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【衆院選】「ざまぁみろ」─大阪10区の辻元清美落選は蓄積された地元の運動を軽んじた結果

浪花の歌う巨人・パギやん(趙博)

 辻元清美は維新の新人・池下卓に敗れて比例復活もならず。議員バッジを外した。「秘書給与流用事件」で2002年3月に衆議院議員を辞職して以来、二度目の永田町撤退である。私は内心で「ざまぁみろ!」と叫んだ。と同時に、どうしようもない無力感に襲われた。
 元々、縁もゆかりもない高槻から立候補して彼女が国会議員になれたのは、大阪の労働運動や市民運動、そして何よりも、戦後営々と築き上げられてきた地元高槻の様々な民主主義運動の合意と絶大な支持があったからこそなのだ。一貫して選挙参謀を務めた故F氏がいなかったら、〝社民党国会議員・辻元清美〟は誕生していなかっただろう。これは、われわれ関係者の間で周知の事実である。 だからこそ彼女は、連帯労組や全港湾大阪地本、あるいは港合同など、左派組合の旗開きや大会には必ずと言っていいほど出席したし、反戦・反差別・反原発などの集会にも常連として顔を出していた。沖縄の米軍基地問題でも、沖縄環境ネットワークのM氏から最新情報が真っ先に送られて来て、それを元に彼女が国会で質問することができたのだ。
 ところが、民主党に寝返って以降、辻元は「われわれ」の側にいっさい来なくなった。「ざまぁみろ!」が不謹慎であることは重々承知、しかし、私の正直な心情である。
 私は、辻元を弾劾するために拙文を書いているのではない。むしろ、今回の敗北を辻元一人の責任に帰することは断じてできない、と言いたい。 どのような経緯を辿ったかは別にして、大阪の運動から生まれた議員が消えたということは、運動そのものの敗北が宣言されたことを意味する。だから私は、無力感に襲われたのだ。当人のおごりや過信が敗北を招いたことは事実だろうが、では、そのおごりや過信は何故生まれたのか? その総括が徹底してなされない限り、大阪の維新地獄はこれから先も続くだろう。それはやがて、日本全国へと波及するに違いない。その点でも、大阪の活動家諸君(私も含めて)の責任は重大なのだ。

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