供たちとふれあいながら、いっしょに野球を楽しむ、そんな2人の姿が見られるかもしれません。もちろん、チャピーやみんなとも。
たくさんの笑顔と、野球の楽しさを、煌めくフィールドで、子供たちに教えてあげてほしいですね。
これからまた、荒波さんとスターマンたちは、同じ舞台を共にすることもたくさんあるでしょう。たくさんの笑顔を、見せてもらえたら!

そして、もしも。願いが叶うなら、
あの「カーニバル」を、もう一度、ハマスタに響かせてほしいです。
勿論その場には、背番号4を身につけた、荒波さんがいてほしい。
どんな形でもよいです。
もう一度、あの曲でのタオル回し、やってみたいですね。
どうかいつか、"待ちに待ったこの日"が来ることを。
ささやかに、願っています。

グラウンドを駆け抜けたフィールドの煌めきや、チームメイトやマスコットのみんなと一緒に魅せてくれた笑顔。永遠のベイスターズ背番号4、"荒波SHOW"、決して忘れることはありません。たくさんの悦びをくれた荒波さんに、いっぱいの感謝を送りたいと思います。
そしてどうか、これからもおだやかで、幸せな人生を。
ずっと、応援しています!

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