ミッシェルのライブに
池袋の新文芸坐という映画館で、”THEE MOVIE” -LAST HEAVEN 031011- を観てた。
ミッシェルが解散したとき、私は中学生で、まだライブに行ったことがなかった。
バンドの名前を耳にしたことはあったけれど聴く機会はなく、初めて聴いたのは2009年にアベフトシが亡くなった後の雑誌の特集を目にしたのがきっかけだった。その後、名曲の数々にぶち抜かれてきた。
ROSSOやThe Birthdayも聴いた。
The Birthdayについては、ライブに行けるはずだった。しかし、コロナ禍が始まり、行く予定だった公演が中止になってしまった。その公演は対バンで、どうせならその組み合わせで見たいと思いそれまで待つつもりだったのだけど、結局それは叶わなかった。
私として心残りがあるとすれば、そのこだわりを捨てて行っておけば良かったなということだ。
昨年、チバユウスケも亡くなってしまった。
いまだに、何と表現していいのかわからない思いがある。寂しい、が一番大きいのだがそれ以外の様々な思いが。
先日の献花に行くことは、悩んだ結果やめておいた。私は日々着ている衣服は、ほぼバンドやアーティストのグッズだ。それを他のバンドのライブに着ていくことは、私は自分がそうすることも他者がそうすることも気にしない。
ただ、それが献花の場となると話は別だよなと思った。きっと快くは感じない人も多かろうとは予想できた。それならば、それ以外のところで弔意を示そうと考えた。
それが、昨日の映画である。
スタンディングで観られることもあり、私はこれを、ミッシェルのライブだと思って参加した。
様々な年代の人がいた。
ものすごい映像なので、ぜひ多くの人に観てほしい。
支配人の方が、心からミッシェルを愛しているのがわかった。熱い語りに思わず聞き入ってしまった。私は映画をしっかり観るようになってまだ浅いのだけど、この映画館にまた行きたいと思わせる力強さがあった。
その人の話の中でとくに頷いたのが、心のどこかで快復するものだと思っていた、という話だ。
私もまさにそうで、それどころか、人は必ず死ぬという常識を、チバには当てはめていなかったように思う。当然のように活動を再開するだろうし、そのときはライブに行こうと考えていた。
前述のとおり、最初から最後まで、ライブを観ているのと変わらないテンションで過ごすことができた。
随所で挟まる、過去のエピソードのパートも、MCを聞いているような感覚だった。
最初で最後かもしれない、劇場、いや、ライブハウスで観るミッシェルを、心ゆくまで楽しめた。
気持ちは晴れたし、憧れは消えない。
命あるものは必ず死ぬ。それがいつかはわからない。
行けるライブを逃してはならないなというシンプルな思いが、より強固になった。