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【実録】拷問的鼻奥綿棒検査への抵抗と敗北の歴史【インフルエンザ】

突然であるが、僕はインフルエンザやコロナウイルスなどの、鼻の奥に綿棒を入れる検査が大の苦手である。
あれをやられると、他ではあまりないような激痛に表情を歪め、鼻の奥を刺激されるので問答無用で涙を流してしまう。非情に情けないことだ。

きっとあれは、最初は拷問として用いられていたに違いない。ある医師がうっかり拷問用の綿棒を検査キットの上に置いてしまい、たまたまインフルエンザが陽性であることに気づいたのだ。

そんなインフルの検査との戦いの歴史と、思う所について述べていきたい。


我が抵抗と敗北の歴史~第1章・少年期~

今でこそ暴れはしないが、恥ずかしいことに僕は小学4年生まで暴れていた。

一見無意味の見える「検査への抵抗」だが、そこには子供と大人との激しい駆け引きがある。
まず、医者はコロ付きの椅子に座っているので、子供の力でも押してしまえば、そのまま後ろに下がっていくのである。
情けなく遠ざかっていく、医者を見ながら勝利を確信したものである。

しかし、そこで医者は参ったとは言わない。(当たり前だ)
大概ここで、病院で一番大柄で腕の太い看護師さんが出てきて(用心棒として雇われているのに違いない)、完全に体をロックされてしまう。

自らの非力さを嘆きつつ、せめてもの抵抗として自由の利かない手足を動かそう努力する中、非情にも鼻に差し込まれる綿棒をなすすべなく受け入れることとなった。

これが小4までの僕のインフルエンザの検査である。
その次の検査から僕は暴れなくなった。
なぜ、そのようなことになったのか。

それは次の年に、検査が行われなかったからである。
懲りずにまたインフルエンザに罹り病院に行くと、カルテに検査の時に暴れたと書かれており、症状や周囲の感染状況でインフルと診察してくれたのである。
今であれば、抵抗のかいあって良かったと思う所であるが、少年の僕の精神は単純ではなかった。なんだが負けたような気がしたのだ。

その後僕は検査で暴れなくなった

我が抵抗と敗北の歴史~第2章・青年期、コロナ時代~

僕が大学生になった頃は、コロナが世界的に大流行して1年ぐらいたった時期だった。
その頃は今よりもコロナに対する扱いが厳しい時期だったので、疑わしい症状が出た場合は、コロナでないことを証明するために検査を受けなければならない。

このコロナの検査というのが、インフルエンザとおなじく、鼻の奥に綿棒を突っ込むものだったのである。
しかも、感染拡大を防ぐためか、自分で鼻に綿棒を突っ込まなければいけなかった。大学生になった僕は、特に文句も言わずに自分の鼻の奥に綿棒をつっこみ、一人でひいひい言っていた。
これはかなり屈辱的なことである。

検査にあらがっていた少年は社会の従順な下僕になったのだ。(自分のための検査なんだからそんなことはないぞ)

「自分で出来るのだから、多少手心を加えればいいじゃないのか」などという反論も聞こえてきた。(幻聴である)

しかし、せっかく検査をやるのであれば結果をきちんと出したいのである。
加えて、ヒジョーにめんどくさいようだが、看護師や医者に検査に恐れをなしている思われたくない。

よって僕は、検査の時に、痛い痛いと言いながらも、力を入れることをやめず、綿棒に自分の血液をついているのを見て、「ドーダ驚いただろう、ざまあみろ」という気持ちになるのである。
とは言っても医者も看護師もそういったことには無関心なのだから張り合いがない。

そろそろまとめに入りたい

年を重ねるにつれ、インフルの検査に抵抗しなくなったのは果たして成長と言えるのだろうか。

もちろん医療従事者の方に迷惑をかける行為なので、完全に良くないことであるが、どこか牙を抜かれたというか、抵抗するという選択肢を思考から奪われ、社会の都合のいい人間になってしまった気がしなくもない。

検査にしても注射にしてもそうだが、体を痛めつける行為の前にきちんと、危険はないのか、説明に疑わしい所は無いのか、確認しなければならないのではないか。(非常にそれっぽい教訓である)

僕はすっかりそういうことをメンドクサイと思うようになり、思考を放棄するようになってしまったので、これからも、鼻に綿棒を刺し続けるのだろう。

それにしても、まだ検査に抵抗している同世代っているのかな?
あったら遠くの方から凄いなと言いたい。


相変わらず日当たりの悪い窓の側にて
人力ヒコーキ


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