座敷童の棲む家(後編)
高瀬甚太
不動産会社の社長、佐々木は建物に手を付けることを許さなかった。これ以上、話しても埒が明かないと思った私は、佐々木に非礼を詫び、不動産会社を後にした。途中で吉本と別れた私は、再び橋本の待つ『隠れ里』へ戻った。
「大変ですねん。この建物、今にも壊れそうですわ」
戻ってきた私に、橋本が情けない声を上げた。一夜にして変貌した『隠れ里』の隣の空き家は、原型をとどめないほど崩壊し、さらに大きく傾いていた。
今日一日、持たずに潰れてしまうかも知れない。そう思った私は、急いで不動産会社社長の佐々木に連絡をした。
しかし、佐々木は信じなかった。
「あの建物は木造で確かに年月こそ経っているが、一日二日で崩壊するような代物ではありません。先ほども申しましたが、これ以上、私たちの建物に関わり合いにならないでもらいたい」
と釘を刺すように言って電話を切った。
「不動産会社はこの状態を信じてくれない。関わり合いにならないでほしいとまで言われましたよ。一度、この建物を見たらはっきりするのに残念です」
ため息交じりに言うと、橋本もまた困惑した顔で建物を眺めながら言った。
「このまま放ったらかしにしとくわけにはいきまへん。何とかせな。うちにも影響でますさかい」
『隠れ里』と隣の空き家は隣接した棟続きの建物である。隣家が倒壊することで『隠れ里』の建物にも大きな影響が出る。
木造二階建ての隣家の空き家は、築後十五年しか経っておらず、建築様式も使用している木材もしっかりしたものだったが、今はまったくその面影を感じさせないほど崩壊寸前であった。
「一応、役所と消防署に連絡しておきまひょか」
今にも崩れ落ちそうな建物を見て橋本が言った。
「そうですね。持ち主の不動産会社が対処してくれませんから、役所と消防署に連絡してこのことを伝え、いざという時に備えた方がいいかもしれません」
今はその方法しか思い浮かばなかった。
昼過ぎになって、吉本から連絡を受けた、矢口良一と下村安江、柳瀬孝子がやって来た。三人共、建物を見ると異口同音に、
「なんで一晩でこんなふうになるんですか?」
と驚きの声を上げた。
私は三人に昨夜の出来事を話して聞かせた。
「ドンという激しい音が鳴って、冷蔵庫から白い球体のような人形、四十二体が飛び出した。吉本がその大群に襲われ、自分も襲われそうになったが、不思議なことにその時、突然、私の口から思わぬ言葉が飛び出し、その言葉に誘導されるように白い球体の人形は天に昇って行った――」
ざっとそんな話をした。不動産会社の社長のように一笑に付すかと思ったが、そうではなかった。三人とも真剣な表情で私の話を聞いていた。
「編集長、私、思うんですけど、その白い球体の人形って、もしかしたら座敷童なんじゃありませんか?」
と柳瀬孝子が言った。
「でも、座敷童は歴史のある旧家に住みつき、座敷や蔵に住みつくというじゃないか。この家はまだ新しいし、座敷や蔵もない。座敷童とは関係ないんじゃないかな」
矢口が柳瀬の考えを否定し、「ね、編集長、そうですよね」と私に同意を求めた。
「確かに矢口くんの言う通り、座敷童の伝承の中心となっているのは岩手を中心とした東北地方各県だ。関西には座敷童の伝承はないに等しいし、私の見たものは、座敷童とは程遠いものだった」
私もまた柳瀬孝子の座敷童説を否定した。
私のイメージの中にある座敷童は、おかっぱ頭の五歳から六歳ぐらいの赤いちゃんちゃんこを着た女の子か、紺か縞の黒っぽい着物を着た男の子に限定される。私の見た球体の人形群はそれとは程遠いものだった。
再び柳瀬が私に聞いた。
「座敷童の中に、白い座敷童がいることを編集長はご存じですか?」
柳瀬の問いに、私はすぐには答えられなかった。白い座敷童など聞いたことがなかったからだ。
「一説によれば、白い座敷童は吉事の前触れと言われています。それに編集長が夜中に聞いた物音ですが、座敷童は家の中を動き回ったり、物音を立てて人を驚かしたりするのが好きなんです。悪戯が大好きなんですよ」
「吉事? 何が吉事なのかまるで見当が付かないが、白い座敷童の伝承があることなど初めて聞いた。それにしてもあの白い球体の人形はとても座敷童には見えなかった。真っ赤な口を開けて四十二体の人形が襲いかかって来た時は本当に怖かったよ」
思い出しても身の毛がよだつ。私は繰り返し、三人にその時の恐怖を話した。
「編集長、座敷童の伝承の中でもう一つ興味深い話があるのをご存じですか」
柳瀬はよほど民俗学に興味があるのだろう。なおも座敷童についての説明を続けた。
「座敷童は圧殺されて家の中に埋葬された子供の霊ではないか、と言う説があるんです。昔、東北地方では、口減らしのために間引かれる子供が多かったそうです。その時、間引く子を墓ではなく土間や台所などに埋める風習があったと言われています。こうした子供の霊が座敷童となり、家の人を脅かしたり、悪戯をして家人を困らせる、そう言った説もあるようです。編集長の話を聞いているうちに、私、もしかしたら座敷童の呪いがこの建物にあるのではとないかと思いました」
「座敷童の呪いがこの建物に?」
柳瀬の言葉にたじろいだ。思いもよらぬことだったからだ。それは矢口と下村も同様のようだった。
「これは本当に私の思いつきなんですが、この建物の地下に、もしかすると子供の死体が埋められている、あるいは子供の大好きだった人の死体が埋められているんじゃないか、そう思ったんです。そう考えれば、編集長を襲った白い球体の謎も、この建物の崩壊も説明が付きます」
柳瀬の説明に、私は思わず頷いた。荒唐無稽だがそう考えればすべてが納得いく。下村が柳瀬の後に続いた。
「私も孝子と同意見です。座敷童はひと通りではありません。民族学者や伝承によって様々な説が唱えられています。四十二体という数は説明できませんが、白い球体の座敷童が存在しても何の不思議もないと思います。編集長の言葉に白い球体たちが素直に従ったのは、編集長がこの家に関心を持ち、謎を究明しようと立ち上がったからではないでしょうか。今まで、この家屋で商売をしてきた人はたくさんいます。その人たちに座敷童たちはシグナルを送り続けていたのではないかと考えます。ところが、誰もそれに気付かず、恐怖のあまり店を放り出してしまった。そういうことではないでしょうか」
柳瀬と下村の話を聞いているうちに、私もその考えに傾いてきた。
「確かに柳瀬と下村の言う通りかもしれない。そんな気がしてきたよ。もし、そうであればこの建物の下には死体が存在することになる。しかし、警察に話してもきっと信じてはもらえないだろう――」
思わず空を見上げた。雲一つない青空が広がっている。昨夜、確かに四十二体の白い球体は天に向かって昇って行った。どこかでこの様子を見ているのだろうか。もし、あの白い球体が座敷童だとしたら――。私は、座敷童の期待に応えてやる義務があると思った。
役所から担当者が到着し、少し遅れて消防署員がやって来た。
「いやあ、これはひどいですね。すぐに対処しないと隣接する建物に影響が出ますよ」
役所の担当者と消防署員が口を揃えて言った。建物はさらに傷みを増している。崩壊目前だということは誰の目にも明らかだった。
私は、消防署と役所からこの建物の持ち主である不動産会社に至急、連絡してもらうよう依頼した。
消防署員が連絡をすると、しばらくして不動産会社の社長、佐々木がやって来た。
佐々木は建物を見るなり、
「どうしてこんなことに――」
と絶句した。
消防署員の説明を受けた佐々木は、すぐに建物の取り壊しを依頼し、2時間後には建物すべてが倒壊した。
建物があらかた撤去されたのを確認して、私は、役所の担当者に警察を呼んでほしいと伝えた。その瞬間、撤去を見守っていた佐々木の顔が、一瞬、青ざめたような気がしたのを見て私は不審に思った。
「この建物の下に人間の死体が埋まっている可能性があります」
駆け付けた警官二人にそのことを話すと、理由も聞かず警官は一笑に付した。
私は、座敷童のことやこれまで次々と借主が転居していること、病気になった者や亡くなった者がいることを告げると、二人の警官もさすがに放っておくわけにはいかなくなったようだ。「そこまで言うなら」と言って、府警本部に連絡し、大掛かりな掘削が開始されることになった。
その様子を見ていた佐々木は「仕事があるので失礼する」と断って、その場を離れた。
シャベルカーによる掘削が始まって一時間後、警官が叫び声を上げた。
「出てきました!」
10メートルほど掘削した地面の底に人の骨のようなものが見つかった。それも一体ではなかった。二体、三体、掘り進めるほどに数体の人骨が発見されたのだ。
柳瀬と下村の推理は当たっていた。驚いたのは橋本だ。
「編集長、これ、何ですねん。人の骨が埋まっているやなんて、どういうことですねん」
こんな場所で人骨が見つかるなど想像もしていなかったに違いない。
あらかた人骨を掘り起こした後、役所の担当者が書類を持って現れた。
「井森さん、この土地に住んでいたのは田村仁志さんという方でした。ここは以前、普通の民家で、先祖代々、この場所に住んでおられたようですが、十五年前に突然、転居して、その後、どこへ引っ越されたか、転居先が不明になっています。転居されたと同時にこの土地の権利その他を現在の不動産会社が引き継いだようですね」
「田村さんの家族は全員で何名でした?」
私が聞くと、担当者は即座に「七名です」と答えた。
「子供さんはおられましたか?」
「二人いました。五歳と七歳の男の子と女の子です」
と担当者は答えた。
役所の担当者に書類をもらった私は、矢口や柳瀬、下村、吉本を呼んで言った。
「柳瀬、どうやらきみの推理が正しかったようだ。十五年前、この土地には田村仁志さん一家が住んでいた。五歳と七歳になる男の子と女の子も家族の中にいたようだ。役所の話によれば、田村さん家族は十五年前、転居し、行方が知れなくなっている。その頃からこの土地は佐々木の経営する不動産の所有になっている。地面の下から人骨が見つかったが、あれは、おそらく田村さん家族のものだろう。警察の調査を待たなければならないが、そう考えても決しておかしくない。十五年前といえばまだ不動産売買の盛んな頃だ。立地のいいこの場所を不動産会社が目を付けたとしても不思議ではない。だが、田村さん家族はこの場所に先祖代々住んできた。やすやすと移転を承知するはずがなかっただろう。業を煮やした彼らは強硬手段に出た。そういう筋書きかも知れない。当時、どのような事情があったか知るよしもないが、田村さん家族は佐々木たちの手にかかって殺害され、ここに埋められた可能性がある。さぞや無念であっただろう。その人たちの怨念が座敷童となり、早く自分たちを見つけてくれと、ここを借りた人たちに訴えていたのかも知れない」
「編集長、不思議なのは四十二体という数字です。子供たちは二人ですからね。それがなぜ、四十二体にもの座敷童になって現れたのでしょうか」
下村の疑問だった。私も同様の疑問を持っていた。
この土地を所有する不動産会社社長の佐々木は、人骨が見つかったことで警察の厳しい追及を受けたが、否認したまま黙秘を貫き、何も語ろうとしなかった。
取り調べを行ううちに佐々木の素姓が徐々に明らかになってきた。彼には前科があったのだ。暴行傷害の罪で二年ほど刑務所に入っていたことがわかった。その後、更生して不動産会社に勤務するようになったようだが、その間も佐々木は暴力事件などいくつか問題を起こしている。彼がどのような経緯で現在の会社を経営するようになったか、その点については定かではなかったが、三十代後半に現在の会社を興し、従業員二人だったものを従業員十数名を雇い、自社ビルを構えるまでに成長させたことは並々ならぬ手腕といえた。
警察は、今回の事件のみならず、佐々木の会社の成長過程についても鋭いメスを入れ、その裏側にあるものを暴き出すよう全力を注いだ。その結果、それまで黙秘していた佐々木は、拘置期限ぎりぎりになってなぜかすべてを白状した。その時の佐々木の表情はこの世のものではないほど蒼く、やつれて見えたという。
――やはり田村さん一家は佐々木の手にかかって殺害されていた。田村さんの家と土地に目を付けた佐々木は、再三再四、田村さんに土地と家屋を売却するよう迫ったようだ。田村さんは大のギャンブル好きで、佐々木が裏で経営するミナミにあるバカラの店の常連客だった。その店で田村さんは負け続け、佐々木に借金をした。二百万の借金があっという間に一千万円を超える金額になり、佐々木は借金を棒引きする代わりに家と土地を売れと田村さんに迫った。坪単価五百万円を超える土地である。一千万の借金で棒引きにするわけにはいかなかった。田村さんには先祖代々の家を護る義務もあった。だが、佐々木は執拗だった。暴力団を使い、田村さんに借財の返還を求め、脅し続けた。その執拗さに苛立ちを覚えた田村さんは警察に行き、バカラのことなどすべてを話すと、逆に佐々木を脅した。これに慌てたのが佐々木だ。バカラの店は闇営業で、おまけに法律で禁じられている賭博場である。もし、田村が警察にすべての事情を話すと自分の身が危なくなる。そう思った佐々木は、田村さんを殺害するようその筋の者に依頼した。
依頼された殺し屋たちは、田村さんの家を襲い、最初は就寝している田村さんだけを殺害する予定だったが、家族の一人に見つかったことから全員を殺害するに至った。その中には幼い男女もいたし、八十を超える老人もいた。
始末に困った殺し屋は佐々木に相談をし、床下へ穴を掘り、そこへ遺体を隠すことにした。しかし、新しく家を建て直すとなると、その時、遺体が発見されてしまう恐れがある。それを危惧した佐々木は、10メートル以上掘削するよう殺し屋たちに命じた。
すべて思い通りに運んだ佐々木は、新しい建物を建築するとそこを店舗として貸し出した。
佐々木の供述を警察から聞かされた私は、後始末として、田村さんの供養をしなければと思い立ち、役所の協力の上で厳かに行った。
供養の場には、橋本を始め、吉本、矢口、下村、柳瀬たち、今回の事件の関係者全員が集まった。
――その後しばらくして私の元に警察から報告が届いた。
七人分の人骨の他に、現場から田村さんが飼っていた猫と犬、金魚、小鳥などの死体が見つかったという。最初はそれとわからないものもあったが、鑑識の調べで判明したようだ。
田村さん一家は大の動物好きで、その飼育数も半端ではなかったようだと警察の報告にあった。
「もしかしたら人骨も併せると四十二体あったのでは?」
私が聞くと、警察の関係者は驚いた顔をして言った。
「よくわかりますね。どんぴしゃですよ」
残忍な殺し屋たちは、なぜ、犬や猫、小鳥に至るまで殺害して埋めなければならなかったのか、素朴な疑問が湧いた。狂人と化した彼らは殺戮を繰り返した挙句、田村家に生息する生き物すべてを殺害してしまったのかも知れない。考えられないことではなかった。
その日、夜半になって天候が急変し、どしゃぶりの雨になった。私は、事務所の窓から降りしきる雨を眺め、ふと座敷童のことを思った。大きく開けた紅い口が閉じられ、柔和になった小さく白い人形たちの、天に昇ったその後の行く末が何となく気になっていたのだ。
〈後篇 了〉