先生と慕われる総菜屋の深き愛情

高瀬 甚太

 呑み屋に行くと、客たちから「先生」と崇められる客が必ずといっていいほど存在する。場末の立ち飲み屋「えびす亭」でも同様に、「先生」と呼ばれる客が数人いた。そのうちの一人が大塩平八――。名前を聞けば、誰もが江戸後期の儒学者であり、大坂町奉行組与力、大塩平八郎の乱を起こした歴史上の人物の末裔と思ってしまうものだが、大塩平八は頑なにそれを否定した。
 「祖父が大塩平八郎のファンで、男の子の孫が生まれたら、大塩平八郎にちなんで、平八と付けたいと常々思っていたそうだ。女系家族ということもあって、長い間、男の子が生まれなかったが、ようやく私の母が念願の男の子、つまり私を産んだことでようやく『平八』と名付けることができた。当初、父は相当、反対したようだが、入り婿の身とあって、最後には祖父に従わなければならなくなった。祖父には悪いが私はこの名前が好きではありません」
 えびす亭の客たちは、大塩平八がなぜ、歴史上の大人物、大塩平八郎を嫌うのか、わけがわからなかったが、日本歴史を習い始めた中学二年の頃、彼は、歴史上の人物に近い名前ということで、クラスメートなどにずいぶんからかわれたことがあったようで、その頃から大塩平八郎の名前がトラウマになり、いつしか嫌悪するようになったのだと、えびす亭の面々に説明をしたことがある。
 その大塩平八だが、彼はえびす亭では、「先生」の呼称で呼ばれている。大塩平八は教員でもないし、医師でもなく、先生の名称とは縁の薄い、惣菜屋の店主である。客たちもそのことは十分、熟知していた。それでもなお、客たちは大塩平八を、尊敬の念を込めて「先生」と呼んだ。それはなぜか――。
 「先生と呼ぶのにふさわしい人格者だからだよ。温厚で常に笑みを絶やさない人柄、知識豊富で頭脳明晰なところ。医師や教員たちが束になってかかっても追いつかないオーラが先生にはある。先生と尊敬の念を込めて呼ぶのは当然のことだよ」
 常連の一人がそう語る。確かに、大塩平八の風貌には先生と呼ぶにふさわしいものがあった。白髪の長髪、面長で理知的な風貌に白い顎鬚、ゆっくりと言葉を選ぶようにして話す喋り方、どんな人でも受け入れる懐の深さ――。大塩平八にはそのすべてが備わっていた。

 ――大塩平八の日常はこうだ。
 早朝、五時に起床し、中央市場に買い出しに出かける。帰宅してすぐに食事の支度にかかる。脳溢血で寝たきりになった三歳下の妻を介護しながら、家のことのすべてを大塩平八が行う。
 妻に朝食を食べさせ、飼い犬に餌をやると、惣菜販売の支度に取りかかる。開店は午前十時だが、その前に、惣菜を作り、店頭に並べる準備を開始する。店の名前は『さとや』で、この名前は妻の名前、智子から来ている。店の創業は五年前で、大塩平八が五十五歳の年だ。それまで大塩平八は公務員として役所で働いていた。妻の智子が倒れ、介護が必要になったことから役所を退職し、惣菜屋を開くことにした。特別に料理が得意であったわけでもなく、惣菜に関心があったわけでもなかったが、智子が料理好きであったことから、智子を喜ばせようと思い惣菜屋を開いたものだが、開店するまで、相当な努力を必要とした。
 脳溢血で倒れ、半身不随になった智子は、自分の意志で動くこともままならず、満足に喋ることも出来なかった。それでも意識はしっかりしていて、大塩平八への感謝の気持ちを表情で示すことは出来た。
 惣菜屋を開店する前、大塩平八は、販売するために作った惣菜の数々を智子に吟味してもらうことにした。メニューを含め、料理の味もそれなりに修業したおかげで、一般の惣菜屋と何ら変わりないものになったと自負する大塩平八だったが、智子はメニューを見て首を傾げ、惣菜の味に大きく首を振った。
 「役所時代の友人にも確かめたが、全員、おいしいと言ってくれたんだよ」
 大塩平八はそう言って妻に説明したが、智子は、「これでは駄目だ」と言わんばかりに首を振って、一向に納得しない。
仕方なく大塩平八はメニューを再検討することにし、惣菜の味を見直すことにした。
 ――どこがいけないと言うのだろう。メニューにしても味にしても合格点には達しているはずだが。
 開店を一カ月後に控えて、大塩平八は混乱した。
智子は、早い時間に夕食を取ると、午後七時には就寝する。薬の影響もあって、午前五時まで目を覚ますことはない。惣菜メニューや惣菜の味について悩みが尽きなかった大塩平八は、智子の安全を確認して家を出ると、気分を変えるために町へ出た。
 酒が嫌いではなかった大塩平八だが、智子を介護するようになってからは、ほとんど口にしていない。久しぶりに酒を呑みたいと思い、店を探すが、今の大塩平八の思うような店になかなか出会えなかった。そうしているうちに駅の近くまでやって来た。
 賑やかな駅前の喧騒に背を向けて、路地のようなところへ入ると、打って変わってうらびれた店が居並ぶ場所になり、その中の一軒に目に向いた。
『えびす亭』と書かれた看板と暖簾、暖簾の向こうのガラス戸の中で、いかにも楽しげに大勢の人が呑んでいた。しかも立ち呑みだ。
 引かれるようにしてガラス戸を開けると、カウンターの人ごみに囲まれた真ん中の厨房から「いらっしゃい!」と声が飛んだ。どこに立てばいいのか、考える間もなく、スッと隙間が作られ、空いたその場所に立つと、すかさずマスターが言った。
 「何しまひょ?」
 大塩平八は、思わず「ビールお願いします」と答えた。
 酒の肴に何をしようか、壁を見ると、百種に及ぶメニューが飾られており、季節のメニューや、当店自慢と銘打ったメニューが別に展示されていた。
 おでんを数種類、煮魚と揚げ物を注文し、ビールを呑みながら食べるが、どれも特別においしいと言えるものはなかった。
 「格別においしいとはいえんが、飽きが来ん味でしょ」
 大塩平八の隣に立っていた中年の男性が、大塩平八に話しかけてきた。陽に焼けた肌、頭に巻いた鉢巻、ランニングから露出した肩や腕は筋骨隆々、肉体労働者であることはすぐにわかった。
 おでんも他の料理も、確かに褒めた味ではないが、飽きが来ない味であることがよくわかった。これならきっと毎日でも食べられるだろう。
 「本当にそうですね。飽きが来ない」
 大塩平八は、納得したような表情で鉢巻の男に話しかけた。鉢巻の男は、
 「あんた、この店へ来るのはじめてやな。わし、源吉言うねん。よろしゅう頼むわ」
 と言いながら自分のグラスを大塩平八のグラスにぶっつけた。それを見た片側に立っていたサラリーマン風の若い男性が、
 「おれは斉藤です。よろしく」
 と、自分のグラスを大塩平八のグラスにぶっつけてきた。カキーンと小気味よい音が聞こえて、今度は大塩平八が名前を名乗ろうと思ったら、源吉が、
 「先生、パーッと行こう。パーッと。さあ、グラスを空けて」
ビール瓶片手に、大塩平八を呷った。急いでグラスを空け、源吉のビールを受けながら、
 「私は――」
 と再び名前を名乗ろうとしたら、斉藤が、
 「先生、今度は俺のビールを呑んでくれ」
 と言って注ぎに来る。源吉と斉藤だけではない。他の客たちも次々にやって来て、
 「先生、わしのビールも」
 と言ってグラスにビールを注ぎに来る。
 結局、その日、大塩平八は散々酒を呑まされ、名前を名乗る暇もなく、えびす亭を後にした。
 翌朝、目覚めた智子に朝食を食べさせ、再び、惣菜作りに専念していた大塩平八は、ふと、えびす亭の料理を思い出した。
 ――飽きが来ない味だから、毎日でも食べられる。
 一品、一品、最高の惣菜を作ろうと努力していた大塩平八の頭をその言葉がガツンときた。
 ――惣菜は毎日食べるものだ。不味いのは論外だが、飽きの来ない料理にすることが大切だ。
 そう思い直した大塩平八は、調理方法を変え、飽きの来ない料理にするための工夫が必要だ。そう思い、改めて調理を開始した。
 また、メニュー一つとってみても大塩平八の惣菜メニューは、定番メニューにこだわって、面白みに欠けるところがあった。毎日、変化するメニュー、季節メニューの取り入れ、名物メニューをふんだんに入れることによって、客に、「今日はどんな惣菜が出るのか」と期待させることができるのではないか。
 新たに作り直した惣菜を、智子の口に運んでやると、智子がニッコリと笑った。智子は、私が一つの惣菜に力を注ぐあまり、味がくどくなっていることに気付き、私の作った惣菜を認めようとしなかったのだ。その時、そのことにはじめて大塩は気が付いた。
 新たに作ったメニューを智子に見せると、それをジッと見ていた智子の目がしばらくして細くなり、やがて口元が和らいだ。それを見て、大塩平八は智子に聞いた。
 「これでいいかい?」
 智子はゆっくりと頭を振り、微笑んだ。
 智子の名前から取った、惣菜屋『さとや』が開店したのは、それからしばらくしてからのことだ。
 開店に合わせて、惣菜作りに一人、販売に一人、バイトを雇った。宣伝もしていないし、契約して借りた店は、商売に適した立地とも言えなかった。ただ、その店は、奥行きが広く、厨房と共に畳敷きの部屋が一部屋あった。ここなら、家から智子を車イスで運び、安心して介護することが出来る。そう思ったことが契約の動機になった。実際、智子も喜んだ。
 開店は十時だが、仕込みの時間がある。七時半に智子と共に店にやって来た大塩平八は、仕込みを開始した。八時になると厨房を手伝ってくれる三益利代が出勤し、九時半になって販売を手伝う河本茂子が出勤した。河本と共に惣菜を並べ、開店に備えていると、突然、河本が声を上げた。
 「ご主人、ポップは?」
 大塩平八は、わけがわからず聞いた。
 「ポップ? 何だ、それは?」
 「ものを売る時、商品の名前とキャッチコピーを入れて購買力を高めるものです」
 そんなことなど、まるで考えていなかった大塩平八は、
 「惣菜を用意するのに精いっぱいでそんなこと何も考えていなかった」
と放心した。
 「開店までまだ時間があります。私が書きますので、ご主人は文房具屋さんに行って、用紙とペンを買ってきてください」
 大塩平八は、急いで文房具屋に行き、用紙とカラーのペンを数本買ってきた。河本は、元々、絵心があるようで、多彩なカラーを用いて器用にポップを作った。
 奥の畳の部屋で横になっている智子が、そんな大塩平八を心配そうに見つめていた。
 午前十時、シャッターを開けて開店すると、数人の主婦が待ちかねたように飛び込んできた。
 「この周辺は、商店街も含めて弁当屋はあるんだけど、惣菜屋がなくてね。助かるわ。でも、不味かったら二度と来ないからね」
 一人の主婦がレジで商品の金額を打つ大塩平八に笑いながら言った。
 「おおきに、ありがとうございます。商品には、値段、味とも自信を持っています。またのご利用をお待ちしています」
 その後も客は次々と現れた。目立った場所でもなく、人通りも激しくない店舗に、どうしてこんなに多くの客が集まって来るのか、大塩平八は不思議でならなかった。
 大阪には、昔から「しんもん食い」という言葉がある。新しいものや珍しいものに興味を示す大阪人の特徴を著した言葉だ。共稼ぎ夫婦が増え、昼や夜の食事が満足に出来ない主婦が増えている。そんな時、惣菜があれば、大いに助かる。しかし、これまでこの町には、弁当屋はあっても、惣菜屋の類は一軒もなかった。そんな町に待望の惣菜の店が出来たのだ。「しんもん食い」の風潮もあって、開店初日はたくさんの人で賑った。
 収益は上がったが、大塩平八は、この盛況がずっと続くとは思っていなかった。明日になれば、多分、大幅に客が減るだろう。店を閉め、売り上げた数字を眺めながら冷静にそう分析した。
その日の夜、智子を寝かせ、寝入ったことを確かめると、再び、えびす亭に向かった。
 ガラス戸を開けると、マスターが、
 「先生、いらっしゃい!」
 と声を上げた。空いた場所に立つと、隣に立った客が、
 「先生、まあ一杯いかが」
 と大塩平八の空のグラスにビールを注いだ。隣の客は、昨日の客とは違って、初めて見る客だ。
 「いやあ、申し訳ない」
 丁重にお礼を言うと、片側の客も大塩平八に声をかけてきた。
 「それをぐっとやって、空けたら俺の分も呑んでくれ」
 その客もまた、大塩平八にとって初めて見る顔だ。
 昨日と同じような現象がまた起きた。普通の店だと、せいぜい一人、黙して呑むのが普通だが、この店はそうではない。一人黙してなど、とんでもない。否が応でも呑み助の世界に引きずり込まれてしまう。役所勤めで黙々と仕事をこなし、コミュニケーションの薄い世界で長年過ごしてきた大塩平八にとって、それは初めての体験だった。
 「私にも注がせてください。よければ、サーモンの刺身、一緒に食べませんか?」
 両側の客に申し出ると、両側の客は、遠慮することなく、大塩平八のサーモンの刺身をつつき、空のグラスを大塩平八に向かって遠慮なく差し出した。

 翌日、智子を車イスに乗せて店に向かった大塩平八は、車イスを押しながら智子に語った。
 「今日も昨日と同じとは思えないけど、店に来られるお客様には、できるだけ声をかけてコミュニケーションを図ろうと思う。今まで経験したことがなかったことだけど、精一杯やってみるよ」
 智子は、車イスの上で動かない手を懸命に動かし、大塩平八の手を握ろうとする。
 「どうしたんだ?」
 智子の感覚の乏しい手を握って、大塩平八が聞いた。
 智子は脳溢血の後遺症で言葉を発することは出来ない。その代わり、表情で自分の意志を大塩平八に伝えることができた。大塩平八は、微笑む智子の顔を見て、
 「智子もそう思っているんだね。私は口数も多くないし、お前との間にもコミュニケーションが不足していたと思う。今頃、気付くなんて本当に悪い夫だったね。
 実は昨日、智子が眠っている間に、えびす亭という店に行ったんだ。その店に行くと、黙って呑むことなんて出来はしない。次々と客が話しかけて来て――。人と話すことがこんなに楽しいものだということを、私はえびす亭で学ばせてもらったよ。うちの店でも同じだと思う。一声だけでもお客様にかけて、親しみを抱いていただく、その必要性をつくづく感じた」
 大塩平八の手を、智子が弱々しい力で握りかえしてくる。大塩平八は驚いてその手を凝視した。これまでは、どんなふうに手を握っても握りかえしてくることなどなかった。それが今、弱々しいとはいえ、智子が握りかえしてくる。
 大塩平八の目から思わず涙がこぼれ出た。

 「さとや」の盛況は一週間続いた。開店翌日もその次の日も、惣菜が面白いように売れた。毎日のようにやって来る客が増え、新しい客も増えた。
しかし、一週間が過ぎた頃から少しずつ客足が遠のくようになった。近所に競合店が出来たわけでもなく、特に思い当たるものは何もなかった。
 「飽きたんですよ、きっと」
惣 菜を手伝っているバイトの河本が大塩平八に言った。
 「飽きた?」
 「そうですよ。うちのメニューは揚げ物が多いでしょ。揚げ物って続くと飽きて来るんですよ。それで少し客足が減っているのだと思います」
 河本の言うことはもっともだと思った。「さとや」のメニューは揚げ物が多かった。
 目玉商品にしても定番メニューにしても、中心は揚げ物だ。その揚げ物が飽きられたらどうしようもない。このままではいけない。そう思ったが、その時の大塩平八には具体的な方策など何も思い浮かばなかった。
 夜になって、大塩平八は、智子が眠りに入ったことを見届けると、いつものようにえびす亭に向かった。このところ、大塩平八は毎夜のようにえびす亭に行っている。
 暖簾をくぐってガラス戸を開けると、
 「先生、いらっしゃい!」
 マスターの声が飛んだ。ここでは誰も大塩平八の本名を知らない。今では大塩平八もわざわざ名前を名乗る必要を感じていなかった。先生という呼び名には多少、抵抗があったが、誰もがそう呼び始めると、嫌々でも認めざるを得なかった。
 「先生、どないしたんや。元気ないなあ」
 年中、丹前姿の庸と呼ばれる中国人が流暢な大阪弁で大塩平八に聞いた。
 「いやあ、実は――」
 大塩平八は庸さんに、惣菜の店の客足が落ちていること、メイン商品の揚げ物が飽きられていることを話して聞かせた。
 「そんなの簡単ですよ。揚げ物一パックにレモン、トンカツソース、ケチャップ、タルタルソースなどを用意して、お客さんに選ばせるんです。そうするだけでずいぶん変わります。それと揚げ物は古い油を使用しないこと。油を入れ替えて揚げることが重要です」
 大塩平八が感心して聞いていると、隣から、
 「季節感も大切だよね。旬の材料を使った惣菜、何より大切なことは、子供が好んで食べる惣菜を用意しているかどうか、それだよね。共稼ぎの若い主婦にとって何より大切なことは、子供が好きな惣菜であるかどうかだと思う。うちの基準はそれなんだ」
 黒縁メガネをかけたサラリーマン風の男性が声を上げた。
 大塩平八は再び感心した。それ以外にも、客の面々が声を上げ、ああでもない、こうでもないと論じる。そのどれもが大塩平八にとって役立つ話ばかりだった。
 翌日、七時に智子と共に店に着いた大塩平八は、レモン、タルタルソースを用意し、トンカツソース、ケチャップにひと味付ける工夫をして、揚げ物を買う客に対処するよう用意した。
 八時に河本がやって来ると、大塩平八は揚げ物にタレを用意することを話し、油に気を付けて、少しでも古くなれば新しい油に換えるようにと話し、季節のメニューを今日から用意するよう依頼した。
 少し遅れてやってきた三益には、開店に合わせて「揚げ物にお好きなタレを!」と銘打ったポップを作るよう依頼し、季節の新メニューのポップを作ることも合わせて依頼した。
 外せない定番メニューはともかくとして、一週間単位で大幅にメニューを更新、季節メニューや特価を謳った目玉商品を頻繁に登場させ、客にアピールするようにしたことが功を奏し、一旦、引きかけた客足が再び上昇、安定した売れ行きを示すようになった。

 「先生、女房と喧嘩しましてね。細かいことにあまりにも煩いので怒ったんですよ。そしたら、そんなふうに言わせるあんたが悪いなんてぬかしやがって――」
 この日の夜も大塩平八は、えびす亭で酒を呑んでいた。そんな大塩平八に相談を持ちかけてくる客が最近多くなっている。
 「いいじゃないですか。感謝しなさい。そんなふうに言ってくれるのは、あなたのことを思ってくれているからですよ。ありがたいと思わないといけません」
 大塩平八の言葉に、拍子抜けした客は、
 「そんなものですかねえ。憎たらしいのですよ、言い方が」
 と、ぼやく。
 「注意されたら、『ありがとう、気が付かなかった。これから気を付けるよ』と言ってみなさい。あなたを見る奥さんの目が変わりますから」
「わかった。先生の言う通りにしてみるよ。何といっても女房には感謝しているから。もっと素直になってみますよ」
 客は思い直したようにビールのジョッキを空け、支払いを済ませて出て行った。
 その後ろ姿を眺めながら大塩平八は思う。
 ――あきらめていた智子の回復が思ったより進んでいるのは、私が役所を辞め、四六時中、智子のそばにつきっきりになってからではないか。初めのうちこそ、何も変わっていないように思えたが、実際はそうではなかった。役所を退職して以来、私は常に智子とコミュニケーションを交わすよう努めてきた。智子がわかろうとわかるまいとかまわない。智子への感謝の気持ちがそうさせたと言っても過言ではなかった。遅々とした回復ではあったが、智子は着実に回復の兆しを見せている。リハビリに対して消極的だった智子が近頃では、真剣に向き合うようになっている。私はそんな智子をこれまで以上に深い愛情で見守っていた。

 「先生、奥さんの具合はどうですか?」
 時々、えびす亭で聞かれることがあった。
 「少し歩けるようになったのと、いささか口が利けるようになったことはよかったんだが、厨房で惣菜を作っている私に、ああでもない、こうでもないと煩く指図するんだ。時々は頭に来ることもあるが、正論が多いから有難く拝聴しているよ。女房もそれが楽しいようで、今では厨房に入り浸るようになって、バイトと二人で私を攻撃してくる。そのおかげかどうか、店は繁盛している」
 えびす亭にはさまざまな人間が集まって来る。その中で「先生!」と呼ばれる人の数はそう多くない。大塩平八は、その中の数少ない一人だ。
<了>

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