みなとみらい裏話
はじめに
こんにちは!
今回は、私たちじんれきが活動拠点を置く神奈川大学みなとみらいキャンパスが所在するみなとみらいについて語ります!
みなとみらいとは?
横浜市の代表的な観光スポットとして知られているみなとみらい21地区ですが、再開発される前は造船所がありました。
現在のみなとみらい21地区の整備は、1965年に「横浜市六大事業」のうちのひとつとして発表され、1983年に着工しました。
それ以来、ほぼ毎年のように新しい建物ができて、今なお進化を続けています。
みなとみらい地区ができた由来
そもそも横浜市六大事業とは何かというと、戦争によって荒廃した横浜市を活性化させるための事業です。
内容としては、
1. 都心部強化
2. 金沢地先埋め立て事業
3. 港北ニュータウン建設
4. 高速鉄道の建設
5. 高速道路の建設
6. 横浜港ベイブリッジ建設
というものでした。現在では、これらの目的を達成し、次の事業に着手しているようです。
みなとみらい21地区の建設は、1の都心部強化に入ります。
この当時、伊勢佐木町や関内周辺地域と横浜駅周辺地域の2つの地域に中心部が二極化していて、これを解消するために中間地点となる場所を新都心を整備することが計画されました。
終戦直後の横浜市では、GHQが横浜市内に進駐し、横浜市の中心部や港湾施設、市街地の住宅や公共施設などを接収しました。
その後、一部の場所は返還されたりもしましたが、朝鮮戦争の勃発により、再度接収されたりなどして接収解除が遅れ、戦後の復興も遅れました。
それへの対応策が、このみなとみらい21地区の建築だったのです。
造船とみなとみらい
再開発される前のみなとみらいには造船所があったと書きました。
かつては横浜船渠のドックがありました。
横浜船渠の1号ドックと2号ドックは現在でも残っていて、1号ドックは現在帆船日本丸が展示され、2号ドックはドックヤードガーデンとして整備されています。
さて、この横浜船渠では、太平洋戦争に参加した艦艇が数多く建造されました。
横浜船渠
さてまずは横浜船渠からご紹介します。
現在山下公園に係留されている氷川丸や、練習巡洋艦香取、鹿島、香椎、軽巡洋艦那珂、航空母艦龍驤、山汐丸、駆逐艦白雪など旧海軍、旧陸軍の艦艇が数多くつくられ、戦後には敷設艦つがる、潜水艦救難艦ちはやなどがつくられました。
航空母艦山汐丸は、実は陸軍が所有していた空母です。
とはいえ、空母としてもタンカーとしても使用できる艦艇として、1944年11月に横浜船渠で進水しました。
しかし、1945年に改装のために入渠中に空襲にあい、損傷を受けそのまま終戦を迎えました。
終戦後は、1946年7月から解体作業が行われますが、船首が折れて沈没し、引き上げが困難だったため、岸壁の一部として再利用されました。
2008年にみなとみらいセンタービルの建築の際に錨が発見され、現在ではみなとみらいセンタービルの広場に飾られています。
日本丸とみなとみらい
さて、現在桜木町駅前すぐのところに展示されている帆船日本丸は、もともとは兵庫県神戸市にある川崎造船所神戸工場にて1930年に進水しました。
この船は1927年の水産学校の練習船の遭難事故をきっかけとしてつくられた大型の練習船です。
艤装工事完了後、さっそく練習船としての任務に従事します。
第二次世界大戦が勃発し、戦況が悪化すると、一部艤装を撤去し、石炭の輸送任務に従事しました。
終戦後は復員輸送に従事し、1950年代には激戦地となった南方の島へ遺骨回収にも従事しています。
その後1984年に練習船の役割を二代目日本丸に受け渡し、1986年からは現在の日本丸メモリアルパークで展示・公開を始めました。
2017年には国の重要文化財に指定されました。
おわりに
みなとみらいといえば、きらきらとした港町という印象を持つ方が多いかと思います。
今回は桜木町駅近隣に焦点を絞ってお話ししましたが、みなとみらい地区といえばまだまだたくさんの歴史的なスポットがあります。
これからそれらの場所について調べてまとめていこうと思っていますので、よかったらまた読んでほしいです……!