NHKスペシャル「自閉症の君が教えてくれたこと」への違和感への違和感…

このNHKスペシャルの東田直樹さんの番組についてのこの人の記事にはとても違和感を感じた。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161214-00010000-mediagong-ent

何が言いたいんだろう?

私個人の感想は、2014年の「君が僕の息子について教えてくれたこと」は見るに値するもので、一番大きいのは、それぞれの精神世界はもちろん多様で、しかもそれを外に向かって見える、伝わるようにする技能も多様で、しかも難しさを伴っているということを知るにはとても良い番組だったという点。一方で昨年末の「自閉症の君は教えてくれたこと」は中途半端なところがあるなぁという感想を持った。昨年末のものの方は、自閉症で作家の直樹さんが自我を発達させていることにも触れていたが、扱い方が半端な感じがした。

この直樹さんをめぐる話題はきちんと整理して論じなきゃいけないのではないか?リンク先の放送作家の文章はあまりにも混沌としていて、見る人によっては差別的にさえ見えるかもしれない。本人にその意図はなかったとしても。

2014年の番組は、全体として、自閉症を抱える者を支える家族たちの、自閉症のとらえ方の変化に東田直樹さんの存在がとても大きな役割を果たしているというものだった。これは「ふつう」のあり方、前提を問う、という点で、普遍性を持つテーマである。自閉症の人たちにも感情があるのに、それが周りに伝わらないのは、それを表出すること自体が難しかったり、多くの人とその様式が違っていたりするからで、そんな当たり前のことに、直樹さんという特殊な存在が気づかせてくれたというストーリーだったと思う。表現のコードの多様性に気づくのは、実は容易ではなくて、みんなマジョリティの側で、「ふつう」を振りかざすことに自覚がなく、異質な他者を受け入れることが出来ない。現代のアート表現にかかわるものとしては、その難しさと重要性は痛いほど共感できた。アートは基本的に認知の領域のこととして扱うべきものだと私は思っている。

昨年末の、2016年の番組では、ディレクターの方がこの二年間の間にがんを患ったことが番組の方向性に強く影響を与えている。がんというハンディを抱えた自分の苦しみを乗り越える答えを、東田直樹さんの自閉症との向き合い方の中から見出そうとするテーマが大きかった。そしてもう一つは、東田直樹さんの「作家性」の問題。これは障害を持つ人たちのアートをどう扱うか、語るかという問題ともつながっているもので、多くの著作を生み出してきた直樹さんが、自閉症の作家とみなされることへの反発を覚え、それを乗り越えるというストーリー。これはいまいち説得力が感じられない印象を受けた。限られた時間の映像番組だから仕方のないことではあるが。

一番の問題は、自閉症で、特殊な表現の力を持つことのできた東田直樹さんを、救世主のように、その言葉を「正解」「真理」のように扱う姿勢が、昨年末の番組では処々に見えたことではないか。がんの再発を恐れるディレクターの個人的な思い、救いを求める気持ちは分からなくはない。けれども、自分の思いを打ち明けて、直樹さんに打ちのめされるというナレーションは、いかがなものかと思った。そここそが、直樹さんが「自閉症の」と冠せられることに苛立つ根本にあるのにもかかわらず。

リンクを張っているこの放送作家の方の文章の気持ち悪さは、明瞭に自分の考えを述べていないところだと思う。

「こっくりさん」と言うからには、直樹さんの言葉が周りの大人たちによって作られたものではないかという指摘のはずだ。そのあとに続く「月並みな内容」というのも、(はっきり書いていないので私の推測だが)凡庸な周りの大人たちが「示唆」したものだから、というニュアンスを嗅ぎ取れなくもない。

だけど、自閉症の人が、表現する力を身に着けて、それが月並みな「いい話」であってはいけないのだろうか?ディレクターの言葉も東田直樹さんの言葉も、ともに凡庸なのだと思う。でもそこにどういう意味を見出すかが重要であって、文学性を競っているわけじゃない。

この放送作家だって、学問をかじっていることに触れつつ、きわめて凡庸な主張をしている。もちろん凡庸なことを批判しているわけではない。私も含め大概の者は凡庸だ。だけど、その凡庸なものがどこからどのようにして生まれ、それがどのように受容されているのか、それが人間の文化を形作っていく。私が思うに、天才性への勝手な期待という点では、ディレクターもこの放送作家も同じ穴のむじなではないか。誰だって、誰かの真似を通して表現能力を獲得していく。自閉症の人だけは、ナチュラルに誰からも影響を受けずに、純粋な自分となっていくものだというのか?そうでなければいけないのか?

東田直樹さんが書いたものの彼ではない誰かによる朗読は、正直気持ち悪かった。人格的に聖化するようなテイストが感じられて…。「優しい、包容力のある声」の演出は、彼が確か昨年末の番組の中で「友達がいないこと」について言っていたように、周りの大人たちの勝手な評価や期待でしかない。直樹さんの主張に沿うなら、演出としては淡々と語るべきだったと思う。

そして彼のケースを他の自閉症の人たちにも適用可能な事例として扱えるのかは、今後の研究の領域にゆだねるしかない。リンク先の放送作家はそこにも中途半端な言及をしている。そこはまだわからないとしか言いようがない。

ただし、彼が書いた『自閉症の僕が跳びはねる理由 』(角川文庫)が自閉症の人たちを支える多くの人たちにポジティブな変化を生み出したことは事実だろうし、直接彼らとのかかわりがない人たちにとっても社会的包摂という観点からとても重要な著作であったのも事実だと思う。


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