生と死の境を写す謎の写真家(前編)

高瀬甚太
 
 「青木昭雄という写真家をご存じですか?」
 と見知らぬ人に聞かれたので、
 「よくは知らないが、名前ぐらいなら知っています。有名な方だから」
 と答えた。
 すると彼は、
 「青木さんがご病気になられたことをご存じですか?」
 と、再び私に聞いた。
 「青木さんがご病気? どんな病気にかかられたのですか?」
 「それが――」
 と彼は口ごもり、
 「奇妙な病気なんです」
 と言う。
 「奇妙な病気?」
 好奇心に駆られた私は、つい聞いてしまった。彼は、それを待っていたかのように、
 「井森編集長にお願いがあります」
 と言い、「青木さんを助けてあげてください」と言った。
 「どういうことでしょうか?」
 聞くと、彼は一つ大きなため息をつき、私を見つめた。
 
 ――青木昭雄は著名な写真家である。風景写真を専門としているが、時には人物写真も撮る。五十代半ばの年齢でいながら、三十代を思わせるエネルギッシュな作品を撮ることで知られており、印象的な写真の数々で名を売った人だ。
 青木の写真の中で最も有名なのは、『揺れる並木林』という作品ではないだろうか。彼はこの作品で数々の賞を受賞し、一躍、時の人となった。それが十五年前のことだ。
 『揺れる並木林』は、並木林を撮影したものであるが、通常とは違う景観を醸し出していた。並木林が揺れる風景を撮影したものだが、それぞれ微妙に並木の揺れ方が違い、あたかも一本、一本の並木、枝、葉が生きているように見えると評判になり、その後も青木は景色そのものがまるで生き物であるかのような写真を撮り、一躍時代の寵児になった。
 だが、ここ二年ほど、青木の噂をまったく聞かなくなった。作品の発表もなく、個展の開催もしておらず、人前にまったく出なくなったのである。
 その青木が病気になったと、今日、私の元を訪れた人物、三木譲二が教えてくれた。三木と私は初対面で、今まで一面識もない。その彼がなぜ、私のところへやって来たのか、不思議でならなかったのだが、彼は、まず、その理由をこう語った――。
 「私と青木とは先輩、後輩の間柄で、私は彼のセンスを学生時代から買っていました。何かきっかけを掴めば、一気に人気者になる。彼はそんな期待を抱かせる人物でした。
 私の仕事は画廊の経営で、大阪市内の北区にいくつか画廊を持っていますが、その画廊で彼の写真展を何度かやりましたが、いつも好評で、たくさんのファンが押し掛けてきて、大変な目に遭ったことがあります。
 彼の作風が人気を呼び、どんな写真の撮り方をしているのか、と話題になりましたが、彼は一切、それを明かしませんでした。毎年、写真集を1冊か2冊発表し、個展を数回行うなど、精力的に活動していたのですが突然、三年前から表に出なくなり、引きこもり状態になってしまいました。彼のことが心配で何度か家を訪ねたことがありますが、彼は私に会おうとはしませんでした。
 完全に引きこもりになってしまった彼のことを私なりに調べました。すると、医師の証言から一つのことがわかりました。
 「霊が憑依したのではないか」
 青木を診察した、その道に詳しい専門家が私に説明をしました。青木の実態を見ていない私には具体的なところはまったくわかりません。ですが、想像はできました。
 霊が憑依するなど、馬鹿馬鹿しいと思いましたが、実際にそういったことが起こり得るということを、様々な事例を通じて教えられました。
 青木を救い出すために、私はあらゆる医師、霊媒師、さまざまな関係者に相談しましたが、満足な回答を得られませんでした。
 他の専門家はすべて自身の定規で青木を計ろうとするので、青木の心の中に入って行くことができません。まず、青木の心の中に入って行く。そして憑依した霊と対峙する。それが必要ではないかと私は考えました。
 他の専門家たちは、憑依した霊を取り祓うことに執着し、青木の肉体、精神を考えようとはしません。私は、そのことが不満でした。なぜ、青木がそういう状態になったか、青木は果たして元の肉体と精神を取り戻すことができるのか、そんなことを考えているうちに、井森編集長、あなたを紹介していただきました。あなたなら、青木の精神、肉体を第一に考えて、憑依した霊と話すことができると――。
 「とんでもない!」
 と私は三木に答えた。
 「私は一介の編集長で、何の能力も技も持ち合わせていない。ましてや、専門家たちが満足に対処できないものをどうして私に解決できましょう」
 しかし、三木は動じなかった。
 「編集長が、これまでさまざまな問題を解決してきたことを耳にしています。私が求めているのは、井森編集長、あなたのような人です。技で霊と戦う専門家は、たとえ霊を克服したとしても、その人物を真に蘇らせるかどうか、難しいのではと、私は思っています。私は青木の才能を惜しんでいます。彼を元通りの写真家に復権させてやりたい。そのためには、ただ、霊に強いというだけの人はふさわしくありません。喧嘩に強い人よりも、その原因を究明して、霊との仲裁を図ってくれる人――。そう考えると、あなたしかいませんでした」
 買い被りにもほどがある。そう思った。確かに私は、能力の有無に関わらず、これまでさまざまな霊と対峙してきた経緯がある。しかし、それは偶然の産物で、たまたまといった表現がぴったりの結果しか生んでいない。決して私の能力ではないのだ。そのことを三木に知ってもらう必要があった。そう思い、三木にそのことを告げようとすると、
 「お金なら編集長の言い値で結構です。失礼だとは思いましたが、こちらの会社の内情を調べさせてもらいました。かなり厳しいと窺いましたので、手付金として百万円、中間金として百万円、成功報酬として三百万円、計五百万円をお支払させていただきます。もし、それでも不服のようでしたら、おっしゃってください。検討させてもらいます」
 確かに経済状態は逼迫していた。支払期限が二、三日後に迫っているものもいくつかあったし、ここでそのお金をいただけるとしたら、少し気持ちが落ち着く。だが、だからといって、私に解決できるものかどうか――。
 「もし、解決できなかってもそれはそれで仕方がないと思っています。その場合でも手付金、中間金は予定通りお支払させていただきます。安心して取りかかってください」
 お金を目の前に積まれてしまうと、心が揺らぐ。揺らぐ心がイエスと言わせてしまう。
 「わかりました。そこまでおっしゃってくださるのでしたらお受けします」
 三木は安堵した表情で私を見て、セカンドバッグから百万円の小切手を取り出した。
 
 その日、私は一晩かかって青木の写真集、書かれたものを調べた。青木の写真は、これまでにも何度か目にしたことがあったが、改めて見直してみるとその凄さがよくわかった。
 何の加工もなく、ありのままの姿を撮影しているだけなのに、青木の写真には、並木であれ、花であれ、動物であれ、すべてのものに不思議な生命力があった。たとえば、彼を一躍有名にした『揺れる並木林』だが、並木の一本一本の揺れ方が微妙に違う。それぞれが生命を持って立っているように見えるのだ。そして何よりも重要なことがもう一つあった。光の捉え方が実にうまいのだ。光を面で捉えるのではなく、青木の写真は光を点と線で捉えている。それが並木に微妙な陰影を与え、生き生きとさせる要因ともなっていた。
 他の写真も同様であった。彼は実に繊細で巧妙な芸術家で、観る者を飽きさせない魅力を有した写真家と言えた。
 しかし、作品をずっと見ているうちにあることに気付かされた。年代を経るごとに、写真がどんどん変質していくのだ。
 近年の作品に、日本海の潮流を捉えた『波の声』という作品がある。どのようにして撮影したのかわからなかったが、日本海の海面を捉えた、ただそれだけの写真なのに、タイトル通り、波の声が今にも聞こえてくるような出来映えになっていた。しかも、光の表現が秀逸で、初期の頃の表現とはまた違った味わいを感じさせた。
 基本的に風景写真がほとんどだが、そんな中に猫の写真があった。子猫ではない、かなり年齢の高い初老の猫である。猫が日向ぼっこをしている、それだけ聞くとほのぼのとした写真を連想させるのだがそうではなかった。光と影の扱いによるものなのかどうか、一見すると猫が日向で眠っているように見えるが、よく見ると、猫が死んでいるようにも見え、生きる気力を失った年老いた猫が運命に逆らい、生に執着しているようにも見えた。
 それは風景写真にしても同様のことが言えた。以前は生を謳歌していたものが、近年になるに従って、生と死の境界にいて、ひたすら生を享受しようともがいているような姿が見えた。もっとも、これは私の感覚であって普遍性のあるものではない。
 青木の履歴を調べてみた。彼はどういうわけか、すべてを不詳にしていた。どこで生まれ、育ち、どこの学校を出て――、すべてのことを秘匿していた。なぜだろう。彼の作品と彼が過去をひたすら隠そうとするもの、それがわかれば対処法もわかるのだが――。
 どうにかして青木に会えないかと考えたが、親友の三木が会えないのに、私に会えるわけがない。電話も通じなければ、家を訪ねても応答がない。思案した私は、いろいろ探っていくうちに青木に妹がいることがわかった。青木の写真集を発行している出版社に学生時代の後輩がいて、その後輩に青木のことを尋ねているうちに妹の存在がわかり、たまたま、後輩が青木の妹の所在地を知っていたことから、豊中に住む妹を訪ねることにした。
 阪急電車S駅で下車し、10分ほど歩いた閑静な住宅街の一角に青木の妹、佐田美由紀の住まいがあった。
 チャイムを鳴らすと子供の声がした。
 「どなたでちゅか?」
 舌っ足らずの声の対応に驚くと、すぐに大人の女性の声に変わった。
 「失礼しました。佐田ですが、どちら様でしょうか?」
 私は後輩の名前を告げ、その彼に住所を聞いて訪ねたと話した。
 佐田美由紀は、後輩をよく知っているようで、それで安心したのか、「どうぞお入りください」と言ってドアを開けた。
 応接室へ通され、しばらくすると女の子が顔を覗かせた。
 「こんにちは」
 挨拶をすると、女の子は慌てて顔を引っ込め、続いてドタドタと廊下を走る音がした。入れ替わりに美由紀がお茶を運んできて、
 「いたずらっ子で困っているんです」
 と娘のことを話し、「もう三歳になるのにねえ」と付け加えた。
 私は、美由紀に、
 「極楽出版の井森と申します」
 と挨拶し、今回、訪問した用件を伝えた。
 「兄が引きこもり状態になってすでに三年を数えました。私も兄に会えない状態で、電話をしても出ません。病気だと聞いていますが、どのような病気なのか見当が付かないというのが現状です」
 私はガッカリして言葉を失った。妹がだめならいよいよもって仕方がない。青木に会うための方策が完全に閉ざされてしまったと思った。
 「私が電話をしても、夫が心配して電話をしても出ないのに、娘のあかりが電話をすると出るんですよ。不思議でしょ」
 美由紀の言葉にハッとした。
 「あかりと言いますと、さきほどの女の子ですか?」
 「そうなんです。なぜか、あの子が電話をすると電話に出て、しばらく話しているんですよ。あかりに『誰に電話してたの?』と聞くと、『おじちゃんと』と答えるので、『お母さんの兄さんのことか?』と聞くと、『そうだよ』と言うのです。『なんでお母さんに代わってくれないの』と叱ると、『おじさんが代わらなくていいと言ったの』と言うのです」
 そうか。青木は娘とは話すのか――。私は、あることを思い付いて美由紀に相談をした。
 青木の親友である三木に依頼されたこと、青木が奇妙な病気にかかっていること、このまま放っておけないので、私が動いていることを話し、青木とコンタクトを取るために、娘さんの協力を得たい旨を話した。
 美由紀は困惑した表情を浮かべ、すぐには返事をしなかった。
 「お兄さんの家を訪問する時、娘さんに、私と一緒に同行してもらえばありがたいのですが。多分、お兄さんは娘さんの声を聴けばドアを開き、対応すると思います。会えば後は何とかします。今のままではどうすることもできなくて――」
 美由紀は、私を見つめて言った。
 「わかりました。では、私も一緒に行きます。それでいいですか?」
 私に異論のあるはずがなかった。早速、今日にでもいかがですか? と尋ねると、美由紀は大丈夫ですと答えた。
 
 阪急電車に乗車し、箕面駅で下車した私たちは、駅でタクシーを拾い、青木の住所を告げた。車で十数分、少し山間に入った閑静な場所に青木の邸宅があった。
 電車の中で、美由紀の娘、あかりは大人しくしていた。だが、タクシーを降りて、そこが青木の家だと知ると、とたんに元気になった。
 「あかりは、うちの兄が大好きなんです。この家にも何度か遊びに来たことがあって、それで嬉しいのでしょう」
 はしゃぐ娘を眺めながら美由紀が言った。
 あかりがチャイムを鳴らすと、青木の声がした。
 「おじちゃん、あかりでちゅ」
 あかりが名前を告げると、チャイムの向こうにいる青木が、
 「どうしたの?」
 と聞いた。
 「遊びに来たのよ」
 とあかりが元気な声で返事をすると、閉じられていた門が開き、三人を招き入れた。
 庭を横目でみながら玄関に立った。あかりは青木に会えるのが嬉しいのか、先ほどからはしゃぎっぱなしだ。
 玄関のドアはなかなか開かなかった。しびれを切らしたあかりが、ドアをトントンと叩いた。それが合図のようにドアが開き、中年の女性が顔を出した。
 「お待たせいたしました」
 青木は独身と聞いていたので、家政婦か何かだろうかとは思ったが深い詮索はしなかった。
 女性に案内されて応接室に入った。
 「先生はご気分が優れませんので、時間があまり取れないようですが、お会いすると申しておりますので、もうしばらくお待ちください」
 女性は私たちに丁寧な挨拶をして、応接室を出て行った。あかりはかつて知った部屋の中で、飾ってあるもの、手の届くものを触って一人、はしゃいでいる。
 「長い間、兄と会っていないのですよ」
 と美由紀は語った。
 「両親を交通事故で亡くしてから、私は兄に育てられたようなもので、兄のおかげで大学まで出させてもらい、結婚も兄の世話でし、何から何まで兄の世話になりっぱなしなのです。その兄と満足に連絡が取れなくなって三年になります。病気をしたと聞いてはいたのですが、どんな病気かさえわからず、ずっと心配してきました。娘のあかりと連絡を取っていたなんて、今日、初めて知って驚いています」
 やさしい物腰の美由紀は、よほど兄のことが心配なのだろう。私に話しながら、時折、顔を曇らせてため息をついた。
 三木は、青木のことを奇妙な病気としか言わなかった。その口ぶりからみて、霊的症状であることが窺えた。霊が憑依したとも語っていたが、それがどのようなものなのか、一向に見当が付かなかった。
 冷たい冷気が部屋の中へ流れ込んだかと思うと、それと同時に一人の男性が現れた。
 「あかりちゃん、いらっしゃい」
 人間の声とは思えない、土の底から響いてくるような声がした。その男を見て、あかりはポカンと眺めてすぐには動作に移せないでいる。誰かわからないのだ。
 美由紀も最初はそうだった。だが、美由紀は立ち上がると、
 「お兄ちゃん、お兄ちゃんなんでしょ。どうしたの?」
 と、声を上げて兄の名を呼んだ。あかりはまだ、口を開けたままポカンとしている。
 青木は、頭の上からすっぽり頭巾のようなものを被り、服装もやはり体型がわからぬようにするためか、上から下まで寸胴の服を着ていた。これでは青木かどうか判然としない。
 しかし、美由紀にだけはその存在が青木とわかるようだ。美由紀が近づこうとすると、
 「来るな! 近寄ってはいけない」
 と、青木が美由紀を制した。
 私は、青木の前に立ち、青木に言った。
 「あなたの親友の三木に依頼されてやって来ました。極楽出版の井森と申します。三木くんは、あなたのことを非常に心配しておられます。何とか病気を治すことができないか、そう思って、三木くんはいろいろなところで専門家の方々にお聴きしたようです。ところがどこへ行っても満足のいく回答が得られなかったようで、三木くんは私を訪ねてやって来ました。私は一介の編集長で、あなたの病気を治す専門ではありませんが、三木くんのたっての頼みということで、引き受けました。少しだけで結構です。あなたとお話をさせていただけませんか?」
 青木は何も言わなかった。すると、今までポカンとしていたあかりが突然、声を上げた。
 「おじちゃんだね。おじちゃん」
 あかりが青木に飛びつこうとするのを、妹の美由紀が止めた。
 美由紀に抱きかかえられたあかりが泣いた。泣いて、「おじちゃーん」と叫んだ。
 「青木さん、可愛い姪御さんのためにも、あなたの作品を待ち望んでいるファンのためにも、そして、あなたの親友、三木くんのためにも、私に話を聞かせてください。あなたの病気の原因を突き止めたいのです。そして、あなたを元の体に戻してあげたい」
 青木は逡巡し、頭を振って言った。
 「あなたがやって治る保証はあるのか?」
 聞き取りにくい声だった。まるで地底から聞こえてくるようなすさまじさだ。
 「わかりません。しかし、努力します。努力してあなたの病気を治せるようにしたいと思います。私を信じてください。そして、あなたがそのようになったいきさつを私に話して聞かせてください」
 青木は頭巾のまま天を見上げ、しばらくそのまま考えている風だったが、ようやく私を向き直ると、言った。
 「あなたも、私と同様になる危険性がある。それでもいいというのかね」
 私はためらいなく答えた。
 「結構です。きっとあなたの病気を治してみせます」
 
 あかりの存在が大きかったようだ。青木はあかりが近くにいると心が落ち着くようで、ためらいを残しながらも私にこれまでのことを話す気になったようだ。
 「話は五年前に遡ります」
 そう言って話し始めた青木を、突然、部屋に中に入って来た先ほどの女性が止めた。
 「先生、やめてください。話してはいけません」
 しかし、青木は動じなかった。
 「この方に聞いていただくことにした。たとえ、どのようなことが起ころうとも、私はもう一度、あかりを抱きたい。そのためにも、この方の力を借りたい」
 女性は残念そうな顔をして、青木のそばに座った。この女性は、青木の一体何だろう。美由紀も、この女性の正体を知っていなかった。
 青木は私に言った。
 「頭巾を付けたまま、お話しすることをお許しください。頭巾を取ると、おそらく驚かれると思いますし、あかりにこの顔を見せたくない」
 「結構です」
 私が答えると、青木は地の底から響くような声で話し始めた。
 
 ――すべての生物には命がある。いつの日からか私は、草や木、花や道端の石にまで生命を感じ取るようになり、その思いを込めて写真を撮るようになりました。私の初期の代表作である『揺れる並木林』はその最たるものです。並木一本一本の生きざまを写真に撮ろう、そう思って、取り組むようになりました。そしていつしか私は、撮影時の自分の位置を、生と死の狭間に置くようになっていました。それは非常に危険なことでした。なぜなら、その狭間には多くの霊たちがさ迷っていたからです――。
 青木は、抑揚のない単調な話し方で語り始めた。
〈つづく〉

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