資本主義の奴隷
資本主義の奴隷
嫌な言葉だな。きっと上手く立ち回れなかった負け犬の遠吠えなのだろう。
大学の時に友人がエリート達を評して、『ネクタイ乞食』って言ってたっけ。そう言えば、彼は自然保護クラブで、野性の鹿の調査とかしてたな。今、どうしてるだろう。
念のために『資本主義の奴隷』を、ググってみた。そうか、やっぱりあったんだ。自分の人生を振り返って見たら、『資本主義の奴隷』と言う言葉が浮かんだ。未だに夢に出てくる。毎日追いかけられるような生活、これでもか、これでもかと脅迫されるような毎日に苦しめられる自分が夢に出てくる。
世間から見れば、大学生活を謳歌し、好きなスポーツもやり、就職もせず、海外を放浪し、やりたい放題の様にしか見えないだろう。人は羨むくらいだろう。海外放浪から帰国すれば、家業が忙しいから手伝え、と言われ、そのまま就職。大手メーカーの下請けで、右肩上がりで、100人近い社員を雇うまでになった。仕事は沢山受注出来ても、大手メーカーの下請けだから、メーカーの言いなり、全てご無理ごもっとも。つまり奴隷のような、自由の利かない生活。給与は多い、30代で家も持てた。しかし、忙しすぎて、会社に泊まり込み。一方、メーカーが、一度、リーマンショックにでもなれば、下請け切り、売上が十分の一になれば倒産せざるを得ず。自己破産、家無し、車無し、職探し。寝れば追われる夢ばかり。捨てる神あれば、拾う神あり。皆様のお陰で、今日迄幸せに生活させて頂いております。ありがとうございました。