地主株式会社・企業レポートを紐解く~【後編】地主株式会社の歴史~
こんにちは。地主株式会社のIR広報室です。
当社のビジネスモデルや会社設立の経緯などを詳細にまとめた当社の企業レポートを前編・後編に分けて紹介しています。
後編では、JINUSHIビジネス誕生のきっかけから、地主リートの設立、そして現在に至る当社の歴史を振り返ります。
日本商業開発(現・地 主)の設立
当社の創業者(現取締役)・松岡と代表取締役社長の西羅は、商社の兼松株式会社(8020 東証プライム)のグループ会社で、商業施設を開発し賃貸を行う事業のプロジェクトを手掛けていました。
しかし1990 年代、総合商社はそれまでの過剰な投資がたたり、業績が軒並み悪化。1997 年のアジア通貨危機でさらに打撃を受けました。兼松も多分に漏れず、グループの不動産部門である兼松都市開発も事業縮小を余儀なくされることとなりました。
松岡はこの機に独立する道を選び、2000 年 4 月に日本商業開発(現・地主)を設立。現代表取締役社長の西羅も、同年 10 月に入社します。(兼松都市開発が手掛けていた物件管理業務を同社が引き継いだこともあり、ともに兼松で働いていた西羅は兼松都市開発に籍を残し、円滑な業務引継ぎに注力。引継ぎ完了後に当社に入社)。
なお、独立の際に、兼松グループからの配慮で、兼松都市開発として手掛けられていた物件管理を当社が受託し、引き続き関与し続けることができました。その中に、現在の JINUSHI ビジネスの構想につながる案件があったのです。
その案件は、滋賀県の大型ショッピングセンター案件でした。テナントは、当時売上規模 1 兆円を誇る総合スーパーでしたが、銀行の不良債権処理とデフレ不況の煽りを受けて経営不振に陥り、その店舗から撤退することとなったのです。立地が良かったため、後継候補のテナントは何とか見つかったものの、建物がそのままでは借りていただくことができません。交渉の結果、当社側での建物改装の追加投資の負担やテナント賃料の減額を受け入れざるをえない状況に陥ってしまいました。顕在化した建物所有のリスクを一身に浴びてしまったのです。
建物はそもそも経年劣化します。そして、特定の業種やテナント専用につくられた建物は、使用するテナントや業種が変わると価値が失われ、莫大な追加費用がかかってしまいます。他者が使用する建物を所有することはこれほど恐ろしいことなのか・・・。この経験を通じて、松岡は「そもそも建物を持たずに土地だけを貸せば、失敗に至らなかったのではないか」という発想を持つに至ったのです。現在の JINUSHI ビジネスが生まれた瞬間でした。
リーマン・ショックがJINUSHIビジネスへの理解浸透の契機
底地特化のビジネスモデルは、当初、不動産業界ではまったく相手にされませんでした。
「不動産とは建物と土地がセットであるのが常識」、「建物を建てることが不動産開発のロマン」とされていたためです。銀行にも、建物と土地がセットでないと融資してもらえない、もしくは価値を半値程度にしか評価してもらえない有様でした。底地の所有者は、個人地主や開発を前提とするデベロッパーが殆どであり、底地の流通マーケット自体が存在していなかったことも大きな要因でした。
会社設立から 7 年経った 2007 年に名古屋証券取引所セントレックスに上場した頃より、世の中に存在していない底地ビジネスの市場創出のためには、「自分達だけが良い商品と言っても伝わらない。他人に所有してもらって、その良さを実感してもらうことが必要ではないか」、「良さを実感してもらえれば、底地保有が投資機会になると知ってもらえるのではないか」と考え、意図的に、底地をつくっては外部へ販売し、底地マーケットの創出に注力してきました。それでも、底地特化のビジネスモデルへの理解はなかなか進みませんでした。そうこうしているうちに発生したのが、2008 年のリーマン・ショックです。
多分に漏れず、当社も苦境に陥り、現預金が枯渇する寸前にまで追い込まれるほどでした。とにかく保有している物件を誰かに買ってもらう必要がある。探しに探し当てた先が、誰もが知っている企業のオーナー家の資産管理会社でした。こうした資産管理会社は資産運用の手段として不動産を保有していることもあり、不動産の投資、運用の大変さやリスクを、身をもって知っていたのです。そして、当社の底地投資の物件においてテナント退去や借地料減額が発生していないこと、金融業界全体の信用収縮局面でもキャッシュ・フローの安定状態を維持できていることに気づき、「なるほど。底地投資は素晴らしい」評価いただいたのです。
こうして、リーマン・ショックは、底地投資の高い安全性への理解の醸成と、底地特化のビジネスモデルの認知度向上の契機となりました。同様に、2011 年に発生した東日本大震災もまた、他の不動産関連投資と比べて、JINUSHI ビジネスが「長期に安定し、マーケットボラティリティや自然災害にも強い」特徴を持っていることを知らしめる機会でした。
地主リートとともに「日本の大地主を目指す」ビジネスモデルを確立
その後当社は、JINUSHI ビジネスの開発実績を積み上げていき、J-REIT等にも底地を売却するようになりました。2012 年には、年金基金向けの不動産私募ファンド「JINUSHI ファンド」を組成したほか、2014 年にはケネディクス商業リート投資法人(現・KDX 不動産投資法人)にパイプラインサポート会社として参画するなど、リート運営のノウハウを獲得していきました。
ノウハウと実績を蓄積していくのと合わせて、資産運用に関する許認可取得を進めていき、2016 年 4 月に地主アセットマネジメントを設立。西羅が地主アセットマネジメントの代表取締役社長に就任しました。そして同年 9 月に地主プライベートリート投資法人(地主リート)を設立し、2017 年 1 月に運用を開始したのです。
西羅が地主リートの責任者となってまず行ったことは、数カ月で意思決定者に直接アプローチできる信用金庫や信用組合等約300社をまわったことです。出資同意を取り付けたのは 1 割程度。その後も投資家及びレンダーとのコミュニケーションを深めていき、投資対象としての底地の魅力を伝えていきました。それは言わば、投資機会としての底地マーケットをつくり上げていくことであり、地主リートの成長とともに「日本の大地主」へつながる道でした。
社名変更と経営の承継
2022 年 1 月に、当社は「日本商業開発」から「地主」に社名を変更しました。
初期の頃、当社が取り扱っていた物件は、住宅地に近接したスーパーやドラッグストアなどの商業施設、生活必需品を扱う事業者に土地を貸すものがほとんどでした。同種の事業者向けも引き続き伸ばしていますが、今後は、ホスピスや老人ホームなど、社会インフラを担う事業者含め、様々なテナント業種に積極的にアプローチしていく方針を採るため、「商業開発」の範囲では収まらなくなってきたのです。
社名変更と時を同じくして、経営の承継も始まりました。2022 年 3 月に、それまで代表取締役社長であった松岡が代表取締役会長 CEO となり、同時に西羅が代表取締役社長 COO に就任しました。2023 年 3月には、松岡は代表権のない取締役に、西羅が代表取締役社長として、経営全般に責任を持つ体制となりました。
トヨタ自動車が開発した生産管理手法「かんばん方式」は、「KANBAN」という英語となった。西羅の夢は、地主であることに特化するモデルが「JINUSHI」という英語で通用するようにすることです。
当社は、過去の失敗案件の経験から、「底地に特化することで、テナントから入ってくる安定的な借地料をもとにした不動産金融商品を提供する」という JINUSHI ビジネスの正しさの確証を得て、底地専業のパイオニアの地位を確立しました。しかし、それは、不動産業界としての非常識に挑み、華やかさが乏しいと業界の多くの人が考えている地味な取引をひたすらに続け、地道に実績を積み上げていくことで成し得たものなのです。
お読みいただきありがとうございました。ぜひ「前編:JINUSHIビジネスとは」もお読みください。