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ランドセル症候群と、適度な情報の負荷について。

先日ニュースで、『ランドセル症候群』というものが取り上げられていた。

ランドセル症候群とは、

自分の身体に合わない重さや大きさのランドセルを背負ったまま、長時間通学することによる心身の不調を表す言葉。小さな体で重たい通学カバンを背負って通学することで、筋肉痛や肩こり、腰痛などの身体異常だけではなく、通学自体が憂鬱に感じるなど気持ちの面にまで影響を及ぼす状態をいう。




おそらくあなたも、小学生の頃に1度は経験したことがあるのではないだろうか。

僕もまさに同じ経験をしたことがある。

置き勉をしたら怒られるため、毎日ランドセルをパンパンにし、登下校してたっけ。しかも坂道を登るから、毎日しんどかったんよね。今でこそ重たいものを持ってもそこまで負担にはならへんけど、確かに体が華奢な小学生にとって、毎日重たいランドセルで登下校するのは、憂鬱になると思う。



ニュースの中で、なぜ置き勉をしたらいけないのか?という問いに対して、「物を置いて帰ると持ってくることが習慣化されずに、忘れ物が増えてしまうから」という理由が述べられていた。

まぁ、それも一理あるかもしれないが、全ての人が物忘れになるわけではないはず。それよりも、体を壊してしまうとか、学校嫌いになってしまうことの方が、個人的によっぽど問題じゃないかなあと。



適度な負荷をかけるのは大切なことやけど、度を超えてしまっては何の意味もない。情報発信においても、これは同じことが言える。

始めたての頃は、「おっしゃあ! 先人に追いつくためにインプットしまくるぜえ!」と意気込む人が多い。僕もそんな感じやったね。でも、今までにないリズムを取り入れ、大量の情報という重たすぎる負荷をかけるとどうなってしまうのか。



答えは簡単で、すぐに崩壊してしまう。


専門的な話や高度な内容になればなるほど、理解するために思考力を使う。それに伴って、消費するエネルギー量も増えて脳が疲労していくのは、当然のこと。徐々にレベルを上げていかなければ、何も身に付かず、ただ時間を浪費するだけになる。そういう状態に陥ると、情報発信自体がつまらなくなり、すぐにやーめたということになりかねない。



だからと言って、永久に簡単なことばかりをインプットしても、負荷にならないから、それはそれで良くないけど。



僕も今でこそ、哲学書を読んだり小難しい専門書を読んだりしているけど、最初は手に取りやすいビジネス書とかをよく読んでいたから。


大事なのは、『今の自分にとって、どれくらいの情報が良い負荷になるのか』を常に考えること。個人的に、「すぐには理解できないけど、考えれば何とか分かるなぁ」くらいのものが理想かな。



学習を繰り返しているのに、全然発信力が向上しないという人は、負荷のレベルを見直してみてはどうだろうか。もっと負荷を増やしても大丈夫だなと思う人もいれば、もう少し基礎からやり直してみようと、感じる人もいることだろう。こうして模索を繰り返すことで、必ず自分のフィールドは広がっていくから、焦らなくても大丈夫。



今日は短いけどこの辺で。ではまた。


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