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僕らを喰い殺す『具体』という恐ろしい敵から、命を守る方法

過去にミニ企画として書いたnoteを、
一般公開しました。

あなたのこれまでの価値観が

ガラッとひっくり返るので、
ぜひ何回も読み返してみてくださいね。




突発的な企画にも関わらず、
このnoteを受け取って頂きありがとうございます。

さてさて。早速これらのツイートを深掘りしていきましょう。




まずは1枚目の説明から。


①自分の言ってることを盲信する人が出てくる(絶対の正解だと思いこみ、他のことを考えなくなってしまう)


→「僕がこうした方がいいですよ」とか、「この手順で進めていけば上手くいきます」などの内容を書いてしまえば、

「なるほど、これだけやっていればいいのか〜」

と思い込む人が一定数は出てくるでしょう。


そうなればそれだけが絶対の正解だと思い込んでしまい、他の可能性が消えてしまいます。当然、そう思い込む人が増えれば増えるほど同じ場所へ人が集まってきてしまい、競争が発生。


特に人は、

・「テンプレ」
・「マニュアル」
・「これだけやればいい」
・「楽に自動化」

などの甘い誘惑に弱いので、それを後押しするようなライティングを使えば、人を動かすことはそこまで難しくありません。

ですが長期的に見て、
それらはほぼ無意味なこと。


盲信して結果が出なかったら、
その人たちはどうすればいいか分からず、路頭に迷ってしまいます。



唯一の”道標”を失ってしまえば、
そりゃあ当然のことですよね。

日頃からいくつもの可能性を吟味して
物事を進めていればいいですけど、

「最短最速で稼ぎたい」と考えている人たちが、
そこまで計算して行動できているとは思えないです。




②提示されたものをそのままパクリ、他の場所で横流しするしか出来なくなる

→そして、②へ繋がっていくわけですね。


他人のコンテンツの中で、

「自分のコンテンツを作って販売しよう!」

という項目が出てきた時に、具体性の中だけで生きていると、


これまでの細かい指示がなくなったから、自分で考えるの難しい→そうや、このコンテンツで色々と学べたから、それを自分よりも新規の人に教えればいいやん!→でも自分の言葉で説明とかは難しいから、そのまま格安で情報を横へ流そう

こういった安直な発想になってしまうんです。

昔、「右から左へ受け流す〜」

という芸が流行りましたが、彼はどうなりましたか?

ええ、彗星の如く消えていきました。


さっき挙げたのは至極当たり前のことで、
普段から大して頭を使っていなければ、

いざ「1人でやってみなさい」と言われた時に、
できるはずがありません。

補助輪しかつけてねえのに、
いきなり補助輪なしでチャリは漕げません。


この時にはもう、自分で悩んで考えるという苦しみが自分の中から
除去されているため、その不快感が生じないように体が動きます。



そうすると、楽な方へしかいけなくなり、
横流しやコピペをするしか選択肢がなくなってしまうわけですよ。


そして、一度快楽を味わったら最後。

「あ、これでもいけてしまうのか。それならずっとこれでいいやん。色んなコンテンツを買ってバレない程度にパクろう。」

コンテンツビジネスの禁忌に触れ、
2度と同じ道には戻れなくなると。




③独自性や個性の開花するきっかけを奪いかねない


→③についてはまた別角度からの話。

具体的な内容というのは、
個人が描いているイメージから創出されるもの。


それをこちらが埋めてしまえば、
僕のイメージを相手が持つことになります。


もちろん、話を理解してもらう上で比喩や具体例は使いますが、
それはその時の文脈で適切だと判断したから、使用しているだけ。

話がわからないと、
そもそも行動にすら移れませんからね。


でも行動段階においては、

「ご自由に考えてみてね」

というのが僕のスタイル。


その具体例を考えやすくするきっかけや、
枠組みをこちらが提供してやればいい
のです。


全てをこちらが代弁してしまうと、1番自由度のある部分が
消されてしまうので、その人の良さが表現されません。

いわば、『独自のストーリー』が生まれなくなってしまうわけですね。

テクニックやノウハウはすでに飽和しているため、

「そこからどう展開したのか」に今は価値があるわけですよ。

それはもう、各自がやるべきこと。



こちらがあれこれ提示する範囲を超えています。

「こういう動き方とかできるよね〜」
を出せば出すほど、

考える余白がなくなり、成長する機会が減るわけで。



どう展開していくのかは本当に自由で、なんでもありですよ。

だからこそ個人差や独自のルートが生まれるんです。

そこを考え抜いた人だけが、自分の強みや得意分野・武器などを発掘できるわけで。具体性を付加しすぎるというのは、こちらがあなたの発掘チャンスを奪っているのと同じ。

もちろんしんどいし、
すぐにそれらが見つかるわけでもありません。


だからこそ、試行(思考)回数を増やしていく必要があるんです。

考える癖をつけたり、多くのものに触れて宝に
出会える確率を上げるためにも。


思わぬところで新しい発見があったりしますが、
それはいつ・どこで起こるか分かりません。


でも1つ言えるのは、

『どれだけ自分が頭を使って目の前のものと向き合ったか』

に依存します。具体的な内容が提示されていれば、

その分野で考える余地がなくなってしまうので、
開花の可能性が減少するのは当然のこと。



これらのことが、1枚目のツイートの深掘り。

「具体的なコンテンツは素晴らしい!!」と言われていますが、

こうした

”『恐ろしい闇』”



の部分を語ってくれる人はいますか? ほぼいませんよね。

だってそんなことを言えば、自分のコンテンツが
売れなくなって、周りからも良く思われませんもの。



でも本当に愛があるなら、
こうした良くない部分も伝えていく必要があると思うんです。

そこを言わずに、輝かしいことだけを並べまくるのは、
ある意味詐欺師と変わりません。

そこにいち早く気づいて伝えていくのが、
良き発信者じゃないかなと。



2つ目のポスト


さて、次に2枚目ポストの深掘りをしていきましょう。

主題となっているのは、

『発信者と受け取り手(コンテンツを消費する人)』の差が大きくなる』

ということでした。


これがどんなことを意味しているのか、少し考えてみてください。
僕はその間にお水をがぶ飲みしてきますので。




・・・思い浮かびましたか? 

具体性を付け加えたり、ステップ方式で1〜10まで教えるというのは、何を意味しているのでしょう。

この時に、発信者側にどんなことが起こっているかを
考えれば答えは出てきます。



おそらく、

・自分の中で理解度が高まるまで、何回も思考
・分かりやすく図解などを使用→その過程で復習にもなる
・伝わりやすい表現を模索したり、構成を何回も練っている
・音声や文字でアウトプットし、脳内の情報を整理
・テーマに関することだけじゃなく、違うものを組み合わせて理解を促進

などの工夫がされ、
それらがコンテンツに仕掛けられています。


その努力の結晶を消費者は受け取り、

「具体性があって分かりやすい!!」と認識するわけですね。


ではこの一連の流れで、誰が大きく成長しているんでしょうか?


そう、作り手(発信者側)ですよね。

膨大な思考と試行、
アイディアのアウトプットなど脳内はフル稼働。

成長しないわけがないのです

一方で受け取り手はそこまでの過程を全てショートカットし、出来上がった成果物だけを手にしているため、そこまで大きな成長はありません。

だって脳を酷使せず、分かりやすいものだけを取り入れているんですから。




自分の口で噛まずに、
親が柔らかく砕いてくれたご飯を食べてるのと同じ。

それで、あごや歯が強くなるはずがないんです。


先生とかの分かりやすい解説を聞いた時も、

その『分かりやすさ』を作り出したのは先生であって、
あなたではありません。

その時は感動するでしょうけども、
それだけで問題が解けるようにはならんですよね。

結局、自分で考えて問題を解きまくらない限りは、
能力の向上は見込めないのです。



過程をすっ飛ばし、それだけを受け取って

「なんとなく分かった気になっている人」

と、

「あらゆる困難を乗り越えてアウトプットしまくっている人」

両者の差が開いていくのは、
誰が見ても分かるはず。

『分かりやすい』というのはいわば快適な環境で、
そこにいる時は心地よいのです。

これが分からんな〜→Aを見れば解決!
これも分からんな〜→Bを見れば解決!!



と、
この瞬間に脳みそは疲れていませんよね?
汗水垂らしてませんよね?


もちろん、知らない情報を分かりやすく受け取って、
成長につながることはあるでしょう。


ですが、それはまだ知った段階で使えているわけではありません


他方でその情報を提供した側は、
アウトプットという名の実践で使えているため、
成長の度合いが段違い。

コンサルとかでもまさにそうで、

受けてる側がめちゃくちゃ
成長しているように感じられるんですが、


”膨大な情報や経験をわかりやすく相手に伝える工夫をし、提供している実施者”



には到底敵いません。

それを複数人とかにやっていれば
その分だけ考えることも倍々に増えていき、

やがて自分の中に成果がストックされていくんです。 



ちょっと話がそれましたが、

コンテンツに具体性が増す→発信者側の労力もそれに比例して増え、その産物として爆発的な成長がもたらされる

このイメージをぜひ持っておいてください。

この構図が起これば起こるほど、発信者と受け取り手の間には
大きな溝ができていくわけです。


この快適な環境に身を置いて、ぬるま湯に浸かりすぎると、

自分で何かをやっていかなきゃいけない時に、
何もできなくなってしまうのんですよ。

全て指示があり、
1から10まで手順が書いている中に居続けていると、

自分で何かを生み出すために必要な能力が、
身につきませんから。



僕が「あれをして次にこれをして、さらにこの工程でやりましょう!」


と全てを言うのは簡単ですよ。自分がやっていることを
再現すればいいだけなので。


ですが、それを過度にやりすぎると僕だけが成長してしまい、
周りを置いてけぼりにしてしまう可能性が出てきます。

そうなれば僕がどれだけ良いことを言っていても、付いてきてくれる人がいなくなってしまうので、僕は破滅していくでしょう。



「相互に成長し、繁栄していく」




これが僕の大事にしていることです。

多少難しいことでも挑戦してもらい、すぐ人に答えを求めないような

『自立型の発信者』を増やしていきたいんです。

そのほうが色々な個性が開花されるし、
みんな争わなくて済みますからね。

各々がレベルを上げていき、独自の領域を展開していく。


これこそが僕の考える理想の情報発信。


こうすればアイディアも考え方も良い意味で循環し、
自分のフィールドがますます強固になっていくわけです。

僕もそこからいろいろと学びたいですからね。




喰い殺されないようにやった方が良いこと


じゃあ具体的に、何をやったら自分の命を守れるのか?

ということを話して終わりにしますね。



①自分で具体例を考える癖をつける

非稼ぐ系運用がいいですよ〜→どのジャンルがいいのか、どんな運用方法が良いのかを思考する


Aという具体例があります〜→Bならばどうか。もしくはCの方がわかりやすいんじゃね?

というように、常に自分の頭の中で
道を描きながら思考を続けていきましょう。

他者の世界観に感動するのは構いませんが、
それだけでは自分のレベルは上がりません。

1つ1つの思考ポイントを成長のきっかけだと考え、
頭に血を巡らせていくのが良き。



②抽象から逃げない

難しいこと、よくよく考えないと理解できないことを、アレルギーのように全否定するのはやめましょう。

その場しのぎの現実逃避では、
なんの成果も得られません。

そのものを理解するのが目的というよりは、

難しい対象物と向き合い、
自分のレベルを上げていく

こちらの方が重要です。

例題や基礎問題ばかり解いていては、
入試で点数は取れず合格はできません。

それと同じで、
楽なこと逃げれば逃げるほど、

自分は市場から置いてけぼりをくらうだけ。


一生レベルが上がらず、表面的な言葉に踊らされて、
負の螺旋を歩み続けることとなるのです。

そうならぬように、
抽象から逃げてはならんのですね。

・難しめの本を読んでみる
・自分で言葉の定義をする
・成功者の要因を探ってみる

この辺をやってみてください。

具体性の話からスケールが大きくなりましたけども、

ざっとここまで書いてきたことが、

2つのツイートに込めた僕の想い。

これをTwitterで書いても見にくくスルーされる
可能性が高かったので、

今回noteにまとめました。


本当に大事なことを書いたので、『具体性 is God』の

幻想にハマっている人は、何回も読み返してもらえればと思います。


ではではまた。


みるみるうちに視点が鍛えられるコンテンツ↓


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