星になった童女

高瀬 甚太

「星がきれい。辰夫、見てごらん。星がとてもきれいよ」
夏の夜のことである。縁側に腰を下ろし、夜空を見上げていた母が私を呼んだ。
 八〇歳を過ぎた母は、近頃、まるで童女のようにかわいらしい。入れ歯のせいか、言葉まで幼児が喋っているように聞こえる。
 縁側に近付き、夜空を見上げると、いつもと変わらぬ星空が広がっていた。海に近い田舎町である。天気のいい日は、零れ落ちそうなほどに空いっぱいの星が溢れている。
 母は、そのうちの一つの星を指さして私に聞いた。
 「あの星は何という星なのかねえ。赳夫、教えておくれよ」
 無邪気な母の問いかけにしっかりと答えてやるだけの知識が私にはなかった。曖昧に誤魔化して答え、「早く寝なきゃ」と言って母のそばを離れる。
深夜十二時を回っても母は眠らず、じっと星空に目を凝らしていた。丸まった背中、白い髪、八〇歳を過ぎた母の衰えは日を追うごとに顕著だった。

 「赳夫、お母ちゃん、一人にしておいたら危ないぞ。帰って来てやらんか」
 実家からほど近い地域に住む、親戚の伯父から連絡をもらったのが、一週間前のことだった。
 「五月の連休に帰った時、母さんは元気にしていたけど……」
 五月の連休に、妻と子供たちを連れて実家へ帰った。母は大喜びで私たちの世話をし、孫の面倒をみてくれた。あれから三カ月しか経っていない。
 「あんたらが帰って、気が抜けたのかも知れん。様子がおかしいと聞いたので、見に行ったらとんでもないことになっていた。とにかく、一度帰ってやってくれ」
 仕事の都合を付けて帰郷したのが、二日前のことだ。その前に何度か電話をしたが通じなかった。帰る直前にも電話をしたが、やはり通じず、何かあったのではと、気を揉みながら家に着いた。着いてすぐに玄関の乱雑さに驚いた。慌ててドアを開け、母の名を呼んだ。
 「母さん、母さん。ただいま」
 夜だと言うのに電灯も点いていない。部屋の奥から、のっそりと母が姿を現した。汚れた衣服、ぱさぱさの髪、何日も部屋に入っていないのか、すえたような臭いが鼻を衝く。
 「どなたさんですかいのぅ」
 まじまじと私の顔を眺めて母が聞く。
 「ぼくや。赳夫や。どないしたんや、母さん。ぼくがわからないのか」
 母はしばらく目を凝らして私を見て、ようやく、「ああっ……」と言葉を漏らし、
 「赳夫、いつ帰って来たんや」
 と正気に返った声で私に言った。
 部屋を清掃し、整理をした。便がところどころに垂れ流されていて、台所は、食い散らかした食料の屑で埋まっている。どこもかしこも汚れきった部屋をきれいに片づけるのにほぼ一日を要した。
 その日の翌日、私は嫌がる母を病院へ連れて行った。
 開院と同時に病院へ入ったが、すでに待合室は満員の状態で、診てもらうまでにずいぶん時間がかかった。待合室にいる人のほとんどが老人で、生気のない虚ろな表情を見ていると、全員が母と同じ症状のように思えてゾッとした。
 順番が来て名前が呼ばれ、診察室へ入ると、意外に若い医師だったので驚いた。医師は、母を検診した後、カルテを手に私に言った。
 「お母さんはアルツハイマー型認知症ですね」
 「アルツハイマー型認知症?」
 驚いて聞き返した。医師は私に病状を説明する。
 「アルツハイマー型認知症は、大まかに言って、脳細胞が死んでしまうことによって、脳が委縮し、身体の機能が徐々に失われて行く病気です」
 医師は、そう語り、アルツハイマー型認知症の主な症状について語った。最近の出来事を忘れてしまう、物忘れが激しくて思い出すことが出来ない。料理の手順がわからなくなったり、掃除をする時も、捨てる物がわからなくなり、片づけ方がわからなくなる、臭いにも鈍感になり、ゴミが増えても気にならなくなる――。医師はさまざまな症状を語ったが、そのどれにも母は適応しているように思えた。
 医師は、「根本的な治療は難しく、病気の進行を遅らせて本人が少しでも長く、その人らしく暮らせるように支えることが大切です」と語り、薬による治療と薬を使わない治療があると私に語った。
 どちらにしても、母の病名を聞いた私には果てしない絶望感しか起きなかった。妻には、あえて母の病名は告げず、しばらく休暇を取って母の面倒を見るとだけ伝えた。
 妻はしつこく母の病名を尋ね、なかなか電話を切ろうとはしなかった。だが、その時の私には、母の病名をしっかりと伝える心の準備が出来ていなかった。改めて連絡をすると言葉を濁し、電話を切った。

 二週間ほど有休を取ることができた。しかし、その期間に一体何ができるというのだろうか。
 アルツハイマーになってしまった母を置いて、この家を去るわけにはいかない。かといって、都会の我が家へ認知症の母を連れて行くことも出来かねた。認知症が回復するよう奇跡を祈るばかりだったが、そんな奇跡など起きるはずもない。
 伯父に電話をして相談することにした。
 ――そうか。アルツハイマーと言われたか。
 伯父はしみじみと言って、電話の向こうで押し黙った。母の兄である。何とかしないといけないと思っているのだろうが、うまく言葉が出てこないようだった。機転を利かせて私の方から伯父に告げた。
 ――しばらく家にいて、母の様子を見ることにします。その間に、これからのことを考えたい。
 それだけ伝えて電話を切った。相談にもならなかった。
 その日、二度ほど妻から電話がかかって来た。曖昧な言葉で逃げようとしたが、妻は、そんな私の対応をみて、母の病気を看破した。
 ――お母さんを引き取っても、今の私たちにはどうしようもないわよ。長男の誠一とお腹の中の子供がいるのよ。家だって2LDKのマンションだし、お母さんの部屋だって作れない。おまけにお母さんは認知症なのでしょ――。
 堪えきれなくなって途中で電話を切った。二度目にかかって来たのは、そのすぐ後だ。
 ――お母さんには悪いけど、今の私たちにはお母さんの面倒なんか見ることができない。
 妻は、そう言って二度目の電話を切った。私はその間、無言で妻の話を聞いていた。

 母は、庭に出て、童女のように花を眺めていた。薄暗くなってもお構いなしに花を眺めて、何事かしきりに花に語りかけている。
 家の中に入るように言うと、母は、父親に叱られているような気持ちにでもなるのだろうか。
 「あーい。許してください」
 と頭を抱えるそぶりをして家の中へ入って来た。
 ――それはもう厳格な父でね。食事の時、少しお喋りするだけでお箸が飛んできたわ。叱る時は、男も女も見境なしなのよ。尻をぶたれるなど当たり前で、外へ放り出されたことも一度や二度で利かなかったわ。
祖父が亡くなった通夜の夜、母は私に祖父の話をしてくれた。厳しかったけれど、とその時、母は言い、「大好きだったのよ」と言って涙をあふれさせた。
 家の中へ入った母は、履物を履いたまま、畳の上に上がろうとする。すでに判断力を失っているのだろうか、母は畳の上では履物を脱ぐ、という行為すら覚えていないようだった。
 履物を脱がし、足の裏を水で濡らした雑巾で拭いてやると、母は、「母さん、ありがとう」と私を見つめながら言って、「でもくすぐったい」と言って無邪気にほほ笑んだ。
 食事の用意をして、ご飯を食べさせようとすると、突然、母が正気に戻り、
 「赳夫、野菜を食べないとだめだよ」
 と声高に言った。正気に戻った母は、しばらく普通に談笑した。ついこの間までの母親がそこにいた。治ったのでは、と喜んだのもつかの間、母はいきなり手に持っていた茶碗をテーブルの上に落とし、大声で叫んだ。
 何を言っているのか、まるで見当がつかなかった。叫んで泣いて、それが止むと、母は呆けた顔をして焦点の定まらない目で私を見た。
 インテリジェンスに満ちた、知的な母の面影が跡形もなく消えていた。
食事を終え、片づけを済ませ、部屋に戻ると母が蹲ってじっとしている。畳の上で便をしているのだ。悪臭に鼻を抑えながら、私は母を諭す。
 「小便や大便がしたくなったら、ぼくに知らせて。トイレに連れて行ってあげるから」
 母は、トイレに行くことすら忘れていた。風呂に入れて、温かなシャワーを吹きかけると、母は、「気持ちいい!」と声を上げた。八十歳の老いた母の体は、見る影もなく痩せていて、お腹の辺りだけがぽっこりと膨らんでいた。
 石鹸で身体を洗い、頭を洗っていると、突然、母が、
 「すまないね、赳夫」
 と泣き声で言った。母は、時々、正気に戻るようだ。
 湯船に浸からせ、風呂から上がらせようとすると、母が、
 「ありがとう、赳夫。もう大丈夫だからね」
 と言って、スックと立ち上がった。言葉通り母は、自分で衣服を着、風呂場を出た。
 私は黙って母を見つめていた。
 先祖代々、時を伝えてきた柱時計がボーンボーンと大きな音を鳴らす。潮騒の音がその音に続いて聞こえる。気味の悪いほどの静寂が訪れた。田舎で暮らしていた時は普通だったのに、都会暮らしに慣れると、この静寂に耐えられなくなる。
 「母さん、寝ようか」
 畳の上に座したまま動かない母に問いかけると、母はまだ正気のままのようで、
 「そうだね。お前も明日早いだろうしね」
 と言って立ち上がる。
 ――このまま治ってくれればいいのだが。
 淡い期待を抱きながら、布団を敷き、母を横たわらせた。
 「お前が小さい頃のことを思い出すよ」
 電気を消した途端、母が語り始めた。
 「泣き虫でね。私が傍にいないと眠れない子供だった。とても甘えん坊でね。三歳になっても私のおっぱいにむしゃぶりついて――。可愛い子供だったよ、赳夫は……」
 母の思い出話は止まらなかった。もしかしたら、このまま治るのでは、その時、再び、そんなことを思った。
 ウトウトとしかけて、ふと目を覚まし、隣を見ると母がいなかった。
慌てて寝床から身を起こし、母を探した。平屋の小さな家である。家にいるなら、すぐにわかる。母は家にいなかった。外へ出たのだ。戸が開け放しになっていた。
 月明かりに照らされた漁村の町、人の息づかいさえ聞こえてこない無音の町に、張り巡らされた石畳の歩道が浜辺まで続いている。母は海に行ったのだと、見当をつけた。
 かつての漁師町である。魚の匂いこそ昔のままだが、老人たちの町と化してしまったこの町に、今は漁師などほとんど存在しない。漁船で賑わっていた幼い頃の浜辺の風景は、今はもう望むべくもない。数隻の漁船が入り江に浮かんでいるが、それさえも年々、数を減らしていた。
 波のざわめきが私には懐かしい。この町を離れてしばらく、私の鼓膜に波の音が焼き付いて離れなかったことを思い出す。
 やがて月明かりに照らされた浜辺の波打ち際に立つ一つの影を見つけた。
 「母さーん!」
 叫んだが、母には聞こえていないようだった。浜辺を駆けて母の元へ急いだ。波打ち際に立った母は、そこでようやく気付いたようだ。立ち止まって私を見て言った。
 「今晩は。お月さん、きれいですねえ」
 童女のような顔が静かに笑っていた。

 老人ホームに入れるよう市の福祉課の知人に促された。いつまでも実家で母の世話をしているわけにはいかず、かといって大阪へ母を連れて帰るわけにはいかない。どうすればいいのか、知人に相談した結果、知人が世話をしてくれることになった。
 「市の老人ホームに母さんを入れるよう言われた。いいかな? 母さん」
 明日、ホームへ入るという日の夜、眠っている母に囁いた。深く眠っている母は、すやすやと小さな寝息を立てている。
 「悪いね。面倒をみることができなくて――」
 こぼれる涙を布団の上に落とし、嗚咽すると、
 「いいんだよ、赳夫。今までありがとう」
 母の声がして、母のか細い手が私の手を握った。握り直すと、その手が弱まり、スーッと緩み、再び母は深い眠りに就いた。
 翌朝、眠りから目を覚ますと、母の姿が消えていた。
 ――浜だ。
 そう思った私は浜辺に向かって急いだ。
 しかし、浜辺に母はいなかった。ざわざわと寄せる波打ち際に立ち、母の姿を探し求めた。太陽はまだ昇っていなかった。薄明るい光の注ぐ海岸には誰の姿もない。
 その時、波と一緒に押し寄せて来た何かが、私の足元にぶつかった。母の愛用している履物だった。
 その履物の片方が私の足に絡みついて離れない。
 水平線に太陽が顔を覗かせた。波の中に座り込み、母の名を呼んだ。何度も何度も声を上げて呼んだ。
<了>

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