必殺剣シンデレラ
さる国の貴族に一女があり、名をシンデレラといった。幼くして母が死に、後妻と連れ子の娘二人が家を牛耳るようになった。
継母と義姉ニ人は彼女に辛く当たり、何かといっては打たれ、部屋も与えられず、土間の隅に寝る生活であった。
父の心は母と共に彼女の元から去ったものであるらしい。飢えと寒さで眠れぬ夜は、彼女は屋敷の裏手の森に行って一人泣くのが常であった。
ある夜、森の闇の中から彼女を呼ぶ声があった。驚き訝しみながらも応えると、闇から黒衣の老婆が現れて言った。
「おのれがめそめそと泣く声が煩くてたいそう迷惑だ。朝晩打たれて眠れぬようなら、この婆が夜も打ち据えてやるが、よいか。」
答えられぬ彼女に、老婆は続けた。
「打ち返す気があるのなら、これでおのれも婆を打ってみよ」
と、手にしたもう一本の杖を地面に放り出した。
ーーー
稽古の日々が始まった。
夜毎、彼女は屋敷を抜け出して森へ通った。老婆は毎夜現れ、彼女に杖を投げ渡すと、一方的に打ち据えた。空が白むまでそれが続いた。
老婆は相当な年齢に見えたが、背筋も言葉もしゃんとしており、彼女を打つ力は強かであった。老婆の振るう杖は真っ当な剣術であるようだった。
それで夜っぴて打たれて、なお朝に体が動くのだから不思議だったが、彼女は老婆との夜を愉しいと感じた。
継母や義姉の折檻など、老婆の杖に比べれば児戯である。彼女は次第に急所を外して打たれることを憶えた。何度打ち据えてもむっつりと黙り込んで立っている彼女を気味悪がって、継母たちの折檻は減っていった。
ーーー
三年が経った。
彼女の手も足も伸び、大人の体つきになったが、ほとんど眠ることのない日々は彼女の髪から色を奪った。白く色の抜けた彼女の髪を、継母たちが「灰かぶり」と呼んで嘲っているのを知ったが、面と向かって言う度胸が無いことも知っていたので、放っておいた。
老婆との夜は続いていた。見様見真似で憶えた老婆の剣術は彼女の手足に馴染み、一晩で一度も打たれぬのが常になった。
一向に老婆の素性は知れぬが、どこか卑しからぬところがあった。ある晩、意を決して尋ねてみたが、老婆は「そうな、魔女よ」と嗤い、それきりだった。
ーーー
ある日を境に、継母と義姉たちが喧しくなった。屋敷に頻繁に仕立て屋が出入りし、銀行屋や宝石商が出入りするようになった。王太子主催の舞踏会があるのだという。
継母たちの言葉によると、王太子と正妃は誰知らぬ者もない不仲であり、即位後に結婚無効の申立があるとかないとか。すでに相当な額の寄付が枢機卿に積まれているとかなんとか。
あわよくば。さすがに正妃は無理でも、愛人にぐらいはというわけだ。自分には関係のない話だと彼女は思い、いつものように表情を殺して昼を過ごした。夜だけが彼女の生きている時間であり、いつか夜の向こうに消えるのだ。彼女には計画があった。
家を捨てる。それが彼女にも、継母にも、父にも、最も良いことのように思われた。
以前の彼女には、土間の隅で痩せ細って死ぬ以外の未来は無いように思われたが、今は違う。虐げられて死ぬより、身を売ってでも生きる。諦念と鍛錬とが、彼女を鍛えた。
舞踏会の日は、相応しいようにも思えた。皆出払って、僅かな使用人だけになる。その日を境に消える。そうしよう。彼女は決めた。
ーーー
舞踏会の夜が来た。
煌びやかに着飾った継母と義姉が馬車に乗りこんで去って行く。これが最後だと思ったが、特に感慨は湧かなかった。
彼女は森へ向かった。老婆には別れを告げておくべきだと思ったのだ。老婆はいた。彼女が話す前に、老婆が制して言った。
「頼みがある」
老婆から頼み事をされたことなど無かった。老婆は構わず続けた。
「実家の大事でね。面倒だけど、無くなると困るのさ」
ーーー
その日、王太子の私邸で開かれた舞踏会に、深夜になって珍客が現れた。貴族社会から消えて久しい老女公、先々代王の三番目の娘の馬車が現れたのである。
剣術趣味が高じて「武者修行」と称して諸国を遍歴し、数々の逸話を残した王室きっての烈女。即位式前に足がすくんだ現王の顔を思い切り平手打ちし、公の場に姿を表さなくなってから二十年以上経っている。
もはや死んだと思われていたが、馬車の家紋は間違いない。父君たる先々代の王が趣味で育てた南瓜を剣の練習台にした逸話から付けられたという「南瓜を貫く剣」の意匠。"諸国遍歴の友"「南瓜(シトルイユ)」の馬車に相違ない。ざわめく人々の前で馬車の扉が開き、黒衣の老婆が手も借りずに踏台を降りた。
続いて現れた人物に、人々はざわめきを深めた。それは美しい娘だった。流れるような銀髪。どこか陰のある瞳。整った顔立ち。均斉のとれた体。身につけた深く青いドレスの、どこか着慣れぬ様子も、初々しさを印象づけた。
「閣下、その方は」
「養女(むすめ)さ」
表玄関から大広間まで、老女公と養女はゆっくりと歩み、神話のように人垣が割れていった。「女公閣下のご入来」を告げる声が響いた。
ーーー
気がつけば、舞踏会の大広間の真ん中で、満座の注目を浴びて、王太子と踊っている。悪い冗談、いや、魔法だ。はたして魔女だと言ったのは本当だったのかと、彼女は王太子の顔を見ながらぼんやりと思った。
ダンスなど子供の時分に母親と踊って以来で、まるで覚束ない。無様に転ばないでいられるのは、王太子が腰に回した腕がやたらと力強いからだった。
王太子からは何かこう、色々と話しかけられているのだが、全く要領を得ない。「困ったら目を伏せて「畏れ多うございます」と答えておけ」と言う老婆の助言が役に立った。
何事もなければそれでいい。未だに女公閣下だという実感が湧かない老婆は、この数奇な体験と引き換えに、それなりの報酬をくれるという。生きていけそうなのは有難かった。
思ったよりも普通の顔をした王太子の熱心な言葉に何十度目かの「畏れ多うございます」を返した時、大時計の鐘が鳴り響いた。日が改まったのだ。
鐘の音に、王太子が広間の大時計を仰いだ。周囲で踊る男女も大時計を仰いだ。隣の組の男だけが王太子を見ていた。男が煌めくものを引き抜いた。
体は勝手に動いた。身を翻して腕を振り解き、低く強く廻る。
『何度もこいつに助けられたもんさ』
回転で裾が浮き上がり、一瞬、足元が自由になる。スカートの襞に仕込んだ薄身の短剣を引き抜く。
『頼りないかい?そう、強く踏み込んだら壊れてしまいそう。だからこう名付けたのさ』
速く、鋭く、真っ直ぐに踏み込む。薄身の刃は良く応え、刺客の喉元に真っ直ぐに突き立った。
ーーー
彼女は消えた。
鐘の音が止まり、死体と血潮に悲鳴が上がる直前、老婆が「良くやった」と大喝した。そして、あれよあれよと言う間に暗殺を未然に防いだとしてしまい、事件の方向性が定まった。
護衛が集まり、貴族はざわめき、淑女は悲鳴を上げ、舞踏会がお開きになったが、その渦中に彼女の姿はもはや無かった。
「返り討ちにしろとまでは言ってないんだけどね。全く大した娘だ」
死体に突き立った短剣を引き抜き、拭いをかける老婆を王太子が呼び止めた。
「大叔母様、彼女はどこに」
「さてね。私も知らないよ」
老婆は鞘に収めた短剣を王太子の胸元に押しつけた。
「お望みなら国中をひっくり返して探すんだね。この『硝子の靴(パントフル・デ・ヴェール)』の似合う別嬪をね」
(了)
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