関東平野(5月) 空の写真物語
天守閣の写真は、3月にも紹介させていただいた豊田城です。
豊田城は模擬天守ですが、かつては、ホンモノの豊田城もありました。
ホンモノの豊田城は小貝川に架かる「長峰橋」の下流1kmほどの所にありましたが、現在はぽつんと城址碑が建っています。
ホンモノの豊田城は小貝川の河川改修と耕地整理によってすっかり消滅してしまったのです。
私が感慨深く思うのは、この模擬天守閣をたてた地元民の心意気です。
かつてこの土地では、関東の武士勢力である清和源氏が誕生し、武士の勃興を象徴する平将門の乱が起きています。
東国、坂東武者、関東武士の歴史は、7世紀、白村江の戦いで防人として九州の外敵防御に徴兵された時代に遡ります。
歴史に名高いこの土地も時は流れ、「兵どもが夢の跡」となりました。
広大な関東平野を拠点に、戦いを繰り広げていた坂東武者たちの歴史も影を潜めていた中、バブル時代の到来とともに、平成の大合併で誕生したのが豊田城です。
この城は、坂東武者の子孫たちの熱いDNAが受け継がれている魂なのだ! そう思わずにはいられません。
豊田城は2008年6月13日に、茨城県常総市(水海道市と石下町が合併)に誕生しました。お城の高さは約50メートルもあります。
豊田城は1地域交流センターの役割も担い、石垣部分は1100人収容のホールになってます。
展望台からは広大な関東平野から、名峰の筑波山や、天気によっては遠くに、日光連山も見渡すことができ、ダイナミックな展望を楽しむことができます。
平 将 門 公 騎 馬 像
こちらの騎馬像は都心から50キロ圏、坂東市総合文化ホール「ベルフォーレ」にあります。
「ベルフォーレ」の完成記念事業の一つとして、前庭広場に平将門公の騎馬像が建立され、将門の里の象徴的なブロンズ像として親しまれています。
ブロンズ像を見ると、将門は折立烏帽子を被り、狩衣姿に太刀を差し、黒鹿毛の駒に乗った勇姿という印象を受けます。
駒の背に粛然と身を任せ、北に向かって駒を進める姿には、自分の支配地に辿り着いたという安堵した雰囲気と、躍動的な駒の姿態、遠く筑波の双峰を追う将門の敏捷な眸の中の、強い意志が感じ取れます。
常総市の天守閣「豊田城」も、坂東市の「平将門騎馬像」もそうですが、日本一広大な関東平野に歴史を刻んだ坂東武者を、思い起こさせてくれる、貴重な存在であることを、ひしひしと感じます。
逆に立派なお城や、将門公の騎馬像がなかったら、壮大な歴史絵巻も、色あせてしまうかもしれません。
犬のポン・・・
犬のポンが居ないかと、鬼怒川の土手に来ると、また綺麗な夕焼けが、優しく心を癒してくれる。
ポンは本当にいなくなってしまった。
動物愛護センターの車がゲージを乗せて見回りをしているのを何度も見かけた。
この場所には段ボールの箱と、水、ボールに入れたドッグフードがあった。私が着なくなったコートを箱に敷いて行くと、次の日にはテントまで置かれていた。テントの中には黒と白のぬいぐるみに敷物、ポンが寂しくないようにとの思いやりを感じた。
優しい人がいる・・ 心から思った。
そう心が和んだのもつかの間、河川敷の草刈り作業が始まるのだ、勧告の看板が立てられた。
自転車のおじさんの後を、トコトコ歩いてた ポン・・・・・
おじさんの話によると、軽自動車の中からポンは捨てられたと、噂で聞いたそうです。
いつか幸せでいるポンに会いたい・・・・・
犬のポンとの出会いは、関東平野(4月)空の写真物語で紹介しています。
GWは日光に帰った!!!
奥日光の中禅寺湖畔にハイキングに行きました。
中禅寺湖畔の桜はGWに開花します。ということは、北海道の五稜郭公園に近い気温です。
桜を見ると思い出すのですが、以前ツアーの仕事で行った五稜郭公園では、桜が一部咲きにも関わらず、人びとがその桜の下、ジンギスカンで大いに盛り上がっていました。その光景が、今でも忘れられません。
関東のお花見は、桜の満開に焦点をあわせがちですが、春を待つ本当の喜びを北海道の人々から感じた私は、桜のツアーで開花が遅い時に、五稜郭の桜の思い出をお客様に伝えています。
ジロー犬のお気に入り日光市大谷川河川敷の空き地、そんなマイナーな場所がこの日はキャンプ場と化してビックリです!!
コロナ後の GW恐るべし!!!
キャンプ場と化した川辺の西には夕焼け、東はには月。
翌日私が、お気に入りの空き地が荒らされていないかと確認に行くと、ゴミ一つ落ちていなくて綺麗な様に二度ビックリ!!!
こちらの風景は茨城県八千代町です。
麦が青いころに写真をとりたかったのですが、色づいています。