空き巣を捕まえろ!
高瀬 甚太
「周辺で空き巣被害が頻発しているので気を付けてください」
と、見回りにやってきた警官が言った。
「このマンションの二階、三階部分の一人暮らしの部屋が特に狙われています」
と警官は言い、井森公平の事務所も二階だから気を付けた方がいいですよと、忠告してくれた。つい最近、井森の隣室や三階の部屋が空き巣に荒らされた事件があったばかりだ。
「昼日中が多いようですね。空き巣はベランダから侵入して、ガラス窓を開けて部屋の中にある金目のものを盗んで行きます。お隣さんはもらったばかりのボーナスを部屋の中に置いていて盗まれました」
警官は、そう説明して、「では、お気を付けください」と言って去った。
井森はこれまで空き巣被害に遭ったことなど一度もない。以前、住んでいたアパートでは、周辺の部屋がすべて空き巣に遭ったというひどい事件があったが、その時でさえ、井森の部屋だけが空き巣被害に遭わなかった。そのため、一時は警察から犯人ではないかと疑われたことがある。幸い、その時は空き巣が早々に捕まり、難を逃れたが、空き巣が入らない部屋というのもどうだろうか、そう思い悩んだことがある。
井森の友人に神津明人という男がいる。その男は空き巣被害に遭うことが多く、年に十数回、月平均で言えば、一回か二回、空き巣に遭っている。どうしてそんなに空き巣に遭うのかといえば、稼いだお金を銀行に預けず、すべてタンス貯金にしていた。神津という男は、例え銀行であっても金を預けることを極端に嫌がるタイプで、自分の周りに常に金を保管しておかないと安心できないタイプなのだ。そのため、部屋のいろんなところに隠すのだが、ことごとく空き巣に見破られてしまう。
空き巣のプロは金の匂いには非常に敏感で、どんなところに隠そうと、すぐに探し出してしまう特性があるという。神津は、空き巣被害に遭うたびに、どうしてここがわかったのだろうと不思議がるのだが、空き巣にしてみれば、それほど難しいことではなかったのかも知れない。
神津が井森の事務所にやって来たのが昨日の夕方近くのことだ。出版社の夕刻といえば一番忙しい時間帯で、本来なら神津の相手などしておれないところだが、青白い顔をして、「困った、困った」を連発する神津を見ていると、放っておくわけにもいかなかった。
「また、やられた――」
神津が肩を落として沈んだ声で言う。特に珍しいことでもなかったが、とにかく話を聞いてみることにした。
神津の話によれば、一昨日、神津が会社に出勤している間に金を盗まれたのだという。
今回は、家の仏壇の奥、ここなら大丈夫だろうというところにわからないように隠したというのだが、空き巣はそれを見逃さなかった。きっちり見つけて奪い去った。その前は、畳の下に隠しておいたのをやられている。台所の鍋の中に隠していたのも見つけられたというし、トイレの天井裏に隠しておいたのも見つかった。もう為す術がなくて困っていると嘆き、井森に相談するためにやって来たというわけだ。
「もう我慢がならない。空き巣を捕まえたいんだ。それと隠し場所に窮してね。どこに置けば安心か、井森、相談に乗ってくれないか?」
人に頼ることが大嫌いで、誰も信じないはずの神津が、井森に相談にやって来るなど珍しいことだった。よほど切迫しているのだろうと思ったが、まずは急ぎの仕事を片付ける必要があった。それまで待ってほしいと伝え、仕事が片付いた午後10時、少し遅くなったが彼の家に立ち寄った。
彼の家は住宅街の一角にあり、百坪ほどの豪壮な一軒家で、塀もあり、庭もありといった古風な造りになっていて、一階が応接室、台所、風呂、客間になっている。二階には広めの二部屋と書斎、寝室があった。
一見したところ、泥棒が入りやすい家のようには見えなかった。空き巣対策もしっかり講じられていて、一分の隙もないように思えたほどだ。
そんな家がなぜ、こうまで集中して狙われるのか、井森には見当がつかなかった。それに、たとえ泥棒が侵入したとしても、こんなに広い家だ。金の隠し場所を探すにも一苦労するはずだ。
それなのに、神津の話によれば、泥棒はいとも簡単に金の隠し場所を探し当てている。それが不思議でならなかった。井森は、まず、神津の家の周りを探索することにした。夜とはいえ、庭には照明が灯り、昼間に近い明るさがあった。塀を眺め、庭を見回るが怪しい箇所は見当たらない。続いて井森は、それぞれの部屋を念入りに調べた。
やはり、怪しい箇所は見つからなかった。
神津の家は、神津と奥さんの二人暮らしで、踊りの師匠をしている奥さんは、週に三回ほど外出をしていた。空き巣はその奥さんが留守の日を狙って侵入している。この日も奥さんは踊りの慰労会で、北陸へ一泊二日の旅行に出ているということだった。
「奥さんは神津が銀行にお金を預けないことをうるさく言わないのか?」
と、井森が聞くと、神津は口を尖がらせて、
「そりゃあ、うるさく言うよ。でも、おれは銀行を信じない。誰が何と言っても金を預けたりしない」
神津はそう言う。これだけ空き巣被害に遭えば、普通はやっぱり銀行に預けようかな、と思うものだが、彼はそう簡単に信念を曲げたりしないようだ。そう言えば神津は高校時代からそんな男だったことを思い出した。
奇人変人、それが神津を表現する時、一番適した言葉のように思われる。高校時代から彼は一風変わった男だった。ただ、成績だけは抜群によかった。高校を卒業したら、当然、東大を受験するものと誰もが思っていたが、へそ曲がりな彼は私大を受験し、卒業した後、東大の大学院へ進み、史学の研究に勤しむようになった。今は、大学院で研究を続けながら執筆活動を続けている。
空き巣被害に遭うようになったのは、三年ほど前からだと、神津は語る。なぜ、三年前から頻繁に被害に遭うようになったのか、もしかしたらそこに何か意味があると思った井森は、三年前の初めて被害に遭った時の状況について詳しく話を聞くことにした。
しかし、話を聞いても神津には特に変わった出来事はなかった。そこで、今度は家庭に関することで何かなかったかを聞いてみた。すると神津は、 「そういえば……」と三年前を振り返って語り始めた。
「そう言えば三年前、庭師を変えたなあ……。父親の代から庭を任せていた庭師が亡くなって、新しい庭師に変えたのがちょうど三年前だ。それと、家をリフォームしたことがある。それも三年前のことだ」
庭師とリフォーム――。案外、そこに何かがあるのでは、と考えた井森は、神津にそのことについて詳しく聞いた。
「その庭師の素性はわかっているのか? それとリフォーム業者はどういうところだ」
「庭師は、間違いなく確かな男だ。うちの庭をやってくれていた庭師の弟子で、その庭師に付いて、ずっとうちの庭をやってくれていた。リフォーム業者は、うちの近所の会社で、不動産会社が兼業でやっているところだ」
「リフォームのためにその会社から何人ぐらいやって来た?」
「そうだな、三人、いや、四人だったかな。その程度だ」
「よし、近所の会社なら好都合だ。明日にでもその会社へ行って、神津の家のリフォームを担当した社員を検証してみることにしよう」
「社員を検証?」
「そうだ。庭師でなければそのリフォーム会社の社員が怪しいと思う。空き巣は、明らかに家の内部の様子をよく知っている奴の仕業だ。家の内部の事情を知っているものとなると限られる。とにかく、その会社のその社員たちに当たってみることにしよう。何かが掴める可能性がある」
「しかしなあ……」
神津は納得がいかない様子で首を捻った。そのリフォーム会社をよほど信じているのだろう。井森は明日、問題の不動産屋兼リフォーム会社を訪問することを一方的に神津に伝え、その日は家に帰った。
翌日、井森は一度事務所に出て、用を片付けた後、神津の家に向かい、神津と共に、リフォームを担当した不動産会社に向かった。
神津の家から歩いて15分ほどの距離に不動産会社兼リフォーム会社の看板を立てた三階建てのビルがあった。一階の不動産会社で、
「三年前、神津さんの家のリフォームをしてもらった件でお尋ねしたい」
と挨拶をすると、六十前後と思われる大柄な社長が出て来て、
「何か不都合なことでもありましたか?」
と心配げな声で聞いてきた。
神津は傍らに立つ井森が自分の友人であることを社長に告げ、井森を社長に紹介した。
「それで、どんなご用で来られたのでしょうか?」
井森は担当直入に社長に質問した。
「大した用ではありません。三年前のリフォームに携わった社員の方々は今もこちらにおられますか?」
「いやあ、三年前の社員は一人残っているだけで残りの三人は辞めました。今の若い者はすぐにケツを割りよる。仕方がないですなあ」
井森は、今も残っているという一人に面会させてくれるよう頼むと、社長は、
「もうすぐ戻って来ると思います。しばらくお待ち下さい」
と言って、井森と神津をソファに座らせ、神津に再リフォームの話をし始めた。
十数分後、数人の社員が戻って来た。社長はそのうちの一人を呼び寄せ、こちらへ来るようにと声をかけた。社長に呼ばれたのは相澤誠という社員だった。相澤はすぐに井森と神津の元やって来て、挨拶をした。
社長が相澤に、
「この方はきみが三年前にリフォームしたお家のお客さんだ。その時のことで、話を聞きたいらしい」
相澤は、「どんなことでしょうか?」と恐る恐る井森と神津に訊ねた。
「三年前、リフォームされた方のうち、現在、残っているのはあなただけと聞きました。他の方の消息はご存知ありませんか?」
井森が訊ねると、相澤は少し間を置いて、
「一人は三井と言って、うちを辞めて運送会社に就職しましたが、今でも付き合いがあります。後の二人は、今はもう付き合いはありませんが、そのうちの一人、田代という男は北海道出身で、札幌に帰ったと聞いています。もう一人の志賀という男も関東出身で、うちを辞めた後、関東へ帰り、実家の商売を継いでいると聞いています」
相澤はよどみなく説明した。
神津と不動産会社の社長の二人は、相澤と井森の会話に聞き入っている。
「相澤さん、実は神津さんの家で空き巣が頻繁に起きています。しかもそれは三年前から、つまり神津家のリフォームが行われてしばらくしてからのことです。相澤さんにお聞きしたいのは、その時の様子です。記憶されていることで何かあれば教えていただきたいのですが――」
相澤は少し考えた後、大きく頷いて話し始めた。
「神津さんの家屋の畳や壁紙、台所、天井、そして床下、ほとんど全体を行いましたので、約二週間の日程を要しました。何しろ広いお家でしたので作業が大変でした。当時は三井が責任者で、入社して二年目の私は、新人の田代と志賀と共に三井の指示に従って作業を行ったことを覚えています」
「その時、何か変わったことはありませんでしたか?」
「そうですね。――ああ、一つだけありました。三井が畳を替えるために上げた時、『これは何だ?』と大声を上げました。床の下に穴があって、そこに箱のようなものが埋めてあったんです。念のためにその箱を取りだして開けると、中に一万円札が、そうですね三百万円ぐらいはあったと思うのですが、入っていたんです」
相澤の話を聞いて、神津が、
「ああ、それは覚えている。三井という人が私のところにその箱に入った金を持って来て、床の下にあったと届けてくれた。あれは、私が隠していたものだった」
と言う。神津の習癖なのだろう。
「では、相澤さんも三井さんも、神津が大金を家屋のいろんな場所に隠していることをその時、知ったわけですね」
井森は相澤に確認した。
「ええ、箱をお届けした時に神津さんからそんな話を聞いたことを覚えています。あの時は、大金をそんな場所に隠しておくなんて信じられなくて、驚いたことを覚えています」
相澤の話はそれで終了した。これ以上聞ける話は何もなかった。
「相澤さん、お仕事中、申し訳ありませんでした。その三井さんという方に一度お会いしたいのですが、連絡を取っていただくことはできますか?」
相澤は、その場ですぐに三井に電話をした。三井が電話に出たところで、相澤に代わって井森が電話に出た。
――三井さんでいらっしゃいますか。神津の友人で井森と申します。以前にリフォームした神津さんの家の件で、一度お会いしてお聞きしたことがあるのですが、時間を取っていただくことは可能でしょうか。
――大丈夫ですよ。幸い今日は非番ですので、今日にでもお会いできますが。
三井は、急なお願いにも関わらず快く引き受けてくれた。
指定された待ち合わせ場所は、三井の家の近くの喫茶店だった。京橋駅近くだと聞き、神津と共に井森はJR環状線で京橋駅に向かった。
JR京橋駅から5分ほど東に向かって歩いたところに、三井が住む十階建てのワンルームマンションがあり、その手前に「ひまわり」という指定された喫茶店があった。既に三井は先に入店していて、井森と神津を見ると、立ち上がって礼をした。
中肉中背で浅黒い肌をした三井は、肩近くまで伸ばした髪を横にかき分けながら二人を席に座らせた。コーヒーが届く前に井森は、神津邸をリフォームした一件について聞きたいことがあると三井に話した。三井はその時のことをよく記憶していて、相澤よりさらに詳しくその時の様子を語った。
「畳の下に金を隠す人もたまにはいると思いますが、畳の下に小さな穴を掘って、しかもその穴に無造作に三百万円もの大金を隠すなど、最初は信じられませんでした。まるで子供の遊びのような隠し方でしたから。その時、相澤と話したものです。神津さんという方は、家のあちこちに大金をこうした形で、まるで宝探しでもするかのように隠していると――」
三井は押し殺すようにして笑った。
「そのことを誰かに話したことはありますか?」
井森の質問に三井は少し考える仕草をみせ、語り始めた。
「学生時代の同級生と酒を呑んだ時、そのことを話した記憶があります。世の中にはぼくらには想像も出来ない金持ちがいるよ、ということを話し、その際、客が畳の下に小さな穴を開けてそこに三百万円もの金を隠していたという話をしました。ぼくの周りは貧乏な奴が多いですから、その同級生もずいぶん驚いていました」
「話したのはその人だけですか?」
「そうです。学生時代からの無二の親友ですからつい話してしまいましたが、他には誰にもそのことは話していません」
「その同級生の方に一度お会いしたいのですが、連絡はつきますでしょうか?」
「大丈夫です。何でしたら今、ここで連絡してみましょうか?」
井森が頷くと、三井はすぐに連絡を取った。
――おれだ。三井だ。今、大丈夫か。おまえと話をしたいという人がいるんだが、ちょっと代わるから話してくれないか。
三井から携帯を受け取った井森は、名前を告げ、一度、お会いしたいと頼んだが、同級生の男は、「今は忙しくて無理だ」と言い、なおも頼むと、 「時間がありません」と同じ言葉を繰り返し、電話を切った。
「失礼な奴だなあ」
憤慨した三井は、井森にその同級生の住所と名前、携帯のアドレスを教えてくれた。
「彼は今、無職ですから多分、家にいると思いますよ」
三井はそう説明して、その彼のことを話してくれた。
それによると男の名前は森本善彦と言い、住まいは市内の天王寺区、寺田町の近くだと教えてくれた。以前は携帯電話のセールスをやっていたそうだが、今は退職して遊んでいるという。井森は早速、森本を訪ねるために寺田町に向かった。
午後2時を少し過ぎた時間、京橋駅からJR環状線で寺田町駅まで行き、歩いて七分ほどの森本の住まいに向かった。
古ぼけた一軒家が建ち並ぶ一角に森本の住まいがあった。築40年は超えるだろうと思われる二階建ての木造住宅、両親が亡くなり、今は森本が一人で住んでいると聞いていた。
すぐそばに小さな公園があり、砂場で子どもたちが数人、遊んでいる。母親たちがそのそばで子どもたちを見守っていた。
インターフォンを鳴らしたが返答がなく、森本は家にはいないようだった。携帯を鳴らしてみたが、電話には出ない。仕方なく、井森は公園のベンチに座って帰りを待つことにした。
1時間ほど経過した頃、自転車に乗った男がすごいスピードで公園を駆け抜けた。森本だと直感した井森は、神津と共にその自転車を追いかけた。井森の予想通り、その自転車は森本の家の前で停止した。家の中に入ろうとする森本を井森が呼び止めた。
「森本さんですね」
井森が確認のために聞くと、森本は、
「そうですが……」
と不審な表情で井森と神津を見た。
「少し、お話をしたいのですが、よろしいですか?」
森本は井森を警察関係者と勘違いしたようだ。いきなりその場から逃げだそうとした。井森は逃げようとする森本の腕を掴み、
「何で逃げるのですか?」
と聞いた。森本はひどく怯えた表情をしていた。そんな森本の様子をみて、神津の家に侵入した空き巣はこの男に違いないと確信した。
井森は近くの交番に森本を連れて行き、そこで警官と共に話を聞いた。森本は、空き巣とはいってもプロの空き巣ではなかったので、しらを切ることもなく、素直にすべてを白状した。
「三井から神津という家にリフォームに行った時の話を聞き、失業して金に困っていた俺はその家に興味を持った。酔った三井をけしかけて、神津家の様子をつぶさに聞き、部屋の様子などを確認した。三井は多分、酔っていて覚えていないでしょうが、俺は『床に金を隠すような家は、他にもきっとさまざまな場所に金を隠しているはずだ』と思い、そこで三井に、考えられる金の隠し場所を聞き出しました。三井は二週間程度、リフォームに関わっていたので、家の様子を熟知していましたから。でも、彼が悪いわけではありません。すべて私のやったことです」
閑静な住宅街ということもあり、周囲は閑散として人通りも多くない。彼は、三井から塀の一部に人が一人入れるぐらいの穴があることを聞いていたので難なく家に侵入することができた。犬も飼っておらず、窓も鍵のかかっていない窓があり、部屋の中に忍び込むには素人でも十分可能だった。部屋の中に忍び込んだ森本は、三井に聞いていた場所を当たった。すると、不思議なことにすぐに金が見つかった。最初に見つけたのは、トイレの天井裏だった。そこに百万円の札束が一個、袋に入って置かれていた。
森本は、その後、金が無くなるたびに、神津の家に侵入し、神津が隠しそうな場所を探し当て、一部を奪って逃げた。それが三年続いたようだ。
「そろそろ危ないなとは思っていました。だけど、一度味をしめるとなかなか抜けられなくて、そのうち、家の中のどこに隠してあっても見つけられるようになって、ますます辞められなくなりました。でもそのうち不思議に思うようになりました。この家の主人は、あれだけ盗まれても決して隠すことを諦めない。それは一体どうしてだろう。銀行に預けるのが不安なのか、金をいつも身近なところへ置いておきたいと思っているのか――。もしかしたらこの家の主人は異常人格ではないかとさえ思うようになりました」
森本は逮捕され、窃盗犯の罪で大阪府警に連行された。井森はそれを見届けて、事務所に戻り、神津は家に帰って行った。
森本が言ったあのおの言葉、『もしかしたらこの家の主人は異常人格者ではないのか』その言葉が消えずにずっと井森の耳に残った。
神津の家にもようやく平穏が戻ったようだった。井森も安心して仕事にかかれるはずだった。だが、一週間後のことだ、またもや神津から電話がかかってきた。
――井森……!
叫ぶような声に驚いて聞き返すと、彼は、
――また、やられた!
という。
井森が驚いて
――えっ……!
と聞き返すと、
――今度は……、と盗まれた場所の説明を始める。
その口調があまりにも楽しげなのに気付いた井森が、
――おまえ、もしかすると盗まれることを喜んでるのじゃないか?
と聞くと、
――いや、そんなことはない。悲しいよ。最低だよ。
と言う。だが、その声はどう聞いても悲観に暮れた声のようには聞こえなかった。その時、井森の耳に『もしかしたらこの家の主人は異常人格者ではないのか』と言った森本の言葉が不意によみがえった。
そう言えば塀に穴が開いていることも不自然だし、鍵のかかっていない窓があるなどといったこともおかしい。泥棒がすぐに隠し場所を見つけられるということも腑に落ちない。考えれば考えるほど異様に思えてくる。
神津が、異常体質だと知ったのは、もう少し後のことだ。信じられないことだが、彼は、隠し持った大金を盗まれるたびに歓喜の声を上げていたのだ。
〈了〉