豊臣埋蔵金伝説を追え(二)
高瀬 甚太
湯浅よしみの夫と思われる男が病室を出た後、しばらくして、祖父と若年の男性、年増の女性の三人が順番に病室から出てきた。三人がエレベーターに乗るのを確認して、私はよしみの部屋の扉をノックした。
「はい」
と声がしたのでドアを開くと、ベッドにこそ座っているが意外に元気なよしみが笑みを湛えて私を迎えた。
「大丈夫ですか?」
と尋ねると、よしみは小さく首を振って、
「スタンガンのショックで元から弱い心臓がやられて――、医者の話では、よく助かったものだ、ということでした。何とか一命を取り留めましたが、一週間は安静にしておくように言われて、退院するのは一週間後です」
と答えた。
「奪われたのは資料のみと聞きましたが――」
「そうなんです。編集長にお届けする資料をすべて奪われてしまいました」
よしみは悔しそうな表情を浮かべて言った。
「内容はどのようなものだったのですか?」
「湯浅家に先祖代々伝わる奥義や秘伝を記した口伝の書と呼ばれるものと、湯浅家に伝わるお茶の書――」
「お茶の書……ですか?」
「ご存じのように豊臣秀吉はお茶が好きで、自分だけではなく家臣にも奨励していましたから、お茶に関する書は結構多いのです。湯浅家にも湯浅家なりの流儀がありまして、それを詳しく説明しています」
「他には何か?」
「湯浅家近辺の地図を記したものと、江戸時代に記された日記です」
「すべて貴重なものですね――。今回、それらを持ち出すにあたって、どなたかにご相談なさっていますか?」
「はい、一応、湯浅家にとって重要なものばかりですので、家長である祖父と、義母には話をしています」
「祖父と義母と申しますと、先ほど見舞いに来られていた方ですか?」
「はい、もう一人の若い男は私の弟です」
「お二人以外に、今回の件を話している方はおられませんか?」
よしみはしばらく考えた後、
「夫に話しています。それだけですね」
「今回のスタンガン事件ですが、奪われたのが金品ではなくて、私のところに持って来る予定の資料だけということであれば、あなたが話された方以外、犯人は考えられませんね」
よしみは驚いて、
「祖父と義母と主人ですよ! 私を襲うなんて考えられません」
と激しく私に抗議した。
「よく考えてください。あなたがその方々に今回のお話をする時、誰か他に人がいませんでしたか?」
「……」
「思い出してください。資料をあなたの手から奪った犯人は、あなたが豊臣家の埋蔵伝説の謎を解こうとしていることを知って、奪った可能性があります。一つの理由は、埋蔵伝説の謎を解かれたくないという思いから、もう一つは埋蔵伝説を自分で解こうと考えたから、最後は、埋蔵伝説とは関係なく、湯浅家の秘密を探られたくないという思いから。考えられる限り、この三つがあります。どちらにしても湯浅家に係る者の犯行と考えて間違いがないと私は思います」
「でも――、私は信じたくありません。湯浅家に関わる者が私を襲ったなんて――」
「そりゃあ、そうでしょう。だが、現実にあなたは襲われ、資料が消えてしまった。よしみさん、申し訳ないが私に湯浅家の内情を話していただけませんか?」
「湯浅家の内情?」
「そうです。豊臣時代から続く旧家です。何もないはずはないと思います。それは埋蔵伝説にもおそらく関係のあることではないか、と私は思っています」
よしみは、小さくため息を洩らし、じっと考え込んでしまった。
病院の個室はまるでホテルの部屋のように見える。静寂が部屋全体を覆い、まったくの密室になっている。このような閉ざされた空間の中にいると、ポジティブな考えは浮かんで来ない。よしみもそうなのではないかと思った。ありとあらゆる疑念が彼女を襲っている。そう見えた。
「編集長、私が埋蔵伝説を探し出したい理由をお話ししましたよね」
「ええ、聞きました。災害基金にしたいのでしょう」
「そうです。――でも、その他にもう一つ、理由があります」
「もう一つの理由? それを聞かせていただけますか?」
「はい。財宝が見つかれば、私、そのお金で湯浅家を解体したいと思っています」
「湯浅家を解体――ですか?」
「湯浅家はもうどうしようもなく腐っています。一見、普通の家庭のように見えますが、実際はそうではありません」
「それはどういう意味ですか? もしよければそのことについてお話しいただけませんか」
よしみは覚悟を決めたのか、うなだれていた首を持ち上げるようにして、
「お話しします」
と、はっきりとした口調で言った。
――湯浅家は広大な敷地と家屋を抱え、これまで何とかやって来ました。しかし、それも、もう限界に近づいています。旧家にありがちな税務の対応に追われ、資金も底をついているといった状態です。
祖祖父の代から始めた不動産業もバブルで失墜し、多額の借金を抱えたことが尾を引いて、湯浅家の台所は火の車です。
祖父も父も殿様商売で、プライドだけが高く、商売には不向きな体質です。不動産業以外にもさまざまな商売に手を広げましたが、社会が好況の頃ならまだしも不況の今は、そうした殿様商売で経営が成り立つわけもなく、祖父が高齢ということもあって引退し、父が病弱で入退院を繰り返す中で、 私の主人が経営を切り盛りすることになりました。
私の夫は国立大学の文学部出身で、経済にはからきし駄目な方ですが、湯浅家の入り婿となったことから事業を継承せざるを得ませんでした。何とか盛り返しましたが、よくなればよくなったで、義母――、母は若くして亡くなり、母の死後、父は新しい母を迎えました。義母は野心家で金に執着を燃やすタイプの人ですから、夫の経営にあれこれと嘴を挟むようになりました。夫はそれがたまらなく嫌なようで、何もかも放り出して家を出たいと言い出す始末です。夫と義母の関係は最悪で、祖父や弟ともうまく行っていません。辛くも病に伏している父親だけが夫の味方ですが、湯浅家は今、分裂状態となっています。
祖父から埋蔵伝説の話を聞かされた時、私はその伝説を信じてはいませんでした。子供の頃から豊臣家の埋蔵金を湯浅家が秘匿しているといった話は、耳にタコができるぐらい聞かされて来ました。湯浅家の先祖たちは誰もがその埋蔵金を探そうと必死になって追いかけてきたとも聞かされてきました。しかし、先祖の誰も埋蔵金に行き着いていません。
祖父に埋蔵金の隠し場所を記した文書と鍵を貰い受けた時も、半信半疑でした。仮に埋蔵金があったとしても、祖先の誰もが探し出せなかったものを私に探せるはずがないと思いました。夫にも埋蔵金の話をしたことがありますが、彼はあまり関心を見せませんでした。むしろ、その話を聞いた義母と弟の方が私に、その文書と鍵を見せてくれと言い出す始末です。
夫が、『その金を探し出したら、この家をぶっ壊し、残った金を災害基金にして、俺たちの家族だけで新しい場所に移り住みたいものだ』と私に言いましたが、私も同じ気持ちでした。見つけ出せるか出せないか、一度チャレンジしてみよう、そう思ってさまざまな方に相談をし、行き着いたのが編集長、あなたです。私が編集長に相談したことは、湯浅家の家族のほとんどが知っているはずです。祖父に報告していますから。ただ、編集長に資料を渡して謎解きの相談をすることを知っているものは、先ほどお話しした祖父と義母、夫の三人です。
でも、私には三人が私を襲い、資料を奪ったとはとても思えません。門外不出だから持ちだすな、そう言えばいいだけの話なのですから――。
よしみの体調を考慮して、その日、私はその話を聞いただけで病院を後にした。資料があっても文書の謎が解けるかどうかわからない。文書が何を意味しているのかさえもわかっていないのだから雲をつかむような話だった。それなのに、犯人はよしみにスタンガンを照射してそれを奪った。それはなぜか――。
元々、埋蔵金の話自体が眉唾もので、実在するものかどうか判然としていない。埋蔵金は先祖伝来、湯浅家に伝えられてきたもので、いわば湯浅家の希望の灯だった可能性がある。よしんば埋蔵金の話が真実であったとしても、これまで解けていない謎があっさり解けるとは到底、考えられない。それなのに、私に資料が渡ることを恐れたのはなぜか。なぜ、私に資料を渡したくなかったのか。
事務所に帰った私は、よしみに見せてもらった、埋蔵金の在りかが示しているとされる文書のコピーをもう一度、見直してみた。
理解不能の文字が並ぶ文書は、読めないだけでなく、文書としても成り立っていないように見える。そういうところからして、いかにも暗号のように思えてくる。
一度、文書という観念を捨てて、見直してみたらどうだろうか。そう考えて私は、よしみに湯浅家に伝わる資料を見せてくれるよう依頼した。資料の中にこの文書とぴったり符合するものがあるのでは、と思ったからだ。
『読む』のではなく『見る』に視点を変えて、文書を見直してみるのも一考だと思ったが、それにしても難解な文書であった。
その時、私は不意に、よしみが言っていた言葉を思い出した。
――「湯浅家に先祖代々伝わる奥義や秘伝を記した口伝の書、湯浅家に伝わるお茶の書と湯浅家近辺の地図を記したものと江戸時代の日記――」
お茶と地図、そして日記。この三つがヒントになりはしないか、そう考えて熟考した。
文書が記された最大の目的は埋蔵金の在りかを示すもので間違いがない。鍵は、その場所に行き着いた時に使うものであろう。埋蔵金の在りかを示すものであれば、埋蔵金を隠した場所の地名、地域であるはずだ。そうすると、このへんてこりんな、文字ともいえない何かが場所や地名を暗示していると思って間違いない。
だが、文書にはそれを窺わせるものが何もなかった。もっともそれがわかれば、すでに埋蔵金は発掘されているはずだ。
文書を見ているうちにいつの間にか私はウトウトと居眠りを始めた。
話し声が聞こえてきた。何の声だろうか。耳を澄ますとそれが四、五人の声だとわかる。
「秀吉さま亡き後、五大老の徳川家康と前田利家さまの間で亀裂が起こり、衝突が不可避になり申した。このままでは――」
薄目を開けて見て驚いた。戦国武将たちがひそひそ話をしている。一体、何が起こったのか。徳川家康と前田利家――。伏見桃山の時代ではないか。
豊臣秀吉はその晩年、五大老と五奉行の制度を整え、諸大名に実子の豊臣秀頼に対する臣従を誓わせ、伏見城で死去した。徳川家康一派と前田利家一派の確執が深まったのはこの時期だ。武将たちはそのことを話している。
「湯浅どの、こちらへ」
湯浅どの――?
「ははっ」と湯浅らしき武将が前へ歩み寄る。
「秀吉さま亡きあと、再び、戦乱の世になるやも知れぬ。秀吉さまの遺産はすべて秀頼さまに継がれるが、そのままにしておくと乱に至った時、どうなるかわかり申さぬ。そこでじゃ、湯浅どの、そちを見込んで頼みがある」
夢でも見ているのか――。それにしてはあまりにリアルな夢だ。それとも何かの拍子にタイムスリップでもしたのか。わけがわからなかったが、よしみの先祖がここにいる。
「秀吉さまの財宝を城より運びだし、一刻も早くそれを人の目につかぬわからぬ場所へ隠してくれ。豊臣家が滅ぼされるようなことがあれば、その財宝を豊臣家再興のために使い、豊臣家が無事であればその財宝を再び、元に戻す。それまでお前が預かっておいてくれ」
よしみの言っていた先祖伝来の豊臣家の財宝は本当にあったのだ。
「かしこまりました。今晩にでも移動させ、誰にも見つからぬよう秘匿致しまする」
恭しく頭を下げて、湯浅が席を辞す。
私は、よしみの祖先、湯浅の後を追いかけた。それにしても、ここにいる者たちは私の姿が見えないのだろうか。誰も私の存在を気にしない。
湯浅は、ごく少数の精鋭を選び、それらを引き連れて城に向かうと――、この時の城がどこであるのか判然としなかった。伏見桃山城であるのか、大坂城であるのか、それともまた別の城なのか。夜半、城に入った湯浅は、用意した大きな衣装箱に財宝を次々と入れると、五箱ほどで満杯になり、それを荷車に乗せて夜の道を走り始めた。
山の中のようであった。木々が立ち並ぶ中、湯浅が指示をして穴を掘らせる。深い穴が二つ出来、その中にロープで縛られた財宝の入った箱をゆっくりと落としていく。深い闇のせいか、場所がどこであるかまるで見当も付かない。
「よし! ご苦労であった。そこへ並べ」
土の中へ財宝を落とし入れたところで、湯浅が家臣を呼んだ。全員で一〇名の家臣がいたが、その一〇名を湯浅が次々と切り殺して行く。財宝の隠し場所が他に知れるのを恐れたのであろう。湯浅は切り殺した家臣たちを財宝を隠した穴の中へ落とし込み、そこへ土を流し込んで行く。
鬼気迫る光景を私は震えながらそのすべてを見守った。
森林地帯であることだけが辛くもわかるだけで、それ以上のことはまるでわからない。
湯浅は血糊の付いた刀を葉で拭き、懐に入れた和紙を取り出すと、その場で何事か記し始めた。財宝を隠した場所を忘れないためのものであろう。
通常、こうした山林の土地のある一点、隠し場所を記すのであれば、位置を正確に記しておく必要がある。湯浅は暗闇の中でしきりに東西南北を見回し、天を見上げて星の位置を気にしている。慎重な動作を繰り返した後、湯浅は埋めた場所に苗木を数本植え始めた。
すべての行動を終えた湯浅は、ゆっくりと山道を歩き、やがて下り始めた――。
椅子からずれ落ちそうになって目が覚めた。いつもの事務所である。やはり夢を見ていたのか。そう思って床に落とした文書を拾って驚いた。
へんてこりんで読むことも見ることもかなわなかった文字が今は鮮明に読めるのだ。なぜなのか。私は文書を凝視した。
『木幡山中腹より山林に入り、南西に百歩を数えし場所。ブナの苗木を五本植え、中天に星を数える位置、土深くに太閤様の財あり』
どうして読めるのか。わけがわからないまま、「霊」に関することではないかと直感した私は、劉王寺の川口慧眼和尚に電話をした。
放浪癖のある慧眼和尚は度々、寺を離れて旅に出る。今回もそうではないかと危惧したが、幸い慧眼は寺にいて、すぐに電話に出た。
「どうした。また事件か?」
慧眼は私が霊に関わる事件に出会うと、私がすぐに電話をしてくることを知っている。
「そうなんだ――」
私は、湯浅よしみに依頼された件、よしみが被害に遭った話、その後、埋蔵金の隠し場所を記したと思われる文書を見ていて居眠りをし、見た夢の話をかいつまんで話し、その後、目を覚まして文書を見直すと、文書の文字がしっかりと読めたという話を慧眼和尚にした。
「それは霊の仕業だよ」
慧眼和尚はあっさりと言ってのけた。
「霊の仕業?」
「ああ、そうだ。古い時代の文書にたまにだが霊文字というのがある。普通に読んでもわからないが、何かの拍子に霊が出現し、それを目撃すると読めるようになるという稀有なものだ。滅多に聞かないが、本当にそういうことがあるんだな」
「弊害はないか?」
「弊害?」
「ああそうだ。文書を読めたのはいいが、霊に何か、悪さをされないかということだ」
慧眼和尚は少し考えた後、
「多分、何もないだろう。井森は今回の場合、目撃者であって、井森の存在に霊たちは気付いていないはずだ。だから大丈夫だとわしは思う」
「霊文字――。初めて聞く名前だ」
「私も存在だけは知っていたが実際に話を聞くのは初めてのことだ。お前の好奇心と、持って生まれた霊感が戦国時代の霊たちを導いたのかもしれん。何にしろ、良かったじゃないか。財宝の在りかがわかって――。しかし、これからが問題だな。ひと騒動あるぞ」
慧眼はそう言って電話を切った。
翌朝、私はよしみの入院する病院へ向かった。
見舞いの時間は10時からだったが、事件のことに関することで、警察がらみであることを匂わせてよしみの病室へ入った。
「どうしたのですか、編集長? こんなに早く」
「文書の謎が解けました。それをお知らせしようと思って――」
よしみは最初、信じていなかった。私が悪い冗談を言っていると思ったようで、
「だめですよ。編集長」
と言って笑ってみせた。
「違うんだ。本当のことなんだよ」
私は、よしみに、戦国武将たちの霊を見たことを話し、よしみの祖先である湯浅の後をつけたことを話して聞かせた。
「暗号でも記号でも、湯浅家の資料に頼る必要のないものだった。多分、それまでも霊たちは度々現れていたのだと思うが、残念なことに通常の人間にはその姿が見えない。たまたま私がそれを見て、見たことによって霊文字で書かれた文書が見えるようになった」
よしみは、私の話に興味を示したが、やはり半信半疑の様子だった。
「ただ、この話はまだ誰にもしないようにしてください。あなたを襲った犯人が誰であるか、それを探し出すまでは内緒にしておきましょう」
私の言葉によしみが深く頷いた。
よしみは意外に早く五日目に退院することができ、夫が迎えに現れた。よしみは、夫の顔を見るなり、
「埋蔵金の在りかを示した文書の謎を編集長が解いてくれたのよ」
はしゃぐようにして言った。
夫は、エッという顔をして私を見た。夫も半信半疑だったのだろう。私を見る視線に興奮はなかった。この時、初めて私はよしみの夫の名前を知った。湯浅俊之、それが彼の名前だった。
よしみの夫、俊之の運転する車に同乗した。
「お仕事の方はどうですか?」
後部座席に座った私は、運転する俊之に尋ねた。不動産業を営んでいることはすでによしみに聞いて知っている。
「マンションはまだマシですが、土地の売買はまったくですね。不況の影響もあるのでしょうが、うちだけじゃなく、他の不動産も同様のようです」
と説明した後、俊之が私に聞いた。
「先ほど、よしみが言っていましたが、埋蔵金の在りかがわかったというのは本当ですか?」
「いえ、文書の謎が解けたということだけで、埋蔵金の在りかに本当に直結しているかどうかわかりません」
「それでも先祖伝来、解けなかった文書の謎を解いたというのはすごいですね」
「いえ、偶然ですよ」
「じゃあ、よしみが奪われた資料というのはもう関係ないのですか?」
「そうですね。今のところは無関係だと思われます」
俊之はふと安堵の表情を浮かべた。
〈つづく〉
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