50の手習、サックスを吹く 第1話
10年以上前から「サックスを吹きたい」と嫁さんに言ってきた。きっと冗談だと思っていたのだろう。だが、意外と本気だったのだ。
意外に思うかもしれないが、音楽と私の人生は全く接点がなかったわけではない。
最初の接点は、小学校の時ピアノを習っていたことだ。ピアノ自体は好きでも嫌いでもなかったが、先生がヒステリックな人だったからピアノを弾くことよりもその教室に通うことが本当に嫌だった。何とかして辞めなくては…子供ながら真剣に考えていた。遊びで左手を骨折したときは、「これでピアノ教室に行かなくて済む」と真面目に喜んだ。
先生との出会いは大切で、私と同様にピアノの道を諦めた人もきっと多いことだろう。誤解のないように言っておくが、ピアノの道を目指したことは一度もない。『仮』の話である。『師』というのは大事で、習い事が続くかどうかは95%くらいは『師』の影響を受けている(自分比である)。『仮』にあの時のピアノの『師』が粘り強く、そして楽しくピアノを指導してくれていたら、今頃サラッとかっこよくピアノを弾くことくらいはできただろう(たぶん)。
そのピアノ教室を辞めることができたのは、2つ学年が上の兄が小学校卒業を機に教室を辞めることになったため、これ幸いにして私も「辞めます」と便乗したことによる。それまでは母に願い出ても辞めさせてもらえなかったが、かなり『あっさり』と辞めさせてくれたのだ。しかし、同時に私のピアニストへの道は閉ざされてしまった(最初から閉ざされているのだが)。
次なる接点は、高校入学の時であった。私が通っていた高校は選択授業があり、音楽、美術、書道、工芸の中からひとつ選択しなくてはならなかった。私が迷いなく選んだのは『音楽』だった。『音楽』が得意…ということもなく、格別スキ!ということもなく、音楽選択クラス、略して『音選』は圧倒的に女子が多いという前情報を掴んでいたからだ。所詮高校生である。その程度の軽い気持ちで『音楽』を選択したのだ。しかしこのおかげというのだろうか?私は多少譜面が読める。音符、記号、休符、調号などなど、それなりに分かるし、見れば解るレベルにはなったのだ。授業で聴音をやらされたり、歌を唄ったり、笛を吹いたりしたことの賜物である。アライ先生、ありがとう。今更ながら、こんなしょうもない高校生だった私に『音楽』を教えてくれて。
とまあ、ここまでが私と『音楽』との極薄な接点だ。
つづく