『待つと言う事』
もうかれこれ20年ほど前の話になるだろうか、新幹線のグリーン車に置かれてた『Wedge』という雑誌にに平尾が記事を書いた事があった。 そのテーマは、『待つと言う事』。 当時携帯電話が普及し始めいろんな事が便利になった反面、「待つという事」が減ってきて、人間の想像力が衰退する事を危惧していた。
時代はささみスマホが全世界的普及し『待つという時間』がさらに減ってきたのは間違いなさそうだ。もちろんそんな進化はいい面は多々あり、私も恩恵に預かっている。 それでも「人を思いやる力」が損なわれてる可能性は否定できない。平尾は待つことで人を思いやる気持ちは鍛えられたと言っていた。 確かにそう感じる。待つ間に、いろんな葛藤があり、時に裏切られ、時に傷ついて、時に悪く想像した事を後悔したりして、もちろん全く気にならない時もあるけど、感情は波をうち、心は葛藤してて、特に感じをコントロール出来た時は少しだけ成長したようにも思える。
人類は便利な方向に加速度を付けてどんどん進化している。人類の進化と便利さは相関性がありそうだが、人の幸せと便利さは相関性は無さそうにも感じる。 平和や安全のための進化は大いに喜ばしい事だが、便利になる事が本当に幸せなのか?は少し疑問も残る。 ただ進化している方向に進むことはきっと間違ってないし、便利になる事も、もちろん感謝した方が良さそうだ。 待つことは人間にとって必要な忍耐を高める事ももちろんある。 齋藤一人さんは 『私は 愛と光と忍耐です』と声を出して言葉にする事を進めてる。 愛はわかるし、光も想像できる、、でも 忍耐 は少し以外な感覚もあったけど否定的な感覚ではなく、むしろ大いに賛成だ。忍耐を鍛える上では 待つ と言う事はとても貴重な事に思える。
人それぞれの価値観だが、アホな私は、あまり難しく考えず、楽しい事、ワクワクする事を今まで以上に大切していこうと考える。 楽しいは、『このような状態が楽しいのである』と決まった状態ではなく、人が感じる感情であり、幸せと表現する状態と近いように感じる。 不快な事を減らして行きたいと思うけど、不快な事が、楽しい、嬉しい、幸せを感じる心を養う上で大切な事のようにも思えてきた。
さらにいつまでも自立していたいと願うきもちも多くの方が持っている。 生活の自立はかなりイメージできるけど、精神的ね自立した状態はわからないる方には、なかなか難しいかもしれない。 コロナ以降つながりが以前より大切になって来たと実感する。 和して同ぜず。和はとても大切で日本人が最も大切にしている精神の一つだと思うが その和を保つために 同じない=群れない精神が大切に思えてきた。 和の精神を高めるには人を思いやる気持ちがとても大切だ。
具体的に待つと言う場面は、最近では、LINEの既読後にレスも待つ事になる。 待つと言う事に強くなると多少のトラブルでもブレずに済みそうだ。 人は思い通りにならないとイライラするけど、待つ時に生まれる感情をコントロールする事でいろんな事に強くなれそうだ。 随分古い話になるが 郷ひろみは会えない時間が愛を育てると歌いその歌詞が意味する事は以前よりほんの少し理解出来るように思えてきた。 またアミンが歌ってた待つわはその後大ヒット! 私達にはメロディと一緒に思い出してくる。