愛ゆえに最期の約束を反故にする
高瀬 甚太
現在の介護事情を取材するために、編集者の私が遠井雄一郎の元を訪れたのは、秋真っ盛りの十一月初旬のことだった。
遠井の自宅は、駅から歩いて十数分の住宅地の一角にあった。築三十年は超えるだろう、庭のない平均的な二階建て家屋、周辺には同じような住宅が立ち並んでいた。
インターフォンを押すと、本日の取材対象者の遠井がドアを開け、「どうぞ」と私を室内に誘った。
入口近くに応接室まがいの部屋があった。その部屋に入って待っていると、遠井がペットボトルを携えて入ってきた。
「すみません。これで我慢してください」
とペットボトルを私に手渡す。
「お構いなく」
と答えたものの、ありがたく受け取り、
「早速、取材にかからせていただいてよろしいでしょうか?」
と断った。
遠井は、小さく頷き、私の対面する席に座った。
「今回の取材は、介護を社会問題化するようなものではなく、あくまでも遠井さんご夫婦の介護を通じての愛情に重きを置いています。そのおつもりでお話いただければと思っています」
遠井は、「わかりました」と答え、ゆっくりした口調で話し始めた。
――三年前、妻が病気になってすぐに会社を畳みました。仕事と介護は両立が難しい、そう思ったからです。
妻の美耶子と知り合ったのは、大学を卒業して三年目の春のことでした。その頃、私は小さな出版社に勤務して、休みの日には好きな俳句を作り、エッセイや小説に手を染めるなど自由気ままな暮らしを送っていました。
勤務して二年目に努めていた出版社が倒産するといったアクシデントはあったものの、大学の先輩だった友人の紹介で、運よく大手の出版社の文芸部に入社することができました。すべてにおいてラッキーだったと思います。その頂点が美耶子との出会いです。
美耶子は、高倉美耶子と言い、関西でも一番と評判の女子大を卒業して、難関のこの会社に入社してきた前途有望な新人でした。入社と同時に彼女は社内の男たちの人気の的となり、独身者はもとより、既婚者たちまでもが心を騒がす、素敵な女性でした。
私ももちろん、美耶子のことはよく知っていました。華やかなイメージで美人だが決して気取らない。やさしい雰囲気を合わせ持った素敵な女性であることを、同僚から耳にタコが出来るぐらい聞かされていましたから。
美耶子は好みタイプでしたが、彼女の争奪戦に私が加わることはありませんでした。私は、自分でも情けなくなるほど不器用で不格好な人間で、女性に興味を持たれるタイプではなかったので、最初からあきらめていたのです。
会社では顔を合わせ、挨拶する程度で、美耶子との直接の交流などまったくありませんでしたが、それでも美耶子を見かけるたびに胸の鼓動が早まり、知らず知らずのうちに赤面する、そんな状態でした。恥ずかしながら、私は二十五歳の年まで、女性と付き合ったことがありませんでした。
仕事が休みの日など、私は一人で街を歩き、公園や河原を散歩することを常としていましたが、時々、そういった日常を原稿にしたためて、他社の出版社に応募することがありました。『川面を眺めて』というエッセイが出版社の公募に入選したのは、大手の出版社に転職して一年目のことです。雑誌に掲載された時の喜びと言ったらありません。感激して、送付されてきた掲載誌を抱き締めたまま、その夜、眠りに就いたことをよく覚えています。
「遠井さん、おめでとうございます」
雑誌に掲載された喜びが冷めずにいた頃、突然、高倉美耶子から声をかけられました。
美耶子が何を言っているのかわからず、ぼんやり突っ立っていると、美耶子が笑顔を浮かべて私に言いました。
「遠井さんのエッセイを読んで感激しました。遠井さんのお人柄がよく現れた素敵な文章だなと思って、私、二度、読み返したのですよ」
「読んでくださったのですか?」
信じられない思いで、私は美耶子を見つめました。私の掲載された雑誌は、読者がそれほど多くないマイナーの雑誌で、しかも販売部数もそれほど多くはなかったはずです。だから読んだと聞かされても、俄かには信じられませんでした。
「父があの雑誌のファンで、私も時々、読ませていただいているのですが、先日、その本の新刊を父が書店で購入し、机の上に置いていました。『本年度心に染み入るエッセイ大賞』と表紙に書かれている隣に、大賞者の名前と入選者の名前が掲載されていて、そこに遠井さんの名前が書かれてあったので、思わず手に取りました。最初は同姓同名かなと思ったのです。でも、読んで行くうちに、遠井さんに間違いないと思いました。遠井さんのやさしい眼差し、世界観がうまく表現されているなと感心し、お会いしたらお祝いしたい、と、ずっと思っていました」
おめでとうの言葉だけで十分、私は満足でした。それ以上、何が望めましょう。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
私は彼女の手を握り締めてお礼を言いました。本当に嬉しかったのです。
「遠井さん、今日、仕事を終えてから時間がありますか?」
「えっ……」
予期しない彼女の言葉に驚き、言葉を失っていると、彼女が言いました。
「もし、時間がありましたら、私にお祝いをさせてください」
その日、私は、どれだけ就業時間の終わるのを待ちかねたことでしょう。彼女がお祝いをしてくれる――、狐にでも騙されているのでは、と思えるほど、信じられない話でした。
定時に仕事を終えた私は、信じられない思いで待ち合わせ場所である、最寄り駅に近い喫茶店の中へ入りました。美耶子は、私より五分ほど遅れて、手に花束を持って入って来ました。
「改めておめでとうございます」
花束を私に手渡しながら、美耶子が言います。
美耶子の美しい笑顔を眺めながら、多分、私は天にも昇る気持ちでいたことでしょう。
その夜、私は美耶子と共にレストランへ入り、一緒に食事をしました。美耶子と話をするのはその時が初めてでしたが、何を話したのか思い出せないほど、私は美耶子の美しい表情に見とれていました。
私たちが喫茶店で会い、レストランで食事をしたことは、翌日にはもう、社内で話題になっていました。誰かが私たちを見て、そのことを話したのでしょう。中には、公然と私を叱責する者までいましたが、私は平気でした。ただ、美耶子には申し訳ないと思っていましたが――。
愛や恋とは無縁な生活をしていた私にとって、美耶子への思いは、これまで経験したことのない、切なく苦しいものになりました。たった一度、食事をしたことで私の恋心は火を噴き上げる火山のように高く激しく燃え上がったのです。
自分がいかに美耶子と不釣り合いであるか、そのことを自覚していなかったわけではありません。また、美耶子が自分を愛してくれるなど、考えたこともなかったのに、私の心は自制の利かないほど熱く燃えたぎっていました。
美耶子は社内で顔を合わせると、いつも私の名前を呼び、笑顔を向けて挨拶してくれました。ときめく胸の内とは裏腹に、その時、私は身体を固くして、美耶子に挨拶を返しました。
一時的に話題になり、噂になったものの、私と美那子の仲は、時間と共に、社内でもほとんど噂に上らなくなりました。
「やっぱりな、遠井が高倉となんて、おかしいと思ったんだよ」
男性社員たちの声を聞きながら、私は失望の色を深め、美耶子への恋心を鎮静するのに躍起になっていました。
そんなある日、私をさらに失望させる致命的な噂が届きました。美耶子が大手の製薬会社の御曹司からプロポーズされたという噂です。
根も葉もない噂ではありません。社内の男性社員の多くが失望していましたから――。
当社の雑誌のスポンサーである製薬会社の社長の息子が何度か打ち合わせのために当社を訪問したことがあったようで、そこで美耶子を見初め、父親である社長に相談したことで、話が大きく進展したと聞きました。製薬会社の社長は、すぐに当社の社長に連絡し、自分の息子に相談を受けた内容を話し、美耶子との見合いをセッティングしてくれるよう依頼したと聞きました。
誰でもが名前を知っている大手の製薬会社です。しかも、次期社長と目される息子の営業部長が直々に依頼して来たのです。玉の輿以外の何ものでもありません。
上司から見合いするよう告げられた美耶子は、どういうわけか、最初、その見合いを断ったと聞きました。見合い相手の製薬会社の社長の息子は、背も高くハンサムな見映えのいい男性です。そんな相手に望まれて断る女性などいないのではないか、それなのに美耶子がなぜ、見合い話を断ったのか、私を含め、周りの人はその理由がわからず困惑したと思います。
それでも上司の説得を受けて、美耶子は見合いをすることになりました。美耶子が結婚に至れば、会社もホクホクです。スポンサーとしてずっと末永い契約が期待できること間違いありませんでしたから。
美耶子が見合いを断ったことは意外でしたが、それでも見合いをすれば、美耶子はきっとお嫁に行くだろう、社内の誰もがそう言って噂をしていましたが、私もそうだろうな、と、信じて疑いませんでした。
美耶子に執心する製薬会社の社長の息子の風評を聞いたことがありますが、最悪な噂ばかりでした。彼は、これまでも多くの女性と交際を繰り返し、美耶子との見合いを求めたその時も、彼には複数の愛人がいたようです。女にだらしのない人間だということだけでなく、人間的にも問題のある男だと聞きました。金持ちのボンボンにありがちな噂の数々を聞いて、美耶子は見合いを断ったのかも知れない、その時、私はそう思いました。
見合いをした美耶子は、その席上で、「好きな人がいますので」と言って、結婚を断ったようです。恥をかかされたと思った社長の息子の怒りは相当なものだったようで、すぐさま、契約していた雑誌の広告を取りやめると会社に連絡があったと聞きました。
責任を感じた美耶子は、会社に辞表を出しました。会社もスポンサーである製薬会社の手前、その辞表を受け取らざるを得なかったようです。一カ月後、仕事の整理が終わった時点で美耶子は退職することになりました。
――好きな人がいますので。
美耶子が見合い相手に語ったその言葉を聞いて、ショックを受けた男性は多かったことと思います。何しろ、美耶子が玉の輿を断るほどの人物です。相当の人物に違いない。誰もがそう噂をしておりました。
しかし、美耶子の同僚の女性たちは男性たちとは違った見方をしていました。
「恋人がいるような素振りはなかった。断るための口実だったのでは……」
美耶子の同僚たちの話です。美耶子は、合コンにも参加したことがなく、男性に誘われても一度も付き合ったことがないと、その同僚は断言しました。既婚者である私の上司も何度か美耶子を誘ったことがあったようですが、何度誘っても断られたと私に告白したことがあります。
それでも私は秘かに思っていました。退職するまでに一度、どうしても美耶子と話がしたい。思い詰めた私は、断られることを承知の上で、また、清水の舞台から飛び降りるほどの覚悟で美耶子に伝えました。
「退職する前に一度でいいです。一緒に食事をしていただけませんか」
断るとばかり思っていた美耶子でしたが、私を見て、微笑むと、
「わかりました」
と言ってくれたのです。驚いたのは私だけではありませんでした。周囲にいた美耶子の同僚たちはもっと驚いたようです。なんで遠井さんなの? 彼女たちのそんな思いが私を見る表情によく現れていました。
美耶子が退職する一週間前の金曜日、私は美耶子を誘ってレストランへ入りました。美耶子が私のお祝いをしてくれた思い出のレストランです。
「いい結婚話だと思ったのですが――」
私が見合いの話を切り出すと、彼女は怪訝な表情で私を見ます。
「どうしてですか?」
「大会社の社長の息子ですし、玉の輿だと思ったものですから」
「地位や名誉やお金と結婚するほど私はつまらない女ではありません」
「……」
「大切なことはその人を愛すること、信頼できること、そして共にいることに喜びを感じる人、それがもっとも大切だと思いますし、それが私の理想の男性です」
美耶子はきっぱりと言ってのけました。
「好きな人がいると言って断ったそうですが……」
「口実ではありません。好きな人がいるからそう答えただけです」
美耶子のさっぱりとした口調が、逆に私に勇気を与えてくれました。
「ぼくは、これまで恋愛にはとんと縁のない人間でした。自分が人に愛されるなど思ったことがなかったからです。それがぼくを恋愛に対して臆病にしていたと思います。
高倉さんに思わぬお祝いをしていただいて、ぼくは有頂天になりました。大好きな人に自分の作品を褒めていただく、こんな幸せなことはありません。それだけでも十分幸せなのに、あろうことか、ぼくは高倉さんにそれ以上の愛を求めていたのです。そんな不可分な思いに気付き、唖然としたことが何度もあります。
それでも、ぼくは高倉さんを真剣に愛することで、人を愛することの喜びや苦しみを存分に味わうことができました。人を真剣に思うことがこんなにも自分を昇華させるものかと――。この先、これ以上の深い思いで人を愛することなどないような気がします。それでもぼくは満足です」
哀しくもないのに、言葉を一つ吐くごとに一粒、一粒、涙が零れ落ちます。
一生に一度の恋の告白、しかもそれは回答のわかっている空しい愛の告白でした。それでも私は言わずにおれなかった。それが私の真実でしたから――。
ディナーの豪華な食卓も今の私には目に入りません。美耶子に好きな人がいる。それなのになぜ、自分は愛を告白しているのか――。止めどなく頬を伝う涙は、空しい愛の告白をする道化のような私自身を慰める、恥じらいの涙だったのかも知れません。
「私の好きな人は――」
美耶子が私を見つめながら言いました。
聞きたくない。でも、聞かなければ、心の中で葛藤が生まれました。美耶子は相変わらず微笑を浮かべ、私を見ています。
レストランは、いつの間にか満席になっていました。そこかしこで弾むような愛の言葉が交わされている、そんな錯覚を覚えるほど、この日のレストランは幸せに満ちたもののように私には見えました。
一瞬の間合いをおいて、美耶子が言いました。
「遠井さん、あなたなのですよ」
エッ――、美耶子の言葉を聞いた時の私の驚きようはいかばかりだったでしょうか。目を見開き、美耶子を見つめ、信じられない言葉を聞いた、その思いで一杯だったと思います。
「高倉さんがぼくを――」
私の言葉に美耶子が大きく頷きました。なぜ、私を――。確信が持てずに慌てふためいている私に美耶子が言いました。
「あなたの書かれたエッセイを読んだ時、私はひどく胸を打たれました。何でもない風景をごく自然に、何の気負いもなく、あなたは表現していました。あなたの目に映る風景は、あなたの心根が生み出す風景なのだと、その時、私は思いました。あなたの描く世界に私も共に棲みたい。その時、本気でそう思ったのです。
でも、あなたは、あの日以来、私に声をかけてくれませんでした。あなたが私を愛してくれるなど、私の思い違いか幻想だったのでは、と思い、心を暗くしていました。
そんな時、見合いの話が持ち込まれ、私は社命で見合いをすることになりました。相手の方がどうというのではなく、傲慢な見合い相手の話しぶりや態度を見て、私には合わない方だと直感で思いました。相手が性急にことを運ぼうとするので、私は、これはいけないと思い、その場でお断りを申し上げました。相手の方は、『俺のどこが不満なのだ』と怒り心頭の様子で私に聞きました。多分、その方は、これまで言い寄った女性に断られた経験などなかったのでしょう。狼狽ぶりにそれが窺えました。
『好きな男性がいます』と答えると、その方は、『どんな奴だ。俺より上の奴がいるのか』と憤懣やるかたない様子で聞いてきました。
『普通の方です。私はその方のものを見つめる眼差しに惹かれました。こんなにもやさしくものを見つめる方に、私も愛されたい。この人と共に一生、暮らしたい。そう思いました』と、私が告げると、見合い相手の男性は、『その男はあんたの気持ちに気が付いているのか』と聞きました。
『気付いていません。でも、それでも構いません。成就しなくても、幸せな片思いだってあるのだと、最近、気が付いたのです』と私が答えると、見合い相手の男性は、『そんな恋なんてくそくらえだ。面白くもない』と言って私を罵倒し、『俺をこけにした落とし前は付けさせてもらうぞ』と捨て台詞を吐いて、私の前から去りました。案の定、その方は、私をクビにしろと会社に迫り、私は社を去ることになりました。会社を去ることは別に大したことではありません。理不尽な要求に対抗できないような会社なんてこちらから願い下げです。それよりも悲しかったのは、あなたに会えなくなることでした。
――でも、よかった。あなたは最期に私を誘ってくれ、愛の言葉を伝えてくれた。私は幸せです」
ボーイやウエイトレスが忙しく走り回っている。ちょうど繁忙の時間であるのだろう。それにしてもこの店は客がよく入る。しかし、そんな喧騒などどこ吹く風です。私は、満たされた思いで、美耶子を見つめていました。自分を卑下することなく、戸惑いもなく、私は美耶子だけを見ていました。幸福とは、お互いの気持ちが誤解なく相手に通じる時、感じるものなのだと、その時、私は思いました。
美耶子の言葉を受けた私は、美耶子にその場で結婚を申し込みました。
美耶子と時を同じくして、私も務めていたその会社を退職し、二人だけの小さな編集プロダクションを開業しました。
開業して一年目、ようやく会社が軌道に乗りかけた頃、私たちは結婚式を挙げました。身内だけのひっそりとした結婚式と披露宴ではありましたが、私たちは本当に幸せでした。
多忙な合間を縫って二人でよく旅行に出かけたものです。旅行と言っても観光旅行ではありません。二人で海や山へ出かけ、一日中、のんびりと景色を眺めているだけの旅です。私たちは、そんな旅が大好きでした。
三年目に男の子が誕生し、五年目にもう一人、男の子が誕生しました。
美耶子は、育児に追われるようになり、仕事ができなくなりましたが、その頃には、どうにか人を雇えるようになっていましたので、美耶子は育児に専念し、専業主婦になりました。
子供たちが成長し、経営も少しは落ち着いてきた頃、私たち二人はある誓いを立てました。
将来、年老いて、どちらかが亡くなったら、生き残った者は新しい人生を生きることにしよう。つまり、死者に遠慮することなく、自分の人生を歩むようにしよう、と約束したのです。
私は、私が死んだら、美耶子に私のことなど忘れて新しい人生を歩んでもらいたいと望んでいたし、美耶子は美耶子もまた、私と同じ思いでいたようです。
人生は流星のごとく、と語った人がいましたが、本当に月日の経つのは早いものです。六十代に突入したところで、美耶子が病に倒れました。
「膵臓がんです。もう長くはありません。覚悟しておいてください」
医師から伝えられた言葉が私に重くのしかかりました。自分が病気になり、死を宣告されるより、ずっと辛いことでした。どうしたら美耶子を助けられるのか、私はそのことばかり考えていました。美耶子のいない人生など考えられませんでしたから。
「余命は?」
と尋ねると、医師は、「一年持つかどうか……」と答えました。
会社を畳み、美耶子の介護に専念することにしました。一秒たりとも美耶子の傍を離れたくなかったのです。
美耶子は、自分の病気に気付いていたようです。
「あなたと一緒に人生を過ごせて、本当に私は幸せでした。いつ死んでも悔いはありません。約束したように、私が亡くなったら、あなたはあなたの人生を生きてくださいね」
ある夜、ベッドの傍に付き添っている私に美耶子が言いました。
『将来、年老いて、どちらかが亡くなったら、生き残った者は新しい人生を生きることにしよう』
そんな約束だったと思います。美耶子が生命の危機に瀕している今、そんな約束など、私には何の意味もなしません。なぜなら、私は一日でも長く、美耶子と共に生きたい、その思いで一杯でしたから。
人の命は不思議です。医学の世界では考えられないことが時として起きる時があります。一年持つかどうか、と言われた美耶子でしたが、ベッドの上で一年目を迎え、その半年後には、我が家へ戻り、そこで療養できるまでになっていました。
病院の治療が功を奏した部分もあったでしょうが、私は、それよりも美耶子の生きたいと思う気持ちが延命につながったと考えています。私が一日でも長く美耶子と共に生きたいと願うように、美耶子もまた、それ以上の強い気持ちで、一日でも長く私と共にいたいと願っていたのです。
何度か、生命の危機に至ることはありましたが、三年間、美耶子は生命を保ち続けました。ところが一週間前、激しく嘔吐し、体力を著しく損ねたことから病気が悪化し、とうとう、命の火を絶やしてしまいました。
「ありがとう。とても楽しかった」
美耶子の最期の言葉です。
私はこれまで、美耶子との約束を一度たりとも破ったことがありません。約束したことは、どんなことがあっても誠実に履行してきました。それが美耶子への一つの愛情表現だと思って来ましたから。でも、最後に一つだけ美耶子との約束を破ろうと思っています。
『将来、年老いて、どちらかが亡くなったら、生き残った者は新しい人生を生きることにしよう』
その約束を反故にするつもりです。これからも私は美耶子だけを思い、美耶子と共に残りの人生を生きて行きます。
――大粒の涙を頬に垂らし、涙を拭おうともせずにいる遠井の姿に、私は取材の手を止めて、しばし沈黙した。「人生は短い、だが、愛は永遠に存在する」。その言葉が私の脳裏をよぎりました。愛のある介護、そこにこそ、生きて来た人間の意味が問われる。そう記して取材を終えた。
〈了〉
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