【鹿児島に源頼朝の墓】への違和感
大河ドラマの影響か、【鹿児島に源頼朝の墓がある】伝説?が最近よく報道されているが、違和感を覚えているので記そうと思う。
まず、そもそもネットでも調べる限りでも、鹿児島の島津氏=源頼朝の血筋、というのは違うらしい、という記事は昔からあることだ。そして、当の鹿児島に住む知人数名にきいても、『源頼朝の墓があったなんて初めてきいた』者ばかり。
やはり、大河ドラマに便乗してもっともらしく報道している(視聴者が食いつくネタになるから)のだろう。
ちなみに、島津氏の祖先は惟宗氏、そのルーツは渡来系の秦氏にあるというのが通説らしい。
私としてはこちらの方が納得がいく。
というのは、鹿児島の鶴丸城(今はもうない)の立地は素人目に見ても明らかに風水を使って作っているし、玉龍という地名(今は高校の名前らしい)、そもそも家紋などみるに、陰陽五行などの思想を取り入れているようにみえるからだ。
島津氏が秦氏の流れを本当にくみ、その思想も受け継いでいるか。
個人的には、源頼朝の墓云々よりこちらの方が気になるテーマである。