【書評】水俣と3・11を見つめた作家たち/「あの日からの或る日の絵とことば」
編集部 矢板 進
見えないものを描くということ
昨年12月に、水俣に住んで水俣を撮りつづけた写真家・芥川仁と、京都大学准教授・藤原辰史の対談イベントに出掛けた。芥川は当時、水俣の写真といえば劇症の患者を撮ったものが多いなかで、あえて水俣のひとの生活を撮った。
ひとりの老女が太刀魚を数匹、鷲掴みにして立っている写真が有名だ。芥川はその写真について「普通、太刀魚をこのように掴まないですね。それは水俣のひとと海がそれほど、近い関係にあったということを顕しているんです。そういう身近にあった海というもの、魚を食することによって、身体を蝕んでいったということ。水俣のひとと海との関係を壊してしまった」というような解説をした。
「生活のなかにある水俣病患者の佇まいやふとした表情のなかに、水俣病を感じ取ってもらいたい、と思って撮っていた」と話した。
表面的には顕われないもの。写真をじっと眼を凝らすことによって、または写真を頭で見るというような、そこからなにを受け取ろうかという思考の働きが伴わないことには、芥川の写真を読みとることはできない。
芥川は、「水俣に向き合っていると、自分の生きざまが問われる」とも言っていた。しっかりと生きようと思わされる、だから水俣と関わるのだ、と。「そうした自分の生き方、水俣に関わる姿勢が自然と写真に顕われる」と話した。
震災と向き合ったのは被災者だけではなかった
ぼくは絵を描けるひとに対して、憧れを持っている。絵を描くということは、基本的には何か眼に見える具象物を描くわけだが、心の動きというものがどのように介入するのだろう、と思う。芥川の写真のように心と作品は、あるいは心と具象というものがどのようにつながるのだろうと思う。
偶然か、なにかが引き合わせたのか。ふとしたことである本に出会った。『あの日から或る日の絵とことば』という本だった。東日本大震災をテーマとした絵本である。
編集者である筒井は、震災以降、「絵本の傾向が変わった」と言う。この本は32人の絵本に携わる作家が絵とエッセイを寄稿している。どの作家も「3月11日、なにをしていたか」でエッセイは始まる。実に多様でそれぞれが3・11に対して何らかの影響を受け、立ち止まり、思いを巡らせているのが解る。
絵本作家だからか、モノという具象に注目して幼少期などの記憶をたどっていくひと。逆に見えないものの存在を強く感じるようになったというひと。日常と非日常の距離について考えるひと。まだあの大震災という現実が自分にとってなんだったのか、解らないまま抱えているというひと。
そのような言葉に対しては当事者でないひとだって解らないのだから、被災当事者はもっと解らないはずだ。それよりも立ち止まる隙もなく、走らざるをえなかった現実に想像力を働かせたいと思う。
「いつもならタッチがざわついてしまうのにこの絵を描くときは落ち着いて、どんなに手を乱暴に動かしても意に反して静かで沈んだ絵ができていく」と放射能汚染を危惧するなかで描いた絵について振り返る作家もいた。
描こうとするものへの向き合う姿勢や、感情というものがそこに顕れるのだとしたら、それは芥川の写真についての考えと重なる。乱暴に動かしても意に反して鎮まっていく、という創作行為のなかのプロセス。作品との向き合い方として、一瞬を捉える写真とはまた異なった体験がそこにはあるのだろう。
(人民新聞 24年1月20日号掲載)