ベルリン・ミッテ区の平和の少女像を守ろう!ドイツは日本の歴史修正主義に加担するな!
連載・いまベルリンでは 金津 まさのり(ベルリン在住)
(画像は6月19日「紛争時性暴力廃絶のための国際デー」集会で、花と蝶のメッセージに覆われた少女像)
ドイツのベルリン・ミッテ区の「平和の少女像」が、今年9月で撤去される危機に瀕している。
周知の通り、この像は旧日本軍「慰安婦」被害者をかたどった記念碑であり、2020年9月28日に設置されてから、今年で4年を迎える。
当初から日本政府の圧力はすさまじかった。設置直後の10月に「日本に対して国家、地域、そしてベルリンにおいても苛立ちを与える」ものだとして、撤去命令が区から出されたものの、市民からの広い連帯と抗議の結果、撤回を勝ち取った。さらに同年12月には、恒久的な設置を求める決議が区議会で賛成多数で可決された。当初の設置期限(延長期間を含めて2年間)が終了を迎えたのちも、常設に向けた動きが進められているところだった。
しかし今年5月に、ベルリン市長カイ・ヴェーグナーが訪日して、上川外務大臣と会談した。5月16日、突如として、「ベルリンで物議を醸している慰安婦少女像について、解決の見通しを抱いている」「女性に対する暴力に反対する記念碑の存在は支持するが、一方的な表現はあってはならない」(ベルリン市長事務局)との報道発表がなされた。
その後、ミッテ区長シュテファニー・レムリンガーが区議会教育文化委員会で、「9月には撤去を計画している」と発言し、事態は緊迫している。
歴史的公正に「一方的」などない
そもそも、少女像とその碑文を、「一方的」だとする姿勢が極めて問題だ。旧日本軍による性的奴隷制度である「慰安婦」問題について、加害者側の日本が政府レベルで「強制はなかった」「解決済みである」と強弁し、客観的事実と被害者の声を無視し続けていることこそが問題だ。ベルリン市長・区長の態度は、日本の歴史修正主義に加担している、と言わざるを得ない。
少女像は、「慰安婦」問題に限らず、戦時性暴力の問題を広く記憶するための記念碑として建てられ、事実そのように機能している。この4年間、像の前で数多くの集会やイベントが行われてきた。
一例は、昨年と今年の6月19日に行われた「紛争時性暴力廃絶のための国際デー集会」だ。スーダン、エチオピア、ヤジディ、アフガニスタン、フィリピンなどの世界各地にルーツを持つ女性たちが、経験や思いを共有する場となってきた。
区は、少女像の撤去後に性暴力問題に関する「普遍的な記念碑」を建てる予定だとしているが、いま現在すでに少女像は普遍的な連帯の場所となっている。撤去は、これまで多くの人々が築き上げてきたものを傷つけ、破壊することに他ならない。
問われる「記憶の文化」
ナチスによるホロコーストの記念碑は、ベルリンを含めて至るところにあり、多くは市民によるイニシアチブで建てられ、維持されてきた。
こうした取り組みは、ドイツ市民社会では「記憶の文化」と自負を持って語られ、日本の左派や市民運動の側は「学ぶべきもの」として捉えてきたように思う。ベルリンにおける少女像の存在も、その延長線上にあると理解することもできる。
その一方で、「なにが記憶されるべきか」という問いは、常に現在のものとしてある。ドイツ帝国によるナミビアの植民地支配については、未だ補償面でも解決されておらず、記憶する取り組みも圧倒的に少ない。ケルンにおけるアルメニア人虐殺記念碑は、トルコからの圧力により、何度も撤去の危機にさらされている。
この数年はイスラエル「建国」によるパレスチナ人追い出し・虐殺を記憶するナクバの日デモが、「反ユダヤ主義の恐れがある」として禁止された(今年は実行を勝ち取った)。さらに昨年10月からのパレスチナ連帯運動へのすさまじい弾圧は、長年にわたるイスラエルによるパレスチナ占領と暴力の記憶の抑圧・抹消に他ならない。
これらの動きが、ドイツの国家的利害によって多分に動機づけられているように、ヴェーグナー市長が東京で少女像について「解決」と述べたのは、日独が経済・軍事協力を深めつつある現実と表裏一体のものだ。そこにあるのは、植民地主義・家父長制の暴力により踏みにじられてきた女性たちの苦しみを記憶し、さらに現在に目を向けようとする、少女像が体現している「記憶の文化」とは程遠い。
右傾化するベルリン市政とドイツ
今回、日本政府からどんな圧力があったのか、定かではない。ただ、市政・区政の撤去の動きの背景には、おそらくベルリン市政の右傾化がある。
ドイツ全体で極右勢力が台頭しているが、ベルリンでは、他地域より左派が強い。しかし昨年2月のベルリン市議会選挙の結果、7年続いたSPD(社民党)、同盟90/緑の党、左翼党による左派連立政権が崩壊した。
同年4月、CDU(キリスト教民主同盟)とSPDの中道連立政権が発足した。少女像については旧連立政権はいずれも支持していたが、現在は右派CDUのカイ・ヴェーグナー市長の下、同党の影響力が強まっている。
ヴェーグナーはパレスチナ連帯運動弾圧にも極めて強硬姿勢だ。警察が暴力的弾圧を行うたびに、ソーシャルメディア上でいちいち感謝の念を述べるような人物である。またパレスチナ連帯を理由に、アフリカ系のアーティストを中心とし脱植民地化・クィア・フェミニズム・移民をテーマとした文化芸術センター「Oyoun」の予算を打ち切った。1990年から活動している女性センター「Frieda」にも閉鎖命令など、抑圧が吹き荒れている。
インフレ・家賃高騰で人々が苦しい生活を強いられる一方で、警察権力が肥大し、さらに文化・芸術・教育団体へのコントロールと圧迫が強まっているのだ。極右AfD(ドイツのための選択肢)が政権をとらずとも、中道・リベラルを含めた政治の全体が右へ右へとシフトしつつあるのが、ベルリン、そしてドイツの現状だといえる。
少女像を守るために
事態は深刻だが、これまで少女像に関わってきたさまざまなグループや個人が像を守ろうと動いている。5月24日には、ベルリン赤の市庁舎前で日本出身者の有志主催で抗議集会をし、数日で準備したにも関わらず、70名の参加で力強い集会となった。
また現在、ミッテ区議会に区民1000名の署名を集め、像存続を求める議案を提出しようと署名活動をしている。ミッテ区長とベルリン市長宛のオンライン署名も継続中だ。こちらは世界中誰でも署名できるので、下記からぜひ署名を。https://www.change.org/p/ベルリンの-平和の少女像-アリ-を守ろう
【お願い】人民新聞は広告に頼らず新聞を運営しています。ですから、みなさまからのサポートが欠かせません。よりよい紙面づくりのために、100円からご協力お願いします。