生と死の境を写す謎の写真家(後編)
高瀬甚太
青木昭雄の話が続く。
――五年前の秋だったと記憶しています。私は、秋の紅葉を撮るために旅に出ました。単に紅葉を撮るだけなら、京都でも奈良でもどこでもよかったのですが、名所ではない場所で紅葉を撮るために関西を離れ、電車に乗って山深い土地を目指しました。
紅葉の美を撮影するために出かけたのではありません。散り行く葉の生命の燃焼を撮影できればと思ったのです。だが、どこへ行っても私の思うような場所はありませんでした。
どこをどう行ったのか、電車を降り、バスに乗り、私は何ものかに引き込まれるようにして、旅を続けました。
そこがどこであったか、私には今も記憶がありません。深い山中であったことは確かです。バスを途中で降りた私は、そのまま、何者かに導かれるようにして山中を歩き続けました。森をくぐり抜け、山肌を登り、小高い丘の上に立った時、私は驚きました。何という光景でしょう。私の眼下に心臓が震えるほどに美しい紅葉の彩があったのです。
レンズを紅葉に向けた時のことです。一枚一枚の葉がザワザワと大きく揺れたような感覚がし、シャッターを切ろうとしたその瞬間、異変が起きたのです。私は吸いこまれるようにして、まっさかさまに丘から落下してしまいました。地盤が崩れたわけでもめまいがしたわけでもなく、不意に落下した私は、そのまま気を失ってしまいました。
気が付くと、暗い穴の中に入っているような感覚だったので驚きました。高い丘から落ちたにも関わらず、私は怪我一つしておらず、かすり傷一つ、負っていませんでした。
物音一つしない漆黒の闇に言いようのない恐怖を感じた私は、何とか今いる場所を逃れようとあたふたするのですが、前にも後ろにも横にも斜めにも進むことができず、まるで何か透明の四角い箱に納められているような錯覚を覚え、呆然と立ち尽くすのみでした。
私が目指していた写真は生と死の境界を描き切ることでした。ですから、今回の紅葉の撮影も目標とするところはそこにありました。しかし、私の考える生と死は、あまりにも安直で、覚悟のないものであったと思います。それを私はすぐに実感させられることになりました。
身動きできないでいる私の耳に、どこからか聞こえてくる声がありました。
『生きるか、死ぬか、選びなさい』
とその声が言っているように聞こえました。明の見えない箱に閉じ込められていた私は、迷わず『生』を選び、そう叫びました。
人間の存在とはかくも小さなものか、そのことを実感したのは、透明の箱の中にいて、大きな宇宙の存在を感じたからにほかなりません。その箱の中はまさしく宇宙そのものでした。私はかつてなかったほどの恐怖を感じ、
「生きたい!」
と何度叫んだことでしょう。
恐怖のあまり、私は無意識のうちに暴れまわっていたと思います。暴れまわって、私を閉じ込めている透明の箱を壊そうとしていたに違いありません。生と死を標榜すると言いながら、いざとなると死を覚悟する勇気など全くと言っていいほど持ち合わせていませんでした。
私は、自分の弱さを知って愕然としました。生物の息づく様を撮影したい。生と死の境界線に立ってものを撮りたい。そんな希望など木端微塵に壊れてしまい、一瞬にして精神を荒廃させてしまいました。
気が付くと、病院のベッドの中でした。
「いったい、何があったのですか?」
医師に聞かれましたが、わかりませんでした。病院のベッドの中にいることすら不思議でした。
医師は、
「山の中で、まるで火事にでもあったかのように全身火傷をして、倒れているところを発見され、救急隊によって、この病院に運ばれた」と私に伝えました。
全身包帯づくめの体は、あともう少し発見が遅ければ生命を失う。そんなギリギリのところであったようです。
皮膚を移植しても完全に治すことは難しいと言われた私の体は、それはもうひどいものでした。火傷で皮膚のすべてが焼けただれ、顔も元の顔が復元できないほど焼けただれました。頭巾をし、全体をマントのようなもので覆っているのはそのためです。
壊れたのは外観だけではありません。私の精神も破壊され、ここ数年は、自分が何者であるかさえ、判然としないありさまです。ようやく、自己の存在について認識できるようになりましたが、それでも万全というわけではありません。
なぜ、私があのような目に遭ったのか、なぜ、私でなければならなかったのか、私はそれを知りたいと思っています。そしてできることなら、もう一度、写真家として再起したい――。
青木の悲痛な叫びを聞きながら、私もまた不思議に思っていた。なぜ、青木でなければならなかったのか、その点についてである。
そして、青木が妹の娘、あかりとのみ交渉が持てたという不思議、それも私の心に引っかかっていた。青木は、火傷に遭って以来、すべての接触を断っていたが、唯一、あかりとだけは接触していた。電話での接触だったとはいえ、青木はなぜ、あかりと接触する気になったのか。幼いあかりが可愛い、それだけが理由とは思えなかった。
妹やあかりと共に青木の家を辞した私は、青木の家を去る前、青木と約束をした。
「あなたの事故は、何か人智の及ばない、大きな力が働いてのものだと私は考えています。この事件は、私にとって手に余るものであることは間違いありませんが、全力を尽くして頑張ります。改めてお伺いしますので、どうかご協力ください」
私の言葉が嬉しかったのか、私の手を握り締める青木の手が力強かった。
事務所に戻った私は、青木の件について一度整理をしてみた。
・青木の撮影場所が特定できるか?
・青木が選ばれた理由。きっと何かあるはずだ。
・生を得、火傷をした彼の再起は可能か?
・妹の娘、あかりとだけ交渉が持てたのはなぜか?
思い付くままにノートに記した。
ここで私は『因縁』を考えてみた。因縁とは存在の相似性を言い、すべての事象はそれ自体が自立したり、孤立して存在するのではなく、相互に依存して存在していることを表す言葉で、釈迦の『四諦の法門』もまた因縁を言い表す言葉として今に伝えられている。
「これありて これあり」
「これ生じるがゆえに これ生じ」
「これなければ これなく」
「これ滅すれば これ滅す」
この法則に従えば、青木の事故は必然性があったと言うことができる。青木を巡る何か大きな因縁が過去にあったのか、それを考え探ってみる必要があった。
三木への報告を忘れていたことに気付いた私は、その日の夜、彼の携帯に電話をかけた。
私が青木に会ってきたと伝えると、彼はずいぶん驚き、どうして会えたのかと聞いた。
妹に会って、妹の娘が青木と連絡を取っていることを知り、娘のあかりと妹に協力してもらって無事、会うことができた、と告げると、彼は、「さすがは編集長だ」と私を誉めた。
青木の様子を伝えるのは控えた。三木を心配させるのは得策ではないと思ったからだ。
私は、彼に、青木の過去について知っていることはないかと尋ねた。彼は少し考えあぐねた揚句、「これから会えますか?」と聞いた。
三木の住まいは甲陽園にあった。阪急電車に乗ってやって来ると聞いたので、阪急の駅構内で会おうということになった。
1時間後、私は三木と会った。駅近くにあるホテルの喫茶店に入った私たちは、コーヒーを注文し、「早速ですが」、と断って、三木に電話で聞いたことを話してくれるよう頼んだ。
ホテルの喫茶店は意外に空いていた。忙しい時間が過ぎた後なのだろう、話すには好都合だった。
「以前お話ししたように、私と青木とは大学時代の先輩後輩の間柄です」
と話を切り出した三木は、学生時代の青木のことを話し始めた。
「彼は兵庫県淡路島の生まれで、私と初めて会った学生時代、彼は西宮市に住んでいました。あまり自分のことを話したがらない奴でしたが、両親はすでに他界して、出身地の淡路に祖母が一人で住んでいると語ってくれたことがあります。
彼は、その頃から妹と一緒に住み、中学生だった彼女を高校に入れるのだと頑張っていました。私と彼は美術部で同じクラブにいたことから知り合いになったのですが、その頃、彼はまだ写真を撮っておらず、油絵の方をやっていました。私が彼に注目したのは、彼の類まれな芸術的センスです。主に抽象画を描いていたのですが、彼の描くそれは、本当に素晴らしいもので、父親が画廊を経営していて、私も絵の心得がありましたから、かなり厳しい目で彼の絵を見たのですが、どんなに厳しく捉えても、彼の絵をけなすことなどできませんでした。
しかし、彼は私が大学を卒業する頃から、油絵をやめて写真の方に移りました。その理由を私は知りません。聞いても彼は答えようとしませんでした。写真を始めても、やはり彼の才能はずば抜けていました。ものを瞬時に捉え、それを映し出す、その能力に秀でているのか、彼の作品は高評価を受け、次々と賞を得ました。
そんな彼の作品ですが、私は彼の作品を見て気になったことがあり、何度か忠告したことがあります。彼がとんでもない方角に向かっている。そう感じて忠告したのですが、彼はあまり気にしていないようでした。
とんでもない方角というのは、見えるものだけでなく、感じるものを撮ろうとしているような気がしたからです。感じるもの、それは霊感のようなものですが、一つ間違うと大変なことになる。それを私は画廊をやっていた父親から聞かされて知っていました。
芸術家にありがちなことのようで、才能に秀でた人は、ともすれば霊の世界に足を踏み入れ、作品と引き換えに身を滅ぼしてしまう。今までにそういった例が結構あったそうです。
今回の青木のことも、私が危惧したことが起こったのではないかと心配しています」
三木の危惧が的中して、彼は霊に導かれて山中に入り、あのような目に遭ったのだろうか――。
「三木さんが青木と知り合う以前のこと、もう少し詳しく話してくれませんか?」
すっかり冷えてしまったコーヒーを口にして、三木は言った。
「彼の両親は、淡路島で玉ねぎの栽培農家をやっていたそうです。それほど大きな土地ではなかったようですが、収穫量も多く、家族総出で頑張っていたと彼は話していました。私が知っているのはそのことと、ある日、両親が乗っていた車が対向車線を走っていた居眠り運転のトラックに正面衝突され、二人とも即死した。それが十七歳の時だった、ということぐらいです。基本的に彼はあまり昔のことを話したがりませんでした」
三木は、私に青木のことを助けてやってほしい、と何度も言い、その日はそれで別れた。
翌日、私は思い付いて淡路島へ向かった。青木の実家は人手に渡ってないと聞いていたが、近所に親類がいると聞いていたので、その親類を訪ねて、話を聞こうと考えた。
阪神高速から全長3・911メートルの世界最長のつり橋、明石海峡大橋を渡る神戸淡路鳴門自動車道を走って淡路島に入り、洲本の近くで紀淡海峡の方面に車を走らせると、青木の親類であるという、青木道夫の家はすぐに見つかった。
三木から青木道夫の連絡先を聞き、予め電話をしていたこともあって、青木道夫は快く私を迎えてくれた。
「昭雄のことですか――。長い間、会っていませんからねえ。墓参りの時、少しだけ顔を出すが、すぐに帰ってしまいよるし」
六十代半ばで、陽に焼けた褐色の肌をした道夫は昭雄に対する不満をまず、口にした。彼はまだ、青木の現在の状態を知っていないようだ。
「昭雄の両親が亡くなった時は、そりゃあ、驚きましたよ。即死でしたからね。でも、その少し前、ちょっとした出来事があって、みんな、二人が事故で亡くなったのは、そのことが原因じゃないかと噂したものですよ」
「そのこと?」
「昭雄の家は玉ねぎ農家でしてね、まあ、この辺りは玉ねぎ農家が多いんですけど、ある時、玉ねぎを栽培している土地から、変なものが見つかって――。それを供養すればよかったんですけど、忙しかったんでしょうな。供養せずにそのまま別の場所に埋めて……。事故はその祟りじゃないかと、一時、みんな噂しておったんです。まあ、迷信ですけどね」
「その変なものとは、どんなものですか?」
「この辺りは古代の土器や生活品がよく発見されるところなんです。昭雄の両親も農作業中に梵字のようなものを記した木製のお札と香炉のようなものを見つけて――」
「それをどこか別のところへ埋めたというわけですね」
「そうなんです」
「その場所はわかりますでしょうか?」
と聞くと、道夫は少し考えて、
「その場所へ行ったらわかると思いますが」
と言った。
道夫に無理を言って、私はその場所に向かった。洲本から西へ向かった瀬戸内海に近い場所に昭雄の両親が営んでいたという玉ねぎ畑があった。結構広い土地で、その広さに驚かされた。現在は、別の農家が玉ねぎを作っていると道夫は語り、木製のお札と香炉の見つかった場所に私を案内した。
木製のお札と香炉の見つかった場所は、玉ねぎ畑と少し離れたところにあり、昭雄の父が、収穫した玉ねぎを置く場所を探して土地を整理している時、見つかったのだと語った。その頃、生きていた祖父は、供養して埋めてやらんとあかんと昭雄の父に強く言ったそうだが、昭雄の父は収穫に追われており、後でやろうと思って、とりあえず別のところに土を被せて置いておいた。収穫を終えて、木製のお札と香炉を思い出した昭雄の父はそれをとりあえず埋めておいた場所に行ったが、どこを探しても見つからなかった。
昭雄の両親が亡くなった時、みんなが噂をしたのは、見つかった木製のお札と香炉をすぐに供養して埋葬せず、そのまま別の場所へ簡単に埋葬したことが悪かったのでは、ということだった。
「この辺りに昭雄の父が、とりあえず埋めたそうや。だが、不思議なことにどこをどう探しても見つからなかった」
昭雄の両親もそうだが、そのことが昭雄にも降りかかっているのではないかと、その時、私は考えた。そうなると、どうしてもそれを探し出す必要があった。
私は、道夫と二人で昭雄の父が埋めたとされる場所を探した。2時間近く探しただろうか、かなり広範囲に探したが、見つけることができなかった。
あきらめかけていた時、道夫の孫らしい小学生の女の子がやって来て、
「おじいちゃーん」
と道夫を呼んだ。孫の女の子は道夫のことが大好きなのだろう。目ざとく道夫を見つけて走り寄って来た。
「気を付けておいで。転んだら怪我をするよ」
駆け足で走って来た孫が途中で転んだ。それを見て、道夫が驚いて倒れた孫のそばに走り寄り、私も道夫と共に孫のそばへ向かった。
「大丈夫か?」
道夫が孫の体を抱き起すと、孫は痛めた膝をかばいながら立ち上がり、
「つまづいちゃった」
と言ってペロリと舌を出した。
「石ころでもあったか」
道夫が、孫が躓いたという場所を見ると、そこに何やら変なものがある。 その瞬間、
「井森さん、これや。あった!」
地面を指さして、道夫が言った。
先ほどから何度も探した場所であったのに、見つけられなかったものが、今、目の前にあることが奇妙ではあったが、ともかく、木製のお札と香炉は見つかった。
道夫に断って、私はそれを近くのお寺で供養させてもらうことにした。そして、安全な場所にもう一度埋葬してやりたいと思った。
幸い寺はすぐ近くにあった。住職は、私の手にある木製のお札と香炉を見ると、迷わず念仏を唱え、両手を合わせて拝んだ。無事に埋葬を終えた後、住職が私に言った。
「強い霊力を持った遺物です。古代のものだと思われますが、非常に強い霊気を伴ったエネルギーを発していました。人間の手の及ばない場所に埋葬しましたが、まだ、完全に安全とは言いきれません。しばらく供養を続け、エネルギーの治まるのを待ちます」
私は、住職に、この二つを発見した昭雄の両親が亡くなったこと、息子の昭雄が写真家なのだが、五年前、霊による事故に遭い、現在、精神、肉体共に病んでいることを話した。
「因果関係はわかりませんが、今回、供養した遺物が原因である可能性は高いと思います。これまでにも、こうした遺物の発見は数回ありましたが、そのたびに不思議な事故が起こっています。短絡的に結び付けるわけにはいかないと思いますが、関係性は非常に高いと思われます」
住職の言葉を聞いて、私は青木を助ける一つの手段が講じられたと思った。これによって青木が回復するかどうか、写真家として復帰するかどうかまではわからないが、何かのきっかけは掴めたと思った。
私は道夫に厚く礼を言って、淡路島を離れた。そして、その足で三木に連絡を取った。
電話に出た三木に淡路島で見つけた遺物の話をし、昭雄の両親の死、そして昭雄の事故の原因の一つにそれが関係している可能性が高いと告げた。
三木はにわかには信じがたいようだったが、私と一緒に青木の家に行くと言った。
現地で合流することにした私は、車を走らせていくうちに、一つのことに気付き、昭雄の妹の家へ電話をした。
妹が電話に出る前に、
「こんにちは」
とあどけない声が電話に出た。あかりの声だ。しかし、すぐに妹にとって代わり、妹の声が聞こえた。私は、今日、再び、お兄さんのところへ行く旨を伝え、できれば、妹とあかりにも同行してもらいたいと告げた。
妹は、「私一人では駄目ですか?」と聞いたが、私は無理を言ってあかりも同行してくれるよう頼んだ。
箕面の昭雄の家に着くと、三木が門の前で待っていた。
「チャイムを鳴らしたのだが出ない」
三木が私に言った。
「もう少ししたら妹さんと娘が来ます。娘が来たら、青木さんは門を開けるはずです」
私が説明をすると、三木はわけがわからないといった表情で私を見た。
「この間も編集長に聞いたと思いますが、妹の娘が今回の件に関係があるんですか?」
私は、三木に説明をした。
「青木を支配していた霊は、今日、淡路島で供養した霊の仕業である可能性が高い。両親の死から、彼は自然に霊に関心を抱くようになった。そこに彼の芸術的感覚が加わり、彼は功成り名を遂げた。彼の野心は止むことを知らず、人間の生死の境界、つまり霊的世界に邁進するようになる。そうなると、青木を支配していた霊は、さらに深い闇に彼を引き込み、彼の肉体と精神を潰そうとした。
――妹の娘、あかりがいなければ、青木はとうの昔に潰れていたでしょう。青木は、霊に支配されながら、あかりに連絡を取ることで辛くも踏ん張っていたのだと思います。青木を支配する霊は、淡路島で埋葬され供養されたことにまだ気づいていないかも知れません。青木もまた同様に気が付いていません。
青木を支配する霊を追い払うのがあかりの役目です。子供の天真爛漫な無垢の精神が、青木を照射し、霊の絶対的な支配から救います。私はそう信じています」
三木はまだ信じられないといった表情で私を見て、
「すべて編集長の一方的な解釈のように私には見えますが……、まあいいでしょう」
投げやりな口調で不満をあらわにした。
妹とあかりがやって来たのはそんな時だった。
「遅くなってすみません」
と妹は私に謝った後、
「本当にあかりが役に立つのですか?」
と聞いた。
私は、「大丈夫です、あかりちゃんでないと駄目なんです」と妹に断言して、あかりにチャイムを押してもらうよう頼んだ。
チャイムを押したあかりが、叫ぶようにして言った。
「おじちゃーん」
その声に青木がすぐに反応した。
「どうしたんだい? あかりちゃん」
「おじちゃんに会いたいでちゅ」
舌っ足らずの声に呼応するようにして、門がすぐに開き、門が開くと、あかりは家の玄関に向かって走り始めた。
それを見て、私は天に祈った。
「あかりちゃん、きみの純真無垢な魂を青木にぶつけてくれ! そうすればきっとすべてが変わる!」
期待ではない。希望でもない。私は信念を持ってその言葉を吐いた。
あかりちゃんの向かう先に、青木が立っていた。頭巾をかぶりマントを羽織った青木が、近づいてくるあかりをどのように受け止めたらいいのか、戸惑っていた。
私は青木に向かって叫んだ。
「きみの呪縛は解けた。安心してあかりちゃんを抱きしめてやってくれ!」
青木は、戸惑い気味に広げた両腕を、今度はしっかりと伸ばして、走り寄って来るあかりを捕まえようと待ち構えた。
あかりがその腕に飛び込む。青木はそれをしっかり受け止め、抱き上げた――。
その瞬間、閃光が走った。
霊の呪縛が解けた瞬間だった。キャッキャッとあかりの笑い声が響き渡り、光の中に青木とあかりがいた。
頭巾を脱いだ青木の顔を見て、三木が声を上げた。以前そのままの青木がそこにいた。火傷の跡はどこにも残っていなかった。マントを取り、自らの体を眺め見まわした青木は、あかりを抱いたまま、歓喜の声を上げた。
霊の呪縛から逃れた青木は再び、写真家として活躍するようになった。だが、その画風はずいぶん変わった。それは以前のように、生と死の境界に立ったものではなく、慈愛に満ちた温かい作品として評価され、発表された。
あかりをモデルにしたそれらの作品群は、多くの人の共感を呼び、青木昭雄はさらなる人気を得た。
〈了〉
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