異界の森の土いじり

高瀬 甚太
 
 三十年近くも出版の仕事に携わっていると、一般の人よりも多くの出会いや経験をすることがある。それらはすべて私の財産で、私にしかわからない価値あるものだが、時によってそれを思い起こし、懐かしむ時がある。
 極楽出版を起ち上げて間もない頃のことだ。当時は現在の場所より東の、国道に面したビルの三階にあった。社員も数人いて、経理もいるなど会社の体を成していた。
 インターネットなど噂にしか聞こえて来ない頃のことだから、本がすべての情報源になっていた。作れば売れる、そんな感覚があったし、自信もあった。自分の才覚を信じ、その才覚に従って行動すれば本が売れたから、こんなに楽しい仕事はないと思っていた。
 ただ、売れたから即利益につながるものではなかった。出版社は元手が思った以上にかかる。そのため、赤字を出すことも少なくなかった。ただ、儲けていないといっても現在のようなことはなかった。とりあえずは給料も取れたし、従業員たちにも給料やボーナスを滞りなく払うことができていた。
その頃、私は自家用車を持っていた。と言っても軽の乗用車だったが、それでも充分、足にはなった。市内の近くならともかく、少し遠いところならすべて自動車を使って動いた。運転はうまいとは言えなかったが、運転歴の長さだけは自慢できた。安全運転を心掛けていたせいか、幸い事故もなく無事だったが、違反は多かった。特に多かったのが駐車違反で、何度、免許停止になったか数えきれない。
 社長であり、編集長である私は、自ら取材に出たり、人に会うことが多かった。地方への取材など度々で、そんな時、たいてい車を使用した。
地方へ行く場合、時間を惜しんで夜を徹して車を走らせることもあった。
 ――これはその時の忘れられない話だ。
 
 兵庫県の×町は、山間の緑深い町で、過疎地として当時から問題になっていた場所だ。そこに住む陶芸家を訪ねることになり、遅い時間帯に車で大阪を発った。
 兵庫県の陶芸といえば丹波立杭焼きが有名だが、私が訪ねる陶芸家は、それとは一線を画する作家だと聞いていた。
 丹波立杭焼きは、平安時代末期から鎌倉時代が発祥とされているが、その焼き物の特徴は、最高温度約1300度で50~70時間焼かれ、器の上に降りかかった松の薪の灰が釉薬と化合して窯変し、灰被りと呼ばれる独特の模様と色を表すことで知られている。陶芸にそれほど詳しくない私でさえも、丹波立杭焼きで作られた陶器には関心があった。それほど有名な陶芸だが、この時の取材は、近畿の陶芸を特集する企画から派生したもので、丹波立杭焼きを取材し、それをまとめて行く中で生まれたものだ。
 「兵庫県の×町に住む近衛荒兵衛という陶芸家がいるのだが、その作家は実に面白い」
 そんな話を聞いて、何が面白いのか、どこが優秀なのか、まるでわからないまま、それならば一度、取材してみようかということになり、好奇心の赴くまま取材に走った。
 山間の道は意外に広く、きれいに舗装されていたので走るには苦労しなかった。ただ、カーブが多く、スピードがあまり出せないことが難点だったが、快適な走行はできた。山間の奥深くまで来ると、×町を表示する分かれ道があり、その道に入ると、道幅が極端に狭くなった。また、道の舗装も行き届いておらず、凸凹が多くて、走りにくいことこの上なかった。
 どれほどの時間を走ったのか、×町の表示が現れるまでずいぶん時間を要した。もう少しすれば夜が明ける、そんな時間になってようやく×町に到着し、車を停めた。
 閑散とした町、というよりもそこは村であった。山すそにへばりつくようにして数軒の家が建ち、その向こうに深い森が見えた。
 道路わきに車を停めた私は、朝もやの漂う道路に立ち、家々を眺めた。近衛荒兵衛は、この町のどこかにいるはずだった。しかし、居所を尋ねようと思っても尋ねる人がいない。
 地図を見ると、現在、立っている場所のすぐ近くに思えるのだが、詳細な地図ではないため、判然としない。仕方なく私は車か、人が通るのを待った。
 どれほどの時間が経っただろうか。いつの間にか私は、車の中で眠っていた。
 ウインドウをトントンと叩かれて目を覚ました。慌てて体を起こすと、薪を背負った小柄な老婆が立っていた。
 ドアを開け、老婆に向かって挨拶をした私は、
 「こちらの方ですか?」
 と聞き、「近衛荒兵衛という陶芸家を知りませんか?」と尋ねた。
 老婆は少し耳が遠いようだった。近藤荒兵衛と言う言葉を何度も聞き直した揚句、知らないと首を振った。
 「そんなはずはありません。ここは×町でしょ?」
 と確認すると、老婆は、違うと答え、×町はここではなく、向こうに見える森を超えた場所なのだと説明した。
 地図を見せて×町を表示する地点を示すと、老婆は、昔はそうだったが、区域の変更で変わったと言い、×町へ行くには普通の県道を走って行くことができず、あの深い森を通る細い道を走るしかないと私に教えた。
 礼を言って立ち去ろうとすると、老婆の声が追いかけてきた。
 「森を通る時、気を付けなさいよ」
 振り返るといつの間にか老婆はスタスタと早足でかなり遠くまで歩いていた。
 気を取り直した私は、エンジンをかけ、森に向かって車を走らせた。道幅はさらに狭くなり、車一台通るのがやっとのように思えた。しかも道路状況が悪い。まっすぐだと思った道は幾重にも蛇行しており、森の中へ入って行くに従ってそれは余計に激しくなった。
 深い、鬱蒼とした森であった。木々が周辺を覆いつくし、光が隙間から辛くも洩れる程度で、ほとんど闇夜と変わらない照度であった。
 時々、不気味な音が聞こえてくるのは鳥の声だろうか、それとも獣だろうか、木々のざわめきさえも人の絶叫のように聞こえる中を私はひたすら走り続けた。
 正面から見た時は、こんもりとした小さな森のように見えたが、中に入ると、その深さに驚かされた。ライトを点けても正面がよく見えないのには閉口したが、進めども進めども行き着かない、恐怖を感じて思わず引き返そうかと何度となく思った。
 近衛荒兵衛はどうしてこんな場所に住んでいるのだろうか――。いったい彼は何者なのだ。私は霊界の奥深くに向かって進んでいるような錯覚を覚えながら、そんなことを思っていた。
 3時間ほど車を走らせて、ようやく森を抜け出せそうな場所まで来た。道が細く、蛇行が激しかったために普通の道路を走るより数倍の時間を取られた。それでもようやく視界が明るくなってきたことに安堵していた。
 しかし、それは大きな間違いだった。陽だまりのような場所を抜けると、再び森の中へと道は続いた。しかも蛇行がさらに激しくなり、暗闇はさらに濃くなった。しばらく走った私は、永遠に続くかも知れないその道を走り続けることに恐怖を覚え始めていた。しかし、車を停めることができない。ここまで来て、引き戻すわけには行かなかった。出版人としての強い好奇心が私を前へ前へと進ませた。
 その時、ガサガサと周囲の木々が音を立てて崩れ落ちる音がした。ひどい音であった。一瞬、ブレーキをかけそうになったが、道を妨害するものではなかったようだ。
 だが、バックミラーを見て驚いた。いや、思わず声を上げそうになった。何かが後部ガラスにへばりついていたからだ。それは、ただへばりついているだけでなく、意志を持って動いているように見えた。はっきりとはわからなかったが、何か、動物か、それともまったく新しい生物なのか――。しかもそれは少しずつ前に向かっているように見えた。
 へばりつき、前に移動してくるそれを振り落とそうと、私は蛇行のたびにブレーキを踏み、アクセルを踏むなどして車体を揺らしたが、一向に効き目がなかった。
 その間にも、へばりついた得体の知れないものは前進してくる。恐怖が最高潮に達した時、正面に家の灯りが見えた。
 家の前の庭に車を急停止した私は、降りることもかなわず、助けを求めるようにして、勢いよくパッパーとクラクションを鳴らした。すると、家の戸がスーッと開き、一人の老人が顔を覗かせた。
 老人は停車した私の車に近づくと、車にへばりついていたそれを棒のようなもので追い払った。
 「もう大丈夫じゃ。出てきなさい」
 老人がウインドウを叩いて言った。おそるおそる窓を見ると、へばりついていた何者かが消えていた。
車を降りて礼を言い、×町の近衛兵衛という陶芸家を訪ねて来たと告げる と、老人は、
 「わしに客だなんて珍しいこともあるものだ」
 と言って、私を家の中に招き入れた。
 家の中に入った私は、老人が近衛荒兵衛であることを知り、安堵すると共に、気になっていた先ほどの得体の知れないものについて尋ねた。
 「あれは『ベタリ』と言って、何にでもへばりついてへばりついたものの精気を吸い取ろうとする霊界の魔物じゃ」
 とこともなく言う。
 「霊界の魔物って……」
 信じられない言葉を聞いて問い返すと、老人はやれやれという顔をして言った。
 「何も聞いていないのか。それでよくここまでやって来れたものじゃ。では、この森が霊界だということも知っていないのじゃな。これは驚きじゃ」
 ついには笑い出してしまった老人を見て、私は背筋の凍る思いがした。
 「この森が霊界――。それって冗談ですよね?」
 老人につられて私も笑顔で言った。冗談を言っているのだと思った。
 「残念だがそうではない。きみは霊界に迷い込んだ哀れな人間じゃ」
 顔が強張り、動悸が激しくなった。近衛荒兵衛は霊界の住人だったのか――。
 「陶芸家、近衛荒兵衛を取材しにやって来ました。あなたが変わった陶芸家と聞いて、いったいどんな陶芸をするのか、それを知りたくて大阪からやって来たのです」
 白い顎鬚を伸ばし、白い髪の毛を束ねた近衛荒兵衛が霊界の人物であると聞いても、にわかには信じられなかった。老齢とはいえ、生命力にあふれたその表情は、人間そのものにしか見えなかった。
 「霊界はあの世にも行けず、この世にも存在できないものたちの漂流する場所だ。怖がるものもおるが、怖がると取り憑かれる。霊たちはみな寂しがりやだからな」
 近衛荒兵衛は、達観した笑みを浮かべて言った。私は近衛に言った。
 「どのように考えても、私にはあなたが霊界の人とは思えません。あなたは本当に霊界の住人なのでしょうか?」
 近衛荒兵衛は、畳の上にどんと座ると、
 「正確には、わしは半人間、半霊界といったところじゃ。陶芸家を志して、全身全霊、そのことのために生きてきたが、志半ばにして病のために生命を失った。だが、志半ばといったところが、災いしたのか、わしはあの世に行くこともできず、この世にいることもできないまま、霊界へ来てしまったが、まだ、真の意味での霊界の者にはなっていない。わしが、真に霊界の者となるか、あの世に行けるかは、わしが今、作っている作品にかかっている。この作品が完成して、わしが心から満足できたら、その時、わしの運命が決まる」
 そう言って近衛荒兵衛は私を窯に案内した。
 「陶芸に大切なことは、土を愛することじゃ。土を愛し、土と会話をし、わしはこれまで陶芸に関わってきた。土に魂を込めることで、その土に似合ったものが自然にできてくる。わしは、土の赴くまま造り続けてきた。だからわしの造って来た作品は、統一感に欠ける。依頼されても造って来なかったのは、わしの場合、わしが造っているのではなくて、土に造らされていたからじゃ」
 近衛荒兵衛は自分の造った作品群を私に見せた。近衛の言葉通り、統一感のない作品群だったが、土の持つ熱が伝わってくるような不思議な作品ばかりだった。
 「この作品がわしの最期の作品じゃ」
 近衛は、一塊の土を掌に載せて私に言った。
 「小さくありませんか?」
 「ものの大小はあまり関係がない。わしの作品は、何かに使用するものではなく、土の個性を最大限に生かした造形を作るもので、土が、言葉こそ発せないが、わしにせがむ。自分を造ってくれと。大きな土くれの場合もあれば、小さな土くれの場合もある。最後に掴んだ土が、たまたまこの土くれだったということじゃ」
 近衛は土を愛おしむように、掌で撫でた。近衛の話を聞きながら、私はふと、それまでと違う空気の感触に気が付いた。
 「この窯の部分だけ、少し空気の感覚が違うような気がしますが――」
 近衛は天を見上げながら言った。
 「窯の部分だけは霊界と切り離されとるんじゃ。そうでなければ、土に命は吹き込めんからのう」
 私は、霊界と人間界の狭間にいるという近衛荒兵衛に興味を持ち、その人生を聞いてみたい気になった。近衛にそのことを告げると、近衛は、少し考えた後、
 「わしの陶芸と一緒で、わしの人生にはプロセスがない。常に現在、ここがすべてといった生き方をしてきた。だからわしには語るべき何物もない」
と語った。
 「それにあんたも霊界に迷い込んで、果たして人間界に戻れるかどうかもわからないのに、よく、そんなことを考えるものだな」
笑いながら私を見た。
 「あなたが土に惹かれ、土の魂を最大限に表現しようと努めているように、私もまた、編集者として、出会った人の心の奥に根付くものを取り上げ、その人のうわべの人生ではなく、その人の真の生命観を表現したいと努めてきました。霊界から逃れられるか、このまま霊界の中でさ迷うか、不安ではありますが、泣いたりわめいたりするよりも、こういった場所で出会った、あなたという人物を取材し、表現してみたい。その気持ちが今、私の中に強く湧いています」
 不安を押し殺すために、私は声を上げ過ぎたようだ。近衛は、少し顔を歪め、掌の土を丁寧に撫でながら私に言った。
 「第二次大戦のさなかに岡山の山間の町で私は生まれた。父親は兵役に取られて出征しており、母親が祖父母と共に農家を営みながら暮らしていた。生まれた時から私は、土の中にいた。防空壕の中、畑の土の中――。不思議なことにその頃の私は、土と会話ができていた。母や祖父母は、おかしな子だ。『いつも土と共にいて、ひとりごとを言っている』。そのように言っておったそうじゃ。戦争が終わって出征していた父が戻り、祖父母と両親、私の五人家族から弟が生まれ、妹が生まれ、七人家族になっても、私と土との語らいは変わらず続いていた。幼児から少年へ、移り変わる中で、私の土との語らいは終わった。何も聞こえず、土に対する興味も自然に失って行った。
 中学を卒業して私は就職を選んだ。大阪へ出て機械工になり、油まみれになって働いた。だが、十代の終わり、十九歳の年に転機が訪れた。同じ工場で働いていた先輩に誘われて、ある会社に再就職した。機械工の時代と違ってそこは天国のようなところだった。出勤は昼前で、出社しても何もすることがない。ただ、ぼんやりと週刊誌やテレビを観ていればよかった。だが、しばらくしてそこが暴力団の事務所だとわかった。ほどなく私は、暴力団同士の抗争で鉄砲玉に出され、敵対する暴力団の組長を撃ったが、自分も撃たれて重傷を負い、警察に逮捕された。正式に組員になっていなかった私は、組の庇護を受けることなく受刑し、五年間懲役に就いて出所した。
 岡山へ戻っても犯罪者の私を両親は受け入れてくれず、就職をしようと思っても、前科のあることがネックになって仕事が見つからない。そんな日が長く続いて自暴自棄になっていた時、流れ着いた釜ヶ崎のドヤ街で、私はキリスト教の牧師と出会った。牧師は神の愛を私に説くが私には神の愛などちんぷんかんぷんでまるで理解できない。だが、一つだけ、その牧師の言葉で心を打たれた言葉があった――。
 『人は土の中から生まれた』。聖書の中の一節か、それとも牧師の言葉なのか、今となっては判然としないが、その言葉に私は感動した。
 生まれてすぐのこと、幼児の頃のことをその時、思い出した。土と会話をしていた時のことを思い出し、矢も楯もたまらなくなって、私は田舎の土を踏んだ。しかし、両親はすでに農家を廃業し、父親は勤め人になっていた。私が育った土地は新興住宅地となって見る影もなかった。
 私は土を求めて放浪した。しかし、どの地に立っても馴染めなかった。そのうち、土を触る陶芸家という職業があることを知り、私は陶芸家に弟子入りを志願した。
 丹波の地で巡り合った陶芸家が私を受け入れてくれ、陶芸の修行に励んだ。だが、技術を習得した後も、私には納得する作品ができなかった。
 失望した私は、陶芸家の元を去り、再び放浪した。自分が何のために生き、何のためにさ迷っているのか――、自問自答しながら山道を歩き続けた。いっそこのまま死ねたら、そう思った時、私は土の声を聴いた。はっきりとした声ではなかったが、それはまさしく土の発する言葉だった。私は土の声に耳を傾け、土を触った。
 ――土は生きていた。
 以来、私はこの地で、土の言葉に耳を傾け、土の言葉に従って土を形にしてきた。この作品が私の百番目の作品になる。この作品を前にして、私は病のために命を失った。最後のこの作品を作り上げれば、私はあの世か、霊界がどちらかに行くことになるだろう」
 近衛荒兵衛のそれが人生だった。私はそれを克明にメモし、彼の造り上げた作品群を改めて眺めてみた。
 土の喜び、土の悲しみ、土のさまざまな表情が浮かんでくるような陶器群であった。近衛はこの作品を、飾るものでもなく使用するものでもないと言い、土の魂を造形化したものだと言った。
 近衛の最期の作品は極小のものだった。近衛の掌で徐々に造形ができて行き、それはやがて生き生きとした輝きを放って完成した。近衛はそれを窯に置き、高熱で熱した後、再び手に置いた。よく見るとそれは近衛の顔のようであった。最後に土は彼の顔を選び、それを彼に造らせたのだ。
 「――これは私だ」
 それが近衛の最期の言葉になった。私の見守る前で近衛は倒れ、灰になり、土の中に潜って行った。あの世に行ったのだと思った。
 彼がいなくなると、周囲がにわかに騒がしくなった。私は近衛の造った最後の作品を手に車に乗り込んだ。ここが霊界であれどこであれ、私は生きたい。キーを入れてエンジンをかけると車が始動した。後は元来た道を猛スピードで駆け抜けた。
 近衛荒兵衛の人生を描きたい。形にしたい。編集者としての思いもあった。私は生のエネルギーを最大限に放出しながらアクセルを踏み続けた。蛇行した道も、道幅の狭さも関係なく、車に張り付いてくるさまざまな霊のものたちを振り払って、私は生への執念を燃やし続けた――。
 どれだけ走っただろうか。考えてみれば、霊界には時間がないのだ。距離もない。だが、あきらめ、取り込まれてしまってはすべてが無に帰す。私は最大限のスピードで森を駆け続けた。
 どこをどうして走り抜けたのか、気が付くと私は、あの老婆に出会った場所にいた。
 トントン、窓ガラスを叩かれて気が付いた。あの老婆がそこに立っていた。
 「まだ、ここに居たのですか?」
 老婆は笑いながらスタスタと歩き始めた。
 夢を見ていたのだろうか――。一瞬、そう思って、真正面に見える森を見た。陽光に照らされた森は、それ自体が一つの生き物のように見えた。
 やはり夢をみていたのか。寝覚めの後の倦怠感に襲われて、私は運転席から身をずらした。その瞬間、私のポケットから何かが落ちた。
 近衛荒兵衛の最期の作品、彼を模した顔の陶芸作品がそこにあった――。
 
 昔の話である。誰に話しても誰も信じてもらえない話である。しかし、私の手元には今も近衛荒兵衛の作品が置いてある。とうとう本にはしなかったが、彼に聞いた、彼の人生の話をまとめた原稿もある。誰も信じなくてもいい。私が今も編集という仕事に関わっておれるのも、近衛荒兵衛に出会ったことが大きい。それだけで充分だ。
〈了〉


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