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はじめての立川談笑一門会

2023.10.27武蔵野公会堂にて、立川談笑一門会を観覧した。


とにかく面白くてコーフンした。落語のレポートってどれくらいの内容が許されるかわからないけど、このタカブリを忘れないうちに記録しておく。

なお、私の落語リテラシーレベルであるが、北海道の地方住まいであり寄席に入った経験はない。噺を聴くのはCDばかりで知っている演目は限定的である。生で聴いたのは、15年ほど前に志の輔さん札幌公演を大きなホールで一度だけ、しかも最終バス乗車のため途中退席するという、情けない経験しかない。

実は、生で落語を聞くのは、半世紀以上生きてきて2度目である。なので、浮かれきった感想になると思いますが、ご容赦ください。

誰に言っているんだろう。


プログラム


笑えもん『紙入れ』
知らないネタだったので、事前予習のつもりで別の方の動画を見て、正直つまらなくて途中でやめた。一席目でしかも前座の方だしと少々不安だったが、全くの杞憂だった。

聴いてびっくり。スッキリした展開で、話のスジもおかしみもスッと入ってきた。

前座でもこんなにちゃんとした落語なんだと驚いた。ただそれは、私の知識があまりになさすぎということだろう。近く二つ目昇進予定とのこと。前座といえどプロの一員なんだもんな。

この噺の面白さはこういう機微なんだと理解できた。

ただ、現代的には、環境や言葉、道具がわかりにくく、観客の側にある程度の落語リテラシーが必要なようでもあり、何が言いたいかというとサゲがよくわからなかったのだが、不思議と不満は感じていない。

愛嬌を感じる風貌と実直な語りっぷりに好印象、笑えもんさんの名前とお顔は覚えました。これからどんな風になるんだろうと感じた期待感は、一門ファンには共通の感情なのだろうな。一席目で会場のあたたかさみたいなものも感じた。いい空間だ。



笑二『すきなひと』
まくらで会場の爆笑を誘う。経験談のようでいて古典落語「お見立て」を想起させる粋な導入だった。

本編は新作落語で、サイコ系短編小説のよう。早々に展開が読めたように思ったけど、そんな素人の浅い想像なんか遥かに超えて、ザワッとしつつおおいに噴き出した。良いもの聴いた。面白かった。

いま気づいたのだが、まくらでニュアンスを感じた「お見立て」の方も、面倒な異性の付きまといが主題だ。本編へのつながりとして、そこまで考えてのまくらだったのかもしれない。

新作に古典のエッセンスがあることを示唆することで、通も唸らせるということではないか。などと思ったけど、実際の通な方はどう思いますか。

笑二さん、ファンになりました。



談洲『薮入り』
顔がイケメン。キリッとしている。所作がイケメン。他の方とは違う雰囲気をまとっている。顔が小さい。シュッとしている。イケメン。いいえ私には妻が。

まくらは、クセの強い身内(義父と孫)の話題だった。会場は笑いが絶えなかったが、私は家族の関係性がちょっと心配になってしまった。後で知ったのだが、奥様も芸人さんとのこと。家族ネタだったのだ。そういう背景がわかっていれば純粋に笑えたのにと、ちょっと惜しい気持ちになっている。

本編は薮入り。まくらが見事な導入になっていた。ただし、奉公など当時の子育て事情は社会背景を知らないと話についていけないおそれがある。そのあたり、父親が自分の経験を語ることで上手に説明されていて、なるほどと思った。

声質が声優のような美声で、俳優さんが落語の演技をしているような、不思議な聞きごこち。特に女性の声色が妙にリアルで、そういうスタイルを聞き慣れない私には、ちょっと照れくさく感じた。ただ、これは私の問題であって、こういうスタイルが好きな人はたまらないのだろう。この方の語りで、趣向の違ったいろんな噺を聴いてみたいと思った。

いやしかしイケメン。


談笑『時そば』
まくらは、新刊間近の著書の話題、落語に不慣れなイベント関係者、ラジオ出演で会った著名人のことなど。出だしから可笑しくって、面白いエピソードにタイムリーなギャグ、それに加えて、当人の雰囲気、滲み出る面白さ、可愛らしさ(フラというらしいが、にわかが使うには恥ずかしい言葉なのでやめました)。たまらん。

至福だった。この方の高座を拝見できただけでここに来た価値があると思った。ことばを発した瞬間から、他の演者とは雰囲気がまったく違った。客席の一体感、言葉の支配力。何が違うのだろう。

客席と会話しているのだ。客席全体と。落語はコミュニケーションだと直感した。決して一方的な語りではない。おそらく、同じ噺であっても、その会場と集まったお客さんによって、毎回違うものになるのだろう。ということをたぶん詳しい人は言っているのでしょうが、自分自身でしっかり腹おちしたということをここでは言いたいのです。

で、この「客席とのコミュニケーション」感が、前座 → 二つ目 <→ 真打ちと格(キャリア)が上がるにつれて、明らかにその度合いが変わることを体感した。一朝一夕にこうなれるものではない。会場も、おそらく一門の皆さんもそのことを明確に感じながら、それぞれの段階の楽しみ方をわかってここにいる。

落語という物語を聴かせるという目的だけなら、演者ひとりの世界で話しても成りたつように思う。テレビの中の落語はそういうイメージがあった。しかし、生で体感した落語は違った。演者と会場のコミュニケーションであり、まさにライブだ。

この落語会だけでそれを判断して良いのかはわからない。私が浮かれているだけかもしれない。もし私の感覚が正しいとして、もしかしたらそれは談笑一門ならではの方針かもしれない。だとしたら、生落語に慣れないうちにこの会に参加できたことはなんとラッキーなことかと思った。

すみません、脱線しすぎました。

本編の『時そば』がまた面白いのなんの。落語に多少興味のある人なら誰でも知っている噺なのに、どうしてこんなに面白いのかと、確かにこういう人物ならソコに引っかかるかもなと、笑いながら感激していた。人物造形、ギャグ、身振り手振り、他の方と同じ座布団の範囲にいるはずなのにとても広いところにいるように感じた。

そして、あるあるなのかもしれないが、とにかく、そば屋に行きたくなった。おいしいほうの。


吉笑『片棒・改』
談笑さん以外では、唯一お名前を知っていた方で、こちらも聴けるのを非常に楽しみにしていた(サンキュータツオ『これやこの』にて。いま読み返したら笑二さんのお名前もありましたごめんなさい)。

開演前のロビーでは、真打ち昇進記念興行のチケット販売に行列が出来ており、人気のほどが伺えた。私も勢いでいったん並んでしまったくらい。

まくらでは、その真打ち「審査」を目前に控えたあれこれの事情、おそらく文字で記録してはいけないことなど。にわかに参加した私でも笑いが止まらなかったから、常連さんにはたまらなかっただろう。

本編は、談笑さんとはまた違った方向で、すごかった。すごかった。すごかった。生きている父親の弔い方を息子3人が提案するという、主題がそもそもナンセンスなところに、3人それぞれの強烈さ! 語りも語りで、ハイスピードでエキセントリックなエンターテインメントに聴いている方も必至で食らいつきながら、いやはや楽しかった笑った。ものすごい能力と努力と情熱。あの時間だけでどれくらいの文字数を詰め込んでいるのだろう。

ファンになりました。


ああ素晴らしかったと思い返しながら至福の帰り道、楽しみにしていた宿の近くのそば屋は閉まっていた。




とりあえず、吐き出したいことは、こんなとこだろうか。

これでようやく、談笑さんの新刊本を読める。

この本、すごく楽しみなのである。正式発刊日前に予約分を発送してもらったのである。なのにいままで手を着けていない。他の方の感想も一切開かないようにしている。

情報を入れない状態で落語会の感激を書いておきたかった。たぶん、読んでしまったら、今の感想なんて恥ずかしくて書けないと思ったから。書いてからでも恥ずかしいと思うが、そこは本質がMなので。

さ、心変わりしないうちに「公開」してしまおう。