今日があるということは、全てがあるということ。
予定に向かい、
電車に乗り込む。
混雑した車両に
「ここじゃない」
と、ぼんやり感じ
諦めず
車両の中を
とことこ進んでいったら、
世界が変わったのか?
というくらい、
人っ子一人いない
ガラ空きの車両へと辿り着いた。
座席に腰かけ
奇妙なくらいに
静かな空間を味わいながら
必然性って、
こんな形で不意に
目の前に現れるよな、なんて。
色々思っていたら
電車は出発していた。
見慣れた景色を
ぼんやり眺めて、
少し飽きたら
手元のスマホに目をやって。
そんな、
ぼやけていた
電車時間のさなか
思いがけず
目に飛び込んだ
黄金に輝く景色。
ハッと収縮した心は、
じわじわと緩みながら
「今日」の実感を
私に湧かせていく。
今日があるということ。
それは、
全てがあるということ。
全ての人にとっての、
全ての存在にとっての
「今日」という日が
無数に、
彩り深く広がっていて
そんな
カオスのような多様さが
一つの壮大な旋律を作り出す。
私もその音の一部で、
私たちは旋律そのものだ。
.
.
.
温かい瞬間は
この世界に溢れている。
私が知らない
無数の「今日」が
私が生きる世界を創る。
今日に宿るいのちと、
無数の物語を感じながら。
共に生きていることを
感じながら。
今日があるということは、
全てがあるということ。
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