レインコートのとっちゃん

高瀬 甚太

 雨が降ると、必ずといっていいほどえびす亭にやって来る「レインコートのとっちゃん」と呼ばれる男がいた。年の頃は六十代半ば過ぎだろうか。傘をささずにレインコートを着てやって来るのでみんなからそう呼ばれていた。
 レインコートのとっちゃんは晴れた日や曇りの日はまったく顔を見せないが、たとえ小降りでも、雨さえ降れば必ずえびす亭に顔を見せた。
 その日、朝から天気がよく、天気予報でも雨になる予報は流されていなかったが、午後七時を過ぎた辺りから急に天候が悪化し、小粒の雨が降り始めた。
 小降りだった雨が本降りになり、雨脚が強くなると共にえびす亭に雨宿りを兼ねた客が集まって、この日は、いつも以上の賑わいを見せていた。
「レインコートのとっちゃんも、さすがにこの時間にはけえへんやろ」
 客の一人が、マスターに言った。
 「八時を過ぎてますからね」
 とっちゃんはいつも雨降りの日は、午後六時から六時半に姿を現す。八時を過ぎたらさすがに現れないだろう、マスターはそう確信していた。
 「ねえ、マスター。とっちゃんは何で雨が降らんと、ここへけえへんのやろか」
 えびす亭の客の多くが抱える素朴な疑問だった。
 「なんでやろね。私にもわかりまへんわ」
 えびす亭にはさまざまな客がやって来る。しかし、雨が降ると必ずやって来るとっちゃんのような客は珍しい。
 「仕事の関係と違いまっか」
 別の客がマスターに言った。
 「雨が降ったら仕事が休みになって暇やからここへ来る……、とっちゃんは外でやる仕事をしているのやないかとぼくは思いますわ」
 「いやあ、とっちゃんは単にレインコートを着たいだけやないですか」
 客たちはてんでにレインコートのとっちゃんの噂をする。雨は次第に雨脚を強めて、その勢いはしばらく弱まりそうになかった。
 小一時間もすれば止むと楽観していた客も、ますます強くなる一方の雨に焦りを感じ、雨の中へと身を躍らせて帰る客も次々に現れた。
 「しばらく止みそうにありませんなあ。しようがない、濡れて帰ることにしますか」
 そう言ってため息をつく客が多くなった頃、突然、噂の主、レインコートのとっちゃんがガラス戸を開けて姿を現した。
 とっちゃんは、店の中へ入ると、着ていたレインコートを脱ぎ、おもむろにそれを壁のフックにかけた。
 「いらっしゃい。雨の中、よう来てくれはりましたなあ」
 マスターが声をかけると、とっちゃんは、
 「雨が降るとじっとしてられまへんのや」
 と笑って言った。
 「雨が好きなんでっか?」
 隣にいた客がとっちゃんに聞いた。
 「ええ……。好きというかなんというか」
 とっちゃんは言葉を濁して答えた。
 それを見て、人の詮索をあまりしないはずのマスターがとっちゃんに聞いた。
 「私、いつも不思議に思うてますねんけど、とっちゃんは何で雨が降ったらうちに来ますんや?」
 しびれを切らした雨宿りの客が店を出て、先ほどまでの喧騒が嘘のように人の少なくなった店内にマスターの声が響いた。客の誰もがとっちゃんの顔を見て、じっと耳を傾けている。
 「別に大した理由はおまへんのや。ただ、雨が降ると家にいるのが辛くて……」
 とっちゃんは、ビールをグラスに注ぎ、それを一息で飲み干すと、静かに語り始めた。

 ――二十歳の頃、わしは建設会社の工事現場で働いてましたんや。その工事現場の近くに喫茶店がありまして、そこで働いていたウエイトレスに一目ぼれしましてな。べっぴんさんやなかったけど、気立てのええ娘で、笑顔がほんまに可愛くて、わし、夢中になって追いかけましたんや。ところがなかなかウンと言ってくれず、ようやくウンと言ってくれたのが、建設工事の終わる一か月前のことでした。
 美佐子と言いましてな。わしより二つ上でした。昔のことやから年が上やということをえらい気にしてまして……、でも、わし、年なんか気にせえへんかったし、美佐子以外、考えられませんでしてね。美佐子の家に行って掛け合いました。結婚させてくれって。
 美佐子の家のもんは挙って反対しましたわ。年下はまだいいとして、仕事が雨が降ったらおまんまの食い上げになる人夫でしたさかい、それにわし、早うに親なくしてまして、孤児同然でしたし、おまけに家柄もようない、こない言いますのや。
 それを聞いて美佐子が家のもんにえらい剣幕で怒って、
「この人は一生懸命生きてはる。それをなんという失礼なことを言うんや」
そない言うて泣くんですわ。
 結局、美佐子は家を飛び出してわしんとこへ来てくれました。四畳半と台所があるだけの小さなアパートでしたから、狭いし汚いし、新婚にはふさわしいような住まいやなかったけど、わし、ほんまに幸せやと思いました。
 二人で頑張って、もうちょっとええところへ引っ越そう、そない誓いを立てて、わしも美佐子もそれはもう頑張りました。わしは体を使って現場で働くしか能がなかったさかい、相変わらず工事現場を渡り歩いて働いていましたが、美佐子は料亭の仲居の方がウエイトレスよりお金がいいといって、結婚してすぐに仕事を変わり、二人で一生懸命頑張りました。贅沢しないでコツコツお金を貯めたおかげで、一年ほどで六畳四畳半二間と台所、トイレ付の文化住宅に引っ越すことができました。
 子供が欲しかったんですが、もう少し金を貯めてからにしよう、そうしているうちに五年経ち、わし、美佐子に言いました。わしがおまえの分まで働くさかいに子供を作ろうって。美佐子も快くわしの意見を聞いてくれて、一年後に子供を授かりました。美佐子に似たかわいい女の子でした。
 名前を和江と付けて、一人ではかわいそうやから二人目を作ろうと話し合って、わしはもう必死になって働きました。そんなわしの唯一の楽しみは、仕事を終えて、家の中で美佐子と一緒に一杯やることでした。
 そのうち、知り合いの社長さんに誘われて、わし、鋳物工場の工員になりました。工事現場で働いていた時は何の保証もなかったし、給料も日給月給でしたさかい、雨が降ったり、休日が多いと給料が少なくなりますから大変でした。それが知り合いの社長さんのかげで工員になってからは、保証もあるし、月給でしたさかい、ようやく安定するようになりました。
 美佐子はほんまにええ嫁さんで、わしのこと、もったいないぐらいに愛してくれて、喧嘩もほとんどしたことがありませんでした。毎日が幸せで、生きててよかった、そう思って毎日、手を合わせていたほどです。
 子供は二人目が生まれしたが、三人目はかないませんでした。美佐子が体調を崩したこともありますが、無理はさせたくなかった。二人授かっただけでも充分満足でした。
 わしらは、本当に一生懸命生きたと思います。これ以上ないほど生きたのに、五十を過ぎた時、美佐子が病気になり、ガンだと告げられました。乳ガンでした。医師の診断では早期のものだったので転移さえしなければ大丈夫と言われ、安心していました。
 子供たちはもう結婚して家を出ていましたので、美佐子と二人暮らしになってからは、定年退職したら旅行に出かけよう、美味しいものを食べに行こう、そんなことばかり話していました。美佐子が入院している時も、わし、病気が治ったら沖縄へ行こうとか、北海道へ行こう、そんなふうに話したりしていました。そのたびに美佐子は喜んで、美味しいからって食べ過ぎないでよ、とか、朝はゆっくり寝させてね、と言って二人で盛り上がっていたんです。
 乳ガンから復帰した時、わしらは初めての旅行に出かけました。沖縄へ二泊三日の旅でした。遅すぎた新婚旅行のようなもので、あの時はほんまに楽しかった。二日目の日、朝から雨が降り、旅館にいるのはもったいないからいって、わしと美佐子は、傘をさして外へ出て海を見に行こうとしました。でも風が強くて傘が役に立ちません。美佐子の提案でレインコートを買って海を見に行こうということになりました。
 それがこのレインコートです。わしのレインコートは青の水玉模様、美佐子のレインコートは紅の水玉模様で、美佐子が旅館の近くのスーパーで買ってきました。
 わしらは誰もいない海で、レインコートを着たまま手をつなぎ、雨に濡れながら海を眺めていました。その時のことをわしは今でもよう忘れません。
 定年退職を数か月後に控えた日、美佐子は亡くなりました。新しいガンが膵臓に見つかって、それが命取りになりました。
 美佐子のいない人生など考えることができなかったわしは、美佐子が亡くなって生きる希望を失い、定年を待たずに退職しました。
 子供たちが、自分の家で一緒に暮らさないかと誘ってくれましたが、わしは、美佐子と過ごしたこの家を離れることができません。わしは、退職した後、大工の棟梁に頼み込んで大工仕事を始めました。若い頃、ずっと建設現場にいたこともあって、棟梁に、「年がいっているからどないかなと思ったけれど、なかなか筋がいい」と褒められ、頑張ったおかげで五年経った今では棟梁の右腕のような存在になっています。
 棟梁の方針で、雨が降ると仕事が休みになります。休みの日は一日家で過ごすのですが、家にいると美佐子のことを思い出して仕方がありません。会いたくて、会いたくて仕方がありません。思い出すのは、なぜか初めての旅行で二人で沖縄へ行った時のことです。
 あの時、雨の中、二人で海を眺めていた光景がわしの瞼に焼き付いて消えません。つないだ美佐子の手のぬくもりが今でも忘れられません。
 雨が降ると、いつも思い出して家にいることができず、家を出て、他に行くところがないからここへやって来るというわけです――

 とっちゃんはその日、ビールを二本、麦焼酎をグラス二杯呑んで店を出た。
 いつの間にか雨は止んでいた。それでもとっちゃんは、青の水玉模様のレインコートを着て、肩をすぼめるようにして帰って行った。
 それがマスターの見たとっちゃんの最期の姿となった。
 マスターが訃報を聞いたのは、一週間後の月曜日、雨の降る日だった。朝から雨が降って店を開店する時間になってもまだ雨が降り続いていた。一週間ぶりの雨だった。
 「今日はレインコートのとっちゃんが来る日だな」
 マスターはまずそれを思った。
 雨だというのに開店早々から店は混雑した。月曜日で雨の日は込まない、そんなジンクスなど、関係がないように忙しく時間が過ぎた。時計が八時を過ぎた時、マスターはとっちゃんが顔を見せていないことに気付いた。
 「おかしいなあ、とっちゃんがまだ来てない」
 マスターがひとり言のように言うと、それを耳にした三十代らしい若い客の一人が、
 「とっちゃんて、あの青の水玉のレインコートを着たおっちゃんのことですか?」
 と聞いた。
 「ああ、そうや。いつも雨の日は必ずといっていいほど来るんやけど、今日はまだ来てない。どないしたんやろと思ってな」
 すると、若い客は、目を見開いてマスター―に向かって言った。
 「マスター、ぼく、ここへ来る時、事故を見ました」
 「交通事故かいな」
 「そうです。そこの国道のところで、横断歩道が青信号やのに、車がもうスピードで突っ込んできて、道路を横断していた青い水玉のレインコートを着た人が撥ねられたんですわ。すぐに救急車が来て運ばれましたけど、その人がマスターの言うてるとっちゃんと違うかなと思うて……」
 「まさか……」
 マスターはにわかには信じられず、ガラス戸を開けてレインコートのとっちゃんが入ってくるのをずっと待った。でも、その日はとうとうとっちゃんは現れなかった。
 翌日、マスターは朝刊を見て、店の近くの国道で事故があり、携帯をいじりながら運転していた十代の男が、道路を横断していた男性を撥ねたという記事を見た。撥ねた男は十代で名前は出ていなかったが、撥ねられた人の名前は山崎敏郎となっており、救急車で搬送される途中、亡くなったと書かれていた。
 「とっちゃんの名前は……」
 気になって考えてみたが、レインコートのとっちゃんの正式な名前をマスターは耳にしたことがなかった。だから、撥ねられて亡くなった山崎敏郎がレインコートのとっちゃんと、すぐには結び付かなかった。
 翌々日も雨が降った。その日もレインコートのとっちゃんは姿を見せなかった。
 「よう降りまんなあ」
 午後七時頃、一人で入って来た客がマスターの顔を見て言った。
 「ほんまでんなあ」
 マスターが答えると、客は、
 「雨の日になったらこの店にやって来る、レインコートを着た人がおましたやろ」
 「ええ、とっちゃんのことですね」
 「とっちゃんていうんですか。あの人、亡くなりましたなあ」
 「えっ、亡くなった!?」
 「あれ、マスター、ご存じなかったんですか。この近くの国道で亡くなったのに」
 マスターは声が出なかった。やはりあの事故の被害者がとっちゃんだったのか。
 「お客さん、そのこと、なんで知ってまんのや?」
 マスターが尋ねると、客は、
 「俺の友だちが山崎さんと知り合いで、その友だちから話を聞いたんです」
 マスターは、しばらく放心状態でいた。客の死には何度も出会ってきたが、とっちゃんの場合は特別なような気がしていた。とっちゃんに聞いた、奥さんと二人で旅した沖縄のことが脳裏から離れなかったせいもあった。マスターはその客に、友人に連絡を取ってもらうようお願いをし、とっちゃんの住所を教えてほしいと頼んだ。
 住所はすぐにわかった。とっちゃんの家は、店からそれほど遠い場所ではなかった。翌日、マスターは店を開ける前にとっちゃんの家を訪ねた。
 こじんまりとした小さな家だったが、きれいに手入れされ、旧さを感じさせなかった。玄関のチャイムを鳴らすと、女性の声がしてドアが開いた。
 マスターは自己紹介をして、家に上がらせてもらい、娘だという女性に案内されてとっちゃんの位牌を置いた仏壇の前に座った。
 お詣りしようと思ったマスターの前に仏壇の前に置かれた木彫りの彫刻が目に付いた。
 「ああ、それは父さんがお母さんをモデルにして彫った、彫刻です」
 怪訝な顔で木彫りを見つめるマスターに娘が説明をした。
 一〇センチほどの樫の木に彫られた女性の立像、その立像が笑みを称えてマスターを見ていた。とっちゃんが愛して止まなかった美佐子さんの立像……。マスターはその時、思った。自分は何かを確かめたくてとっちゃんの家にやって来たのではなかったのかと。
 仏前にお詣りをすることがもちろん最大の目的ではあったけれど、それ以外に、マスターが知りたかったのは、とっちゃんの愛がどの程度のものであったかということだった。
 とっちゃんの話を聞いて、とっちゃんの愛の深さを感じたものの、実感として湧いてこなかった。だから、もしそのような愛が本当にあるのだとしたら、一度見てみたいものだ、そんな思いもマスターの中にあった。
 「すごく下手でしょ。でも、母さんが亡くなってから、父さん、その木彫りをずっと彫り続けていたんです。出来上がった時、わぁー、下手な彫刻」ってけなすと、父さん、『いいんだ。これはわしにしかわからん美佐子の姿だ』と言って威張るんです。人に見ていただくのが恥ずかしいぐらいなんですけど、よく見ると母さんに似ているように思えてくるから不思議です」
 娘はそう言って笑った。
 確かに上手とはいえない木彫りだった。でも、マスターは感じた。この下手な木彫りにはとっちゃんの思いが詰まっていると。
 えびす亭にレインコートを着てやって来るとっちゃんの姿が思い浮かんだ。今頃、二人は天国でレインコートを着て、手をつないで歩いているのではないか……。仏壇にお詣りをしながらマスターはそんなことを考えていた。
<了>


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