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今の閉塞感の原因ー2010年代を総括し、これからを展望する。思想家・酒井隆史さんインタビュー

 ガザ虐殺に抗議し、米国の大学に大規模キャンプが作られた。日本の大学も同様だ(4面参照)。ただ規模、人数、学生・教員の共感や支援は米の方がかなり多い。度々表れる違いは、抵抗や直接行動への社会の理解の違いだ。だが直近の日本でも、11年原発事故や15年戦争法案反対で国会前車道を占拠した経験がある。問題は、誰がどう言語化や総括するかだ。「リベラル知識人」や「統制的な主催者」が「穏健・中道・改良的」な方向へ回収し、その方がまともで賢い言動と思われたのではないか。それが今の閉塞感の原因ではないか。昨春出版した『賢人と奴隷とバカ』(亜紀書房)でそう包括的に指摘したのが、思想家の酒井隆史さんだ。酒井さんに2010年代〜現在の総括と変革への道を聞き、語り合った。(編集部:園、サパタ)

運動内議論や知的活性化が起きず

本を出し、2010年代を総括した動機は?

酒井…『人民新聞』で本書をとりあげて頂くのは嬉しいです。10年代に全くマイナー化する自分の話でも、時々とりあげてくれていましたから。
 10年代の日本社会は、右傾化の歯止めがふっとんだ転換点だと感じていました。そういう事言う?みたいな言説がどんどん出てきた。しかも「どうせガンガン批判されるだろうな」と思いきや、すいすいまかり通っていった。本書はそれに打ちのめされながら、一体どういう事だと考え、言語化する事で立ち直るために書いた感じです。
 10年代は、2011年の大震災と福島第一原発の爆発から始まったと言えます。世界的には同年に、アラブの春からオキュパイ運動という大衆反乱の相乗効果が生じました。この動きとその反動が、10年代を規定しています。
 でも日本では、11年の初発の大衆的昂揚が言説や知的探究の活性化に結びつかず、この世界的危機の中ですら「論争」がない。かわりにSNSでの罵りあいや、「安倍支持者は反知性主義」のような的を外している、しかも差別性すらはらんでいる物言いが批判的言説の主流になっていきました。
 運動の高揚時には知的創造性も弾みがつくという、これまでの日本でも共有されていたダイナミズムが消えたようにもみえたのですね。さらに本当の問題は、そのように10年代を見ている人がほとんどいないようにみえることです。なら自分がこの10年間の考えをまとめるだけでも意味があると思い、本にしました。

編…罵り合いを生むようなSNS・ネットの全面化が、言論を後退させた? 
酒井…いや、そんな事全然ないと思います。10年代の世界では、ウェブでは深い危機感を背景に、根源的な批判意識に根ざす良質な言説が多数現れた。しかも主体は若い世代である事も多く、参照先が増えていった印象です。明らかに10年代の大衆反乱との相乗効果です。
 これは一番目立ってるから挙げますが、英語圏では若いソーシャリストたちのメディア「ジャコバン」誌が成功し、韓・仏・伊・スペインに支部を創設しました。彼らはウェブ活用もとてもうまい。そして最近、創設者のピーター・フレイズはアメリカの伝統ある「リベラル」系メディア「ネイション」誌の社長にまでなりました。これは10年代をその社会がどう生きたかを示唆しています。自分の立ち位置は「ジャコバン」誌と同じではないですが、ネットの問題でなく、それをどう使うかの問題です。

知識人や争点 左派からリベラルへ
若者運動をいびつに囲い込み 異論を封殺

編…そんな10年代に増えた「リベラル知識人」とは?

酒井…いつも不思議ですが、少し前までは左派の多様なポジションのグラーデーションで語られていた争点や課題が、いつの間にか「リベラル」として語られるようになりました。しかも昔からそうであったように話が進んでいます。
 よくあげる例ですが、反政権のリベラルの人たちが天皇を持ちあげる現象が、天皇が代替わりを表明した10年代に顕著化したでしょう。その問題に対して、「リベラルなのに天皇主義者なのはおかしい」と批判がぶつけられる。いや、リベラルで天皇主義者はまったく矛盾しないでしょう。何がなんだかという感じです。
 でもこういう語彙体系の暗黙のうちの変化という形で、10年代は左派総体をゲームの外に排除していったようにみえるんですね。つまり天皇制も、資本主義も国家も疑わない。そのなかでどう場所を獲得するかだけで、ゲーム自体を疑うような言説や行動を排除していく。リベラリズムという呼称が蔓延していったのは、そのゲームを受容して、そのなかで自分の立ち位置を確保しようとする欲求のようにもみえました。

編…10年代の反戦争法若者運動のシールズらは、①「戦後日本は平和だった」という認識、②学内で運動はせず学生自治を破壊する大学は問わない姿勢、③警察や右翼と対峙しない立場、などが特徴的でした。 ①は、大学人や日本社会が根源的変革を必要とせず、②の大学統制に加担や沈黙していても許されるので歓迎された。③は、「首都圏反原発連合」や「しばき隊」の先行する運動の年長者が歓迎し、また年長者に教えられたとも言えると思います。

酒井…そうした運動があるのはいいのですよ。ここまで保守化した社会ですし。でもどんな運動だって変わるでしょう。運動ではあちこちで対話が起きますし、それが行動の中で色んな人を色んな風に変えていく、これがまた運動の大切さだと思います。だから大きな運動が起きると、知的活性化もみられるんです。10年代に日本でそうした活性化が起きたと思えません。
 なぜふつう運動が高揚すると知的にも活気づくかというと、それまでのフレームを疑い、根源的に問う機運や要請が生まれるからです。それを前提にいうと、いまあげられた言説や立場が批判されるのも、日本社会の蓄積してきた運動や言説の蓄積の膨大さからしても当たり前だと思うんです。
 もちろん、高みからバカにしたり昔の武勇伝をふりまわして、頭ごなしに否定するのはナンセンスですよ。でもそれよりもっと問題なのは、今言われた「運動の年長者」をはじめとして、保護者のようにふるまう人たちが続出したことですよね。
 それに、こういう人たちは困難ななか立ち上がった「若者」を称えます。しかし、その直前もそれと並行しても立ち上がっていた「若者」、しかも滅茶苦茶な弾圧を受けていた人たちは数多くいます。
 そもそも何らかの課題への行動では、年齢がどうだろうが誰もが対等であるのが原則だし、それがこの「忖度ヒエラルキー社会」のなかで運動がつくることのできる最小限のオルタナティヴじゃないの? でもそのような当たり前の批判も、しかも礼儀も言葉も尽くしたていねいな批判ですらも、運動当事者というよりその保護者のようにふるまう学者や活動家による、しばしば恐ろしいほどの罵詈雑言で抑圧される傾向がありました。あれは本当に驚きました。
 その驚きを倍加させたのが、2000年代前後にあれだけ「ポストコロニアリズム」の言説が流行していたことです。そのとき、ナショナリズムや戦後民主主義擁護の言説は散々批判されました。ところがそうした人たちが、10年代の運動のなかの言説傾向に批判的に介入することはあまりなかったと思います。沈黙ならいい方で、批判を抑え込む側に関与していることもありました。
 悲しいかな、政治学者の丸山眞男が『日本の思想』で言ったように、日本では時勢によって「思想性」なんて自由自在なんですよね…。
 内部批判を抑え込み、罵詈雑言で排除する指向性は、「内ゲバ」の論理と紙一重です。SNS社会独特のオープンさの中で、「公開処刑」といった言葉が平然と飛び交ってましたよね。でも、あそこでちゃんと批判的対話が開かれていたら、今どうなっていたか。かなり状況も違っていたと思います。

「土着の力」が生む誠実さと直接行動

編…自分は大分県出身なので、「土着の力」に触れるとそのように浮足立たなくなると感じます。対して首都圏の運動は国会前に集まりすぎたことで、足元の問題や運動から浮足立って、流行の言論拡散、メディア映り、人数集めにはまりすぎたのではないかと思います。関西の関電前や戦争法デモも、首都圏と同じスタイルで下請け化し、それまでは関西は独立していたので、驚き、呆れました。
酒井…メキシコのサパティスタ運動、北米のパイプライン反対闘争、全て先住民が主導し、都市の活動家や若者が連帯して生き方や考え方を学ぶという流れがずっとありますよね。私たち自身もその流れの中で色々考えてきたともいえますし。
 『賢人と奴隷とバカ』でも書きましたが、08年に韓国のろうそくデモに参加し、良い意味で仰天しました。まず警察の動向を彼らはネットを通して知り、それを市民に拡散するんです。そうしてどこに集まるか個々人が決める。そうすると、まず横断歩道を女子高生とおぼしき人たちが赤青関係なく何度も往来してるんです。そうする事で彼女たちは交通封鎖をやっていたんです。そこにまた人々が集まってきて、様々な抗議行動をくり返す。
 そうしていると警察がきて、またわーっと散る。散る所も町のなかに共有されたスポットがあって(マクドナルドなども含まれますが、お店も多分暗黙に認めてる)、そこになだれこむ。民主化闘争の歴史から継承されたタフさもあるんでしょう。

群集写真の下の攻防こそ創造的

編…日本の国会前でも上空写真の下では、路上解放を防ぐ鉄柵をいかに突破するか、様々な戦術が駆使されていました。とても楽しかったです。

酒井…そうした下部での様々な策略に充ちた戦術があって初めて、韓国の官邸や日本の国会を取り囲む群集を上空からみた時の、スペクタクルな光景が生まれる。でも、そんな上からの光景のみ重視する目線は、支配者のものと変わりません。

編…鉄柵突破とは逆に、主催者が警察のいる側から参加者を監視していたことがあり、支配者目線化する問題を強く感じました。戦争法採決2日前=最大の局面では、国会手前に行かせない機動隊との攻防で13人逮捕されましたが、その時主催者は後方で無関係なコールをやり続け、逮捕への抗議もなかった。国会の中ですら、参議院の議長を部屋に閉じ込めて議会で採決をさせない、等の直接行動していた最中です。
 そして、採決直後からコールが「選挙に行こうよ」に変わり、野党の共闘が強く打ち出されて、現在に至ります。しかし現場の主役がデモ参加者から政治家や応援団に変わる。直接行動や原則的な議論は、「デリケートな共闘を壊す」と回避される。リベラル有名人らのただの安倍批判が重宝される。そんな傾向が強まり、革命や解放への可能性は収縮したと思います。

酒井…2010年代の日本で一番ぞっとしたのが、「いじめ」のような心性が例外なく拡散してることです。たとえばジャニー喜多川の性加害問題での記者会見で、ちゃんと追及しようとする記者を別の記者がヤジるといった現象があるでしょう。
 競争相手でも立場が違っていても、報道の自由を脅かすような動きには報道機関は連帯して抗議するといった「連帯」精神が消えてます。あいつらは「まじめ」なオレたちと違います、逮捕してください、みたいな。ここに10年代のネトウヨ的精神性が普遍化したような現象を感じるんです。『賢人と奴隷とバカ』では、「エキセン(過激中道)現象」として分析してます。

「自分はバカではなく賢人だ。ああ王よ、認めてくれ」

 同書では、冒頭に魯迅のパロディをあげてますが、そこでも(「良心的」)賢人たちは、自分たちが弾圧されそうになっても、弾圧そのものに抗議するのではなく、「オレたちはバカとはちがう」と叫んでいるんですよね。「自分たちはバカではないからやめてくれ、バカみたいに弾圧してもいいヤツと同じに見ないでくれ。ああ王よ、オレたちを認めてくれ」という。同じゲームに参加しない、あるいは忠誠を誓わない人間は、どんなにいじめてもいいという心性です。
 魯迅を研究した思想家の竹内好のいう、日本社会の弱さである「優等生文化」がここにきて極まっている感じです。現代日本を論じている山ほどある言説のほとんどより、竹内好を呼んだ方が現代日本のありようもよくわかると思います。(前編終わり)

後編:左傾化する今 破局に備え
別の世界を構想しよう

編…前編では、10年代の知的言説が左派からリベラルに継ぎ目無く移行した問題を聞きました。それは現在も起きています。 最も目立つから挙げますが、『人新生の資本論』でマルクス主義の観点からSDGsを批判して時代の象徴になった斉藤幸平氏が、今や企業がSDGsや社会貢献を演出する際の広告塔になっているように思います。そのようにリクルートから三井化学まで企業やマスコミが彼を企画し、彼もどこにでも出る。批判していたはずの資本主義の延命に加担しているようで、本紙も4年半前に新年インタビューをしたので、どこかで話ができなかったか自省もします。

酒井…ううむ、よもやそんな事態とは知りませんでした。ただ私自身も、斉藤さんがある大新聞で星野リゾートの社長と対談して、釜ヶ崎のジェントリフィケーション(再開発による排除)をポジティヴに称えているのをみて腰を抜かしました。そんな「脱成長コミュニスト」は、世界中どこを探してもいないでしょう…。でも、そういう奇妙な現象が起きるほど日本は、土台そのものをカッコに括り、そこで議論を作る基盤、そこから別の土台を想像する人々の基盤が痩せ細り、閉塞してると思います。だからマスコミが代替してしまう。

編…ここでも海外との落差が激しいと。
酒井…10年代以降、国外への知的関心、外へ向かう熱意が薄れて、運動も言論も日本語圏で閉じる事に拍車がかかっているようにみえます。昔は皆必死に海外文献を翻訳して読み、しばしば対話を試みてきました。
 たとえば本書では、ブラジルでのリオ五輪などへの大衆蜂起、デモで直接行動する欧米のブラック・ブロック、黒人や先住民の運動からブラック・ライヴズ・マターに至る中での監獄解体論など、2010年代の世界の諸運動に触れています。90年代には、メキシコのサパティスタ民族解放軍は、権力を奪取するのではなく、権力が手出しできない自治区を作りました。

シリア「ロジャヴァ」に注目を

 その闘いは比較的知られているでしょう。彼らは、新型コロナに対して先進国の左派がいまだ混乱しているなか、自治区内での厳戒態勢を宣言し、コロナの知識や情報を共有し、闘争を放棄することなく隔離や予防的閉じ込めの対策を行なうことを、世界に推奨しました。それは垂直な権威主義なしにパンデミックに対応する、一つの可能性の提示でした。
 サパティスタの時はまだまだ日本語圏でも関心が寄せられ、私たちも影響を受けました。しかし、共通点の多いシリア北部~北東部のクルド人自治区「ロジャヴァ」の闘争が、日本で注目が低いことが気になっています。
 女性が中心的な役割を担い、自治・解放のため武器を取り、シリア政府軍と闘っています。政治的自由、平等な関係性、警察や軍隊の廃絶を、宗教や国家を超えて実践し、ロジャヴァ憲法も公布しました。
 しかしその実験は、世界で最も暴力の渦巻く場所で、かつ大国の狭間で風前の灯です。そのような苦境の中、世界中から連帯する人々が「義勇兵」として訪れ、21世紀の「スペイン内戦」とも呼ばれています。

誰にでもある「爆発的部分」

編…欧州にはシリア・中東からの移民が多いから、注目度も高まりやすいと思います。
 それでは今後、私たちは解放や変革に向けどうしたらいいでしょうか?

酒井…私に言えることはほとんどありません。でも、まず今私たちがどのような世界にあるのかを問うことは、とても大事だと思います。『賢人と奴隷とバカ』を公刊したのは、2010年代という大事な10年間について、それがほとんどなされず、なされていても、それがとても浅いものにみえたからです。こうした短く区切られた時間を巡って論争がなされることで、私たちもそれまでの時代的流れの感触をえてきたと思います。
 その不在自体が、いまどんな世界にあるのかを根源的に問わない日本語圏の状況を表しているのではないか。それが、前回述べた「安倍支持者は反知性主義」などの批判に象徴される、「愚民論」のような場当たり的なショック療法的物言いが流行した背景だと思います。
 日本の知的言説の多くは、「世界は変わらない」「諦めて適応しなさい」「あなた方は無力だから」とメッセージを発し続けていると思います。一般的には、知性をひけらかし、何でもソースを問うて他者のマウントを取る、言い負かすことの推奨です。
 でも一方で、そんなメッセージを甘んじて受け続けることを、人々は嫌がり始めているようにもみえます。不安の中で、どんな世界の中にいるのか、を問うていると思います。 それに応じられていないため、「閉塞度指標」のようなものがあれば日本は世界でもトップクラスでしょう。こんなとき「意識ある人たち」は往々にして、人々の反応を「保守的」に予想しがちです。どうせこうなる、と枠づけし、それで自らの発想にも枷をかけがちです。少し意地悪な見方をすると、自分の発想がもともと狭いから、人々もその枠を外していかないよう、どこかで怯えているような印象もあります。私たちの中の検閲機関です。
 でも日本の近代史をみても、状勢が動くとき、いわゆる「大衆」が「インテリ」を超えてより「ラディカル」になることが生じます。「賢人と奴隷とバカ」の「バカ」とは、誰にでもある「爆発的部分」です。私たちは行きづまりを打開するアイデアを生みだす時、澱んだ状況を突破する行動を提起する時、または集団で意表をつく創造性を発揮するような時、「バカ」的部分を活用しています。
 このかんの「知性」や「教養」信仰の背景には、日本社会が「バカ」的部分を異様に警戒し、封じてきた流れがあるように思います。それを少しでも変えたい意図を「賢人と奴隷とバカ」の寓話に込めています。
 人々または「日本人」は、本性から「奴隷的」なのではありません。そう見えるとしたら、「バカ」的部分をあの手この手で抑制し、封じ込める作用や戦略があるからです。そうしたことがどんなものか、分析するべきです。それが、この極度の閉塞を突破する最初の「行動」になると思います。 (了)





 

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