舞い踊る墨絵の謎(前編)
高瀬 甚太
『墨の魔術師』と評した批評家がいたが、まさにその通りだと思った。景山朴山の描く墨絵は、これまでの墨絵の常識を覆すもので、多くの人に深い感銘と衝撃を与えるものだった。
私が初めて景山朴山の墨絵に出会ったのは、二年前のことだ。大阪市西天満でギャラリーを経営する船形喜一郎に、「面白い絵があるから観に来ないか」、と誘われて出かけ、そこで初めて景山朴山の絵に出会った。
「どうだ、面白い絵だとは思わないか?」
船形に言われる前に、すでに私は、その絵の放つインパクトに衝撃を受け、声も出ないほど圧倒されていた。
墨絵の魅力は筆の操縦にある。濃淡をつけて、いかに筆を動かして芸術性を高めるかだとずっと思ってきた。しかし、目の前にある絵は、墨絵であることに疑いはなかったが、筆ではなく、墨が踊っているかのように見えた。用紙も特殊なものではない。筆も多分、どこにでもある筆を使っているのだろう。それなのにひどく立体的に見えた。
筆舌に尽くしがたいその絵の魅力は、観る者を異界に引きずり込むような怪しい光を放つところにもあった。私はたちまち景山朴山の虜になり、彼の新作が発表されるたびにギャラリーに足を運んだ。
景山朴山とは一面識もなかったが、彼の活動のほとんどを把握していた。彼の書くブログの中には、今日、明日、明後日と先のことまでスケジュールが書き連ねられていた。
いったい全体、景山朴山とは何者なのか、彼は、日々の日常は明かすが、自身の素姓については一切語らなかった。どこの出身なのか、何歳なのか、結婚をしているのか、学歴の有無まですべてを秘密にしていた。
好奇心が人一倍強い私は、ファン心理として、彼の過去に興味を抱いた。なぜ、あのような表現ができるのか、発想はどこから生まれるのか――、興味は尽きなかった。
そのうち意外なことがわかった。景山朴山は男性ではなく女性だと言う者が現れたのだ。
そういえば、彼の顔は一度も公開されていなかった。興味を持った私は、船形なら知っているだろうと思い、電話で尋ねたことがある。
「実は私も景山朴山には会ったことがないんだ」
船形の答えが信じられず、
「絵は、景山朴山が持って来るのじゃないのか」
と聞いた。
「絵はいつも宅急便で届く。交渉はすべてマネージャーと称する男性がしていて、景山朴山は一向に姿を現さない」
なぜ、そうまで徹底して姿を明らかにしないのか、だから女性だという噂が流れるのだろうか。船形に憤慨しても仕方がないことだったが、ファンとして腹立たしく思い、船形に怒りの矛先をぶっつけた。
「いい話があるんだが――」
私の憤慨を軽くいなして船形が言った。
「いい話とは?」
「年に一度、日本全国のギャラリーが集まる会合があるのだが、そこにゲストとして景山朴山を招待している。いくら何でもそこには姿を現すだろう。どうだ、編集長も一緒に来てみないか」
日時も場所も聞かず、私は「行く! 何が何でも行く」と答えた。
ギャラリーの会合にゲストとして招待された景山朴山は、出席すると、本部事務所に返事をしたようだと、船形に聞いたのはそれから三日後のことだ。
日時は九月九日。午後2時から始まって午後5時に終了する。ゲストは二名いて、基調講演を水戸彦三という画壇の大物が行い、景山朴山は会の半ばに講演することが決まっていた。
後、半月ほどでその日がやって来る。私は盆休みを返上して遅れている出版の制作に勤しんだ。
ギャラリー一名の出席しか認められていなかったため、ちょうどその日、香港へ行く用と重なっていた船形が、私を代理として参加させてくれることになった。
場所は淡路島。日本全国から集まるには不便な場所のように思えたが、前回は隠岐の島だったと聞いて、何となく納得できた。この会合は基本的に島でやることになっているようだ。
九月九日の前日、ギリギリに仕事を片付け終えた私は、翌日、早朝からバスで淡路島へ旅立った。とはいっても大阪から淡路島はそう遠くない。バスで2時間もあれば充分行ける距離だ。
会場は鳴門に近いホテルになっていた。全国のギャラリーが集まる会だ、三百人規模の人が集合するわけだからホテルはほぼ貸切になる。
ホテルに到着すると、すでに二百人以上の人が集まっていた。午後2時の開場まで時間が充分あったから、ロビーの喫茶店でお茶を飲み、本を読んで過ごすことにした。
「お宅はどちらから来られました?」
七十歳前後を思わせる、白い口髭とあご髭を蓄えた老人に声をかけられた。嘘を言うのも申し訳ないと思い、大阪西天満の船形の代理で来ました、と告げると、老人は、船形をよく知っていて、ひとしきり老人と船形の話で、盛り上がった。
開宴半時間前から会場へ入場できることになっていた。席はそれぞれ指定されていて、私は幸運にも壇上に近いテーブル席に座ることができた。ここなら景山朴山の顔がしっかり見ることができる。料理はバイキングかと思ったがそうではなく、フルコースで出されるとメニュー表に書かれていた。ざわざわとした会場が、午後2時の開宴が迫ると急に静かになった。年に一回、日本中のギャラリーが集まる会だから単なる親睦会だろうぐらいに思っていたがそうではなかった。式次第にぎっしりと書かれたそこには、基調講演から始まって、表彰式、討論会など、現在のギャラリー運営を考え、日本の美術界を考える内容が目白押しになっていた。
司会が登場し、開宴を告げると、この会の運営責任者が登場し、開会宣言を行った。
私自身、絵に対する興味は幼い頃から有していた。中学生の頃は本気で画家を目指したこともあったが、高校に入学する頃には別のことに興味を持ち、画家になる夢どころか、一枚の絵も描かなくなっていた。
会が進行し、やがて中盤に入ると、食事が出て、酒が入るせいか、会場の熱気が幾分低下した。しかし、私の興奮の度合いは逆に強くなっていた。景山朴山に会えるのだ、そう思うと胸が高鳴った。これがファン心理というものだろう。
先ほどロビーで話した、白い口髭とあご髭を蓄えた老人が壇上に上がった。景山朴山が登場する前段として、景山朴山について語りたい、というのが壇上に立った主旨だった。
老人は、白いあご髭を揺らしながらマイクの前に立った。
「まず、私の紹介から始めさせていただきます」
老人は会場を眺め見渡し、一つ間を置いた。老人とロビーで会話を交わしたが、もっぱら船形の話題ばかりで、老人の正体について私は何も知っていなかった。
「私は、岡山市でギャラリーを営んでいるものですが、陶器関係が多く、絵画の種類はそれほど熱心に取り扱って来ませんでした。そんな私の元に、ある日、一人の男性が訪れて、自分の知人の描いたものだが、観てやってくれないかと、一枚の絵を持って来ました。
絵画の部類はあまり詳しくないといって断ろうとすると、男性は、観るだけで結構ですから、と言って私の眼前にその作品を広げました。
驚きました。門外漢の私でさえ、驚嘆するほど、その絵は完成度が高く、革新的なものでした。墨絵でありながら墨絵の世界を超越したその作品を見て、私は虜になりました。商売を忘れて感激したのです。
その後、私は、景山朴山を世に出すためにさまざまな機会を通じて宣伝しました。だが、私の力など何の役にも立ちません。景山朴山は、自身の絵の力で一気にメジャーな位置に到達しました。今では世界中で絶賛される稀有な作家として、墨絵界、いや、日本の美術界を席巻しております。
ここにその景山朴山をご紹介させていただけることは、まことに光栄の至りです。それでは登場していただきましょう。景山朴山先生、よろしくお願い致します」
会場が一斉に暗くなり、壇上のステージにスポットライトが当たった。スポットライトの中心にシルエットになった景山朴山がいた。一斉に拍手と歓声が上がる。
「皆様、初めてお目見えいたします。景山朴山です」
シルエットが声を発する。女性の声のように思えた。
「わけがあって、素顔を公開することができませんので、シルエットでお話しさせていただくことをお許しください」
スポットライトに照らしだされた景山朴山だが、シルエットになっていて素顔が見えない。会場がざわめく。しかし、不満を漏らす声は出なかった。
「私の父は著名な日本画家として、一時期、日本画界を牽引した時期がありました。しかし、当時の保守的な画壇と相いれず、志半ばで挫折し、後年は不遇な処遇を受け、自殺して果てました。そんな父を見ていましたから、私は美術の世界と離れたところで生きてきました。ですが、父が亡くなり、遺品を整理している時、父の残した日記を読んで、父が私に期待と夢を抱いていたことを知りました。
私に才能があるなど夢にも思ってもいませんでしたが、志を継ぐ形で、挑戦してみることにしました。墨絵を選んだのは偶然です。何か描いてみよう、そう思った時、そばにあったのが、筆と墨でした。それで描いてみただけのことです。
父は、日本画家でありながら、美に拘泥する作家ではありませんでした。花や木、草、風景に至るまで、父が求めたものは、対象物の生を描き、その息吹を表現することでした。そのため父は、土にまみれ、泥にまみれ、植物の精気を感じ取ろうと必死になって努力しました。私もまた、父の志を継いで、物の持つ生命、その息吹を捉えようと、常にその意識を持って挑戦しています」
景山朴山は紛れもなく女性だった。透き通るような美しい声は、知性と教養に溢れ、独特の雰囲気を醸し出していた。
しかし、スタイルはわかっても顔は見えない。そうするうちにスポットライトが消え、檀上から光が消滅すると、次に会場が明るく照らし出された時、すでに景山朴山の姿はなかった。
景山朴山が姿を消し、会場が明るくなると、ざわめきがさらに大きくなった。景山朴山が女性であったことと、シルエットにして顔を見せなかったことに対する懐疑心が働いたのだろう、会場内に朴山を話題にする声が満ちた。
私もまた、そのうちの一人だった。景山朴山の肉声を聞いたことで、私の中の朴山熱はさらに過熱し、隣席の何人かに、食事も忘れて朴山の絵の魅力を熱く語っていた。
その後も朴山の絵画活動は止まなかった。新作を発表するたびに、ギャラリーに、美術展会場に多くの人が詰めかけた。
謎の墨絵画家、景山朴山はしかし、人気絶頂のその時期、何の予告もなく突然、消えた。
ブログも閉じられ、朴山の痕跡を残すものは何もなくなった。あるのは、これまで朴山が描いた作品の数々だけだった。
その消息が気になっていた私の元に、船形から電話がかかってきたのはそんな時だ。
「景山朴山が消息を絶ったことを知っているか?」
私が、「ニュースで知ったが、詳しくは知らない」と答えると、船形は、
「あまりいい噂を聞かない。朴山が心配だ。――編集長、仕事が忙しいのは充分承知しているが、朴山を探してくれ。頼む、この通りだ」
と言う。
「私は興信所じゃない。一介の編集マンだ。それ以外の能力は何も持ち合わせていない」
と突っぱねると、船形がそれを無視して言う。
「今月も苦しいんだろ。金は払う。わしじゃない。日本国中のギャラリー関係者がお金を出し合う。多分、相当な金額になるはずだ。しばらく金の心配はしなくてもよくなるぞ」
船形は、私の弱点をしっかり押さえていた。
「私も朴山のことが気になっているし、何しろ私は大ファンだから……。金云々じゃなく、引き受けざるを得ないな」
「金はいいのか?」
「いや、せっかくだからありがたく貰う。できれば月末までに貰いたい」
こうして私は朴山の行方を追うことになった。
謎の画家、景山朴山は、所在からして謎だった。一体どうやって探せばいいのか、見当がつかなかった。船形に、朴山の住所を確認すると、事務所が京都市内の嵯峨野にあることがわかった。しかし、船形が電話をしても通じなかったという。その電話番号に私も連絡を取ってみたが、やはり不通になっていた。
それでも一度、事務所を訪ねないわけにはいかない。そう思った私は、その日のうちに阪急電車に乗車し、桂で乗り換えて嵐山に向かった。
嵐山で下車した私が、駅で待機するタクシーに朴山の住所を書いたメモを見せ、この住所に行ってほしいと伝えると、タクシーの運転手はそのメモの住所を見て首を捻った。
「この住所には家はなかったはずだけどなあ……」
だが、それでも私は、その住所に案内してくれとタクシーの運転手に頼んだ。
渡月橋を超え、東に向かったタクシーは、途中から北へ上って行った。坂の途中で車を停めた運転手は、
「車で行けるのはここまでです。ここから竹藪の道を歩くと住所の場所に出ます」
と言った後、
「でも、そこは確か池のはずなんですが」
と先ほどと同じように首を傾げた。
私は、運転手に教わった竹藪の道を歩いた。しばらく行くと、運転手が言ったように池があり、周辺には建物らしいものが何もなかった。
途方に暮れた私は、通りがかりの人に尋ねた。しかし、旅行客がほとんどで、何も知ってはいなかった。だが、何人か聞いて行くうちに、ようやく土地の人が見つかった。老齢の男性は、この周辺の山を持っている地主だと名乗り、私の取材に快く協力してくれた。
ここの住所が住まいだと聞いて来たのだが――、と言うと、地主は、しばらく考えた後、「芳野さんのことじゃないかな」
と話した。
「ずいぶん昔だが、芳野さんという日本画家がこの池のほとりに家を建てて住んでいた。有名な方だったらしいが、自殺されてね」
私が、その方には奥さんと子供さんがおられたはずですが、と聞くと、
「ああ、奥さんと娘さんがいました」
と地主は答えた。
「だが、芳野さんが自殺された後、奥さんがおかしくなってね。一年後に家に火を点けて焼死したんだ。悲惨な火事だったよ」
老齢の地主は、眉を潜め、思い出したくもないといった感じで肩を震わせた。
「娘さんがおられたはずですが――」
「当時、高校生だったかな。美しい女の子だったが、火事にあって一命は取り留めたが火傷がひどくてね。家が焼失した後、病院に収容されたようだが、その後の行方は聞いてないな」
その娘が景山朴山である可能性が出てきた。私は、地主に、その娘が収容されたと思われる病院を聞いた。地主は二つほど病院名を挙げて、二つのうちのどちらかだと説明した。
嵯峨野からそう遠くない場所に、個人病院と総合病院の二つの病院があった。個人病院では難しいと思った私は、先に総合病院へ向かい、そこで芳野の家のことを話し、火事に遭って病院に収容された女子高生がいたはずだが、と尋ねた。こういう時、出版社の名刺が役に立つ。本を制作するうえで必要な情報だと病院の事務担当を説き伏せて、調べてもらうようお願いをした。
入院患者の履歴は、すべてパソコンのデータに集積してある。だから過去の入院歴を調べるのはそう難しいことではないようだった。地主に聞いていた、だいたいの日時と様子を話し、火災で、救急車で運ばれたという事実を伝えると、芳野真由の名前が出てきた。
「芳野真由さんは、当時、高校三年生、十八歳でした。全身火傷の重傷で、この病院に二カ月間入院しています。ご両親が亡くなられていたので、芳野真由さんのご親戚の芳野美弥太郎という方が真由さんの入院費を払い、その後の真由さんの世話をしています」
「芳野美弥太郎さんですね。申し訳ありませんが、その方のご住所か、連絡先を教えていただきたいのですが」
芳野真由が景山朴山である可能性が高くなった。その真由は、病院を退院した後、親戚である美弥太郎に引き取られている。美弥太郎に聞けば何かわかるかも知れない。そう思った私は、担当者に聞いたのだが、担当者はそれに対して頑として答えなかった。
「本の制作に、この方の住所が必要なのでしょうか。個人情報保護法に抵触する恐れがありますので簡単にはお教え出来かねます」
私は、担当者に、行方不明になっている画家が、その真由さんである可能性が高い。事件に巻き込まれている可能性もあるので、至急、探さなければならない。ところが、その画家はすべてを秘密にしていて、探しようがない。親戚である美弥太郎さんの住所がわかれば、所在が掴めるかもしれない、と真実を話して理解を求めた。
担当者は、出版の件でと嘘を言ったことに当初こそ憤慨したが、私の話す内容が真実だと理解すると、美弥太郎の住所を教えてくれた。
「でも、警察や興信所だったらわかりますけど、出版社の編集長が何で人探しをしているんです?」
美弥太郎の住所を書いたメモを私に手渡しながら担当者は首を傾げた。私は答えようがなかった。確かにその通りだったからだ。
「これも人助けだ、そう思って協力しています」
と答えると、ようやく担当者は納得した顔をして、「そうですよね。人助けなのですよね」と言って笑った。
芳野美弥太郎の住まいは、京都ではなく、滋賀の大津だった。阪急電車で一度京都へ出た私は、JRに乗り換えて、大津を目指した。
琵琶湖を見下ろす高台に芳野美弥太郎の住まいがあった。質素だがかなりの敷地面積を持った二階建ての旧い住宅だった。門でチャイムを押すと、ほどなく声が聞こえて、「どなたですか?」と聞いた。
「極楽出版の井森と申します。真由さんのことでお聞きしたいことがあって――」
そこまで言ったところで門が開いた。中に入ると、よく手入れされた広い庭があった。
屋敷の玄関口に目をやると、お手伝いらしい若い女性が、私の出迎えるためだろうか、立っていた。
「どうぞこちらへ。ご案内致します」
若い女性の丁寧な対応に、この家の格式が窺われた。女性は屋敷の中ではなく、庭の中央に立つ離れに私を案内した。
ログハウスのような大きな木材を組み合わせた建物が庭の中央にあり、お手伝いの女性は、「主人がこちらへ通してくれとおっしゃっていますので」と説明をして、私を中に入れた。
ログハウスの中は、太陽の日差しをうまく取り入れた快適な空間を演出していた。簡素で何もない中に、豪華な革張りの応接セットがあり、女性は私に、ここでお待ちください、と言いおいて、出て行った。
この家の主人、芳野美弥太郎は客が来るとここへ案内するのだろう。くつろいで話せる空間がこの部屋にはあった。
ほどなく美弥太郎が現れた。
「お待たせして申し訳ありません」
作務衣を着て私の前に現れた美弥太郎は、軽く挨拶をして対面するソファに腰を下ろした。
「真由のことで、と言うことでしたが、どういうことでしょうか?」
七十代前半と思われる美弥太郎は血色のいい、健康そうな肌を作務衣から覗かせて、私に言った。
「景山朴山という墨絵画家がいます。経歴も住所も、顔さえ見せない謎の画家です。その画家が忽然と姿を消しました。私の友人でギャラリーを経営している者は、朴山は事件に巻き込まれたのではないかと心配しています。しかし、朴山を探そうと思っても手がかりがありません。思い余って私は、ギャラリーに登録されている朴山の住所を訪ねました。そこで私は、この住所の地にあった芳野という日本画家のことを聞きました。火災に遭ったことも。娘が重傷で病院に運ばれたという話を聞き、両親のいない娘の身元引受人に美弥太郎さん、あなたがなったという話を聞きました。
私は、火傷で重傷に陥った真由さんが景山朴山ではないかと疑っています。そこで美弥太郎さんに聞けば、真由さんの居所が見つかるのではないかと思い、今日、こちらへ訪ねて来たわけです」
美弥太郎は作務衣がよく似合っていた。一見して陶芸家か、それに近いアートの職業を専門にしている人のように感じた。その美弥太郎が、私を見て、首を振った。
「真由は景山朴山ではありませんよ」
断定する美弥太郎に、私は問いかけた。
「なぜ、そう言いきれるのですか?」
美弥太郎は、宙に視線をやり、私に答えた。
「真由は、もうこの世の人ではありませんから――」
「え……」
美弥太郎の言葉を聞いて、一瞬、私は言葉を失った。
〈つづく〉
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