長岡の花火と 山下清 画伯
「裸の大将」「放浪の画家」と呼ばれた山下清の最高傑作『長岡の花火』は28歳の時の作品です。彼は軽い知的障害と言語障害を持っていたため養護施設の学園にあずけられましたが、突然姿を消し放浪を始めます。しかし絵を描くために放浪していたわけではなく、日本中をただ旅して回りました。彼は驚異的ともいえる記憶力の持ち主で、学園に戻った後その旅先で目にした景色を次々と作品にしていきました。色紙をちぎって点描派風に貼ってつくった作品を高く評価され、「日本のゴッホ」とも呼ばれています。1958年には山下をモデルにした映画『裸の大将』が制作されたことで知名度がさらに上がり、国民的に愛される画家となりました。
山下清の「放浪日記」は後に映画化、そしてドラマ化され、山下清は放浪の天才画家として広く知られるようになりました。見た風景を細部まで再現できるほどの驚異的な記憶力の持ち主だったことから、山下清はサヴァン症候群であった可能性が高いと言われています。
新潟ちょっぴりグルメ
柿 の 種 誕 生 秘 話
現在の柿の種を最初に作り出したのは、浪花屋製菓の創業者「故、今井與三郎」でした。大正12年、創業当初はウルチ米の煎餅作りでしたが、後に大阪のあられ作りを取り入れ、モチ米を使ったあられを作るようになりました。
これが社名「浪花屋」の由来です。
当時はすべて手作業で薄くスライスした餅を何枚かに重ね、小判型の金型で切り抜いて作っていました。ある日、その金型をうっかり踏み潰してしまい、元に直らずそのまま使用したら、歪んだ小判型のあられになってしまいました。
そんなあられを持って商いをしていたところ、ある主人が「こんな歪んだ小判型はない。形は柿の種に似ている」といわれ、そのヒントから大正13年「柿の種」が誕生したそうです。
新潟県出身 大 御 所 演 歌 歌 手 小林幸子さん
私が20歳の時、バス会社観光フェスティバルで一緒に仕事をしたことがあります。とにかく優しくて楽しくて、心配りが細やかで、本当に心温かな方でした。紅白で見られなくなりとても残念なのです。今後のご活躍も楽しみにしています。
新潟 グルメといちご
開催日時:毎年8月2日、8月3日 19時20分~21時15分
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