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愛とは、たとえ裏切られても相手を信じ抜くことなのかもしれない

「愛とは何ですか?」と聞かれたときに、あなたはなんと答えますか?
自分の中で明確な答えを持っていますか?考えたことはありますか?
そして愛を感じたことはありますか?あるとしたらいつでしょうか?
ぜひ思い出しながら、このnoteを読んでもらえると嬉しいです。


・愛の正体はなんなのか?

愛ってみんなが知っているものだけれど、目に見えるものではない。だから一人一人がイメージしている愛の形には少しずつ違いがあるのかもしれないですよね。でもきっとそれは、ごく自然な形だと僕は思っていて。感じるものが違うから、答えが違うから面白いものなんだと思う。


なぜ今回、このようなテーマでnoteを書いているかというと、僕には愛していると心から言える人がいて、その人に自分の愛を表現するにはどういう形がいいのかなと常日頃考えているんです。その中で、「あれ、愛ってこういうことじゃないかな?」ってふと思ったんですね。別に何かきっかけがあったとか、教えてもらったとか、そういうことではなく、本当にふと何の前触れもなく、自分の中で腑に落ちる仮説が立ったんです。


そして仮説がった10分後にはこうしてPCの前に座り、朝から客観的に見たら重ための文章をつらつらと書いている。僕は自分の中の持論をみんなに発信したい欲が潜在的に高いのかもしれないですね。まぁそんなことは今はどうだって良いんですが。この先も僕の言語化を聞いてもらえればなと思います。


最近、僕は相手視点と自分視点、その様子を俯瞰的に見ている鳥の視点と3視点で物事を捉えられる能力が身についた気がしています。そのお陰か、相手に伝わるにはどう伝えると良いのだろうか?とか、自分の伝えたいことって100あったうちのどれくらい今伝わっているのだろう?とかを考えるようになっていて。その一つに『愛』があったんですね。愛って伝えるのめっちゃ難しくないですか?ただ自分本位で「愛している〜!」と伝えても、あんまり伝わっている気がしないし、かといって愛に100%繋がる行動ってなんなのだろう?となってしまいます。(僕の場合)


・愛とは在り方である


そこで気づいたことがあって、愛ってのは行動とか言葉ではなく、在り方だなってことです。その在り方が、結果的に相手に愛を届ける行動や言葉に結びつき、相手に伝わるので、これは在り方だなと。行動で愛を示しても、言葉で伝えても、それは届かない。届くとしたらあなたの在り方が届く。


では、在り方が届くってどういうことでしょうか?
それはあなたの存在そのものから発せられているパワーだとか、光だとかそういう目に見えないものが相手に伝わるということです。もっと言うと、これは僕の中の持論なのですが、「たとえ裏切られたとしても相手を信じ抜く」という在り方が愛なのでは?と思うのです。
それは別に行動とか言葉ではなく、本当にあなたの存在そのものが現されていること。見返りだとか自分にとって損得でもなく、そして自分が幸せだとかでもなく、ただ相手を信じ抜くこと。それが愛です。


・在り方で全て決まる

これは愛に限った話ではないなと思うのですが、人間全て在り方で決まるなと改めて思います。行動を変えようとか、言葉を変えようとか、結果を変えようとか、目に見えるものを変えようとしがちだけれど、その土台となる在り方こそ、向き合う部分なのではと思います。その在り方が決まれば、その姿を貫く強い心を持つ。そうするだけで、あなたの行動と結果は変わっていきます。


僕はコーチングで人の在り方に向き合い続けているからこそ分かるのですが、行動や方法にフォーカスしても、在り方自体は変容していないので、そうなると人間しんどくなってしまうんですよね。「自分らしくない」とか「なんか気持ちが乗っていかない」そんな感じになってしまいます。自分らしくないのであれば、「らしさ」を再定義するところから始まります。逆に再定義がなされて、強く認識できた暁には、勝手に行動と結果は変わっています。


愛も同じです。愛を届けたいなら、愛が届く在り方を自分で見つけて、強く認識することが大切なんです。特に正解はないと思っています。あなたなりの表現で良いと思うので、一度言語化をしてみてください。きっと何かが変わるはずです。言語化が苦手な人や分からなかった人は、僕なりの愛の形ではありますが、何かの参考にしてください。


今日よりも明日が愛で溢れる社会になっていますように。

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