人は、変われる、なんていう勘違い
若い頃は、といっても14-5年前ですかね。
どこか遠い土地にいけば自分は、変われる。
生活のしがらみからと時間から、逃れられれば新しい世界と価値観が広がりそれを自分で、手に入れらる、なんて夢想していた時期がありました。
旅行すれば、悟りをひらけるぐらいの感覚だったかもしれません。
ヒッチハイクが、周りの友達の中で流行った時期がありまして。
学生で時間あるので、自分も参加しようと。
沢木耕太郎さんの深夜特急なんか読んでて憧れてたもので。
「北を目指そう」
根拠も理由もないですね。
で、地元の高速のインターの入り口立って、もってきた大きなスケッチノートに富山と大きく書いて。
北を目指す訳ですよね。ひたすら、北へ。なんか、演歌なんですよね。
おおよそですが、30分かな。それぐらいあれば何かしらの車が止まってくれるんです。
みんな、退屈な一人運転の中、話相手求めてる人が意外に多くて。
「なんでこんなことやってるの?」
「自分を変える為です!」
なんてことは、言える訳ないので、
「知らない土地を見てみたいんです!なにせ、お金は、ないんですけど、暇な時間は、たっぷりあるので」
「いいよね。学生さんは」
「今、お仕事何されてるんですか?」
みたいな会話をずっとする訳ですよね。結構、雰囲気に誘われてか、運転手さんの過去の話とか、家族、仕事、人生観、恋人の話とか多かったですね。
社会で過ごしている”おとな”に接する機会少ないのでそんな話全てが、面白かった。
で、しばらく進んで、目的地近辺についたんで。
適当にスーパーとかで果物とか買って食べて。
寝袋で寝る訳ですよね。ゴソゴソっと。
その日は、いっつもすぐ眠れる筈が妙に、目が冴えてね。
なんか、眠れなくて。
話し声が遠くから聞こえてくるし。
誰かが、起こしに来たような気もしたりで。
細切れの睡眠の中、浅い眠りがずーと続く訳ですよね。
で、しばらくして....。
目蓋が、真っ赤に染まり。
顔に当たった日の光で起きて。
汗ばんでいる顔を感じて。ゴソゴソっと起き出して。
気付くんです。ああ、もう、目的地に着いていたんだなと。
" 東尋坊 "
よくよく調べると、きちんときちんと、「自殺の名所」でもあったりするんですね。
いやあ、無知って怖い。自分霊感とか絶対ないんですけど、旅行から帰って、それ知ってあとで、本当に、怖くなった。
不思議なもので。よくいうその時の帰り道って、ほんとなんだか憶えていないんですね。
行きのことは、結構しっかり記憶に焼き付いているのに。
で、帰って来たいつも通りのの、家族の風景、学校の様子、アルバイト先の人間関係、すぐさまそんなのに、馴染んで、巻き込まれて。
「あれ、おれ、変わっていないぞ」
「いくまえといくあと、何か変わった?」
それが驚くほどのの平行移動ぶりに自分でびっくりしました。
成長の実感ってそもそも人は、希薄なものなのかもしれませんが、何を期待していたんだろう?旅行の面白さと、自己に意識に感じるギャップのあまりさにハズレくじでも引いたような損した気分になりました。
せいぜい、友人にお酒を飲みながらのハナシのネタが増えたくらい。
周囲の面白そうね!なんて言葉に悦に少し入れるくらいの変化。
いつもと変わらない日常の進み。
人は、どうやったら変われるのか?
何を成長と言えるのか?
今でもわかりませんが、きっと、多分、ヒントは、自分の内面への視線をどこまで深く掘り下げるられるのか?
漠然とした答えは、そこにあるような気がしてました。
外には、なく、内にある。
答えは、まだ、でていません。今でも探しつづけて、世界と自己の内面への旅行を続けていこう、なんて思ってたりします。
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