負けた時に後悔しない人を選ぶ
ラグビーは15人で行うスポーツ。今はリザーブも含めて23人で戦うが1985年当時は負傷による交代だけが認められ、そのため15人の先発メンバーで誰を選ぶかは今よりはるかに重要で試合に出ないリザーブも多かった。当時同志社はメンバーを学生達で選んでいた。もちろん岡部長や原田ヘッドコーチに相談する事は出来るがあくまで相談相手。関西リーグや大学選手権、日本選手権のメンバーを中村主将、平尾副将(11月からは主将代行)土田FWリーダーで決めていた。ラグビーは、チームの戦略により人選が変わってくる。明確に比べてられない事も多く優劣付けれないので人選を選手でもあるキャプテン中心で行う事は大変困難でもあり、かつ重要な役割になる。大学4年生の時、選手権3連覇がかかる全国大会はいくつかのポジションがギリギリまで争っていた。特に両ウィングとフルバックは部員内でも高い注目が集まった。大学1年からレギュラーで絶対的なエース4年生の東田。膝の故障もあり万全の状態からみると確かに見劣りしてたが何とか間に合わせて期待。争うは3年生の清水と赤山、そして2年生の綾城。 清水は伏見工業高校の平尾の次のキャプテンで一つ後輩。決して足は速くなく、キックもそれほど飛ばない、、でもラグビーIQは高く、(それとこれは人選には全く関係ないが)背筋力はいつも300以上。300を超えて一周回ってスタート点のポチで止まる。それも毎回必ず。勢いをつけているわけではなく、本当にすごい背筋力。当時「∞」で記載していた。 もう一人は綾城、ラグビー選手としては小柄で決して恵まれた体格ではなかったが、抜群の瞬発力がありメリハリも強く、伸び盛り、ポジショニングもよく安定感も高かった。 右ウィングの赤山はスピードがあり、プレースキッカーとしても外せない存在に成長してた。 結局は東田が外れた。当時NHKの解説者の日比野(前日本代表監督)さんは 「同志社はとんでもないチーム、日本代表の東田がリザーブですよ」とテレビで驚くほど、選手層は厚くなっていた。この時も最後に選んだのは平尾が中心のキャプテン達。 当時岡部長は「このメンバーで負けたら仕方ない。負けて悔いのないメンバーを選べ」とだけアドバイスしてた。 なかなか難しい決断だったけど、自分がベストと感じる人選で進めた。で、大学選手権3連覇を果たした。残念ながら新日鉄釜石には勝つ事は出来なかったがベストの人選だったと言える。
『負けた時に後悔しない人選』、この考えはスポーツのメンバーを選ぶ時だけとは限らない、仕事でも同じだと感じてた。 例えば何か大切なプロジェクトの時、どのメンバーで行くか?『上手く行けばこうなるかも』と欲を出して選んで上手くいかなかったら後悔する。 このメンバーで上手くいかなかったら仕方ないと感じるメンバーを選んだ方が良さそうだ。
有難い事にたまたま縁があって今の会社では人事の役割を授かってる。なのでこの考え方は今でもとてと参考になる。
それともう一つ、正しいより楽しい、はとても大切な判断基準だ。
こんな事言いながら選ぶ側より選んでもらう側になった私ははたして誰かに選んでもらえるだろうか?? ただ選ばれるために媚びをうったりはしたくないし、選ばれる為に変な努力はしたくない。
小林正観さんは、不平不満・愚痴泣き言・悪口文句を言うを言わないと、頼まれごとが増えると言う。頼まれごとをしていると『喜ばれる存在』になるらしい。 なので選ばれる側の極意としては、正観流を実践しても上手く行きそうだ。