第2話 はじめてのがんセンター
百均の杖を使って歩くようになってから2日後、ようやく紹介状を渡されていたがんセンターにやってきた。この日から自分の暗黒の9か月が始まるのだった。
3週間後、大学剣道最後の大会が控えていた。その大会の後に手術してもらえればいいやという気持ちでがんセンターの受付に行った。
まずは、採血と採尿。
採血は20歳になっても怖いものだ。針が血管の中に入るなんて痛いに決まってるじゃないか。チクッとされた。
その後、レントゲンとCTを撮った。がんセンターのレントゲン室はとても大きかった。小さめのコンビニくらいの大きさはある部屋だった。CTはドーナツみたいな機械の中にバンザイした状態で寝かせられた。
その時、造影剤というものを注射するのだが、担当の看護師さんに
「勢いよくお薬入りますので、具合が悪くなったら言ってくださいねー」
と言われた。
え?勢いよくお薬入れるって何?ふつうにゆっくり入れてくれよと恐怖に襲われた思い出がある。無事だったのでよかった。
そして夕方になり、ついに診察室に呼ばれた。
静かでおとなしそうな先生がそこにはいた(後の主治医)。
レントゲンの写真を見ながら話をされた。
「骨が半分溶けてます。5日後に組織を取る生検手術を行います。」
と言われた。腫瘍らしきものに侵食されて骨がなかったらしい。
「生検手術はこういう針で骨をゴリゴリ削って中の腫瘍を取り出す手術です。あと、骨折したらがん細胞が散らばって手術ができなくなる可能性があるので、今日からギプスを巻いてもらいます。」
おとなしそうなのに、なかなかエグいことを流ちょうに話す先生だなと思った。
後ろのほうから颯爽とやってきたもう一人の先生がせかせかとギプスを巻いて帰っていった(こちらものちの主治医)。
自分は少しずつただ事ではないことを悟っていった。
思えば、開口一番から『悪性』の話しかされていない。
こっちはネットで調べまくって、90%は良性だって知ってるんだ!悪性だなんて縁起でもないこと言わないでほしい!と思い聞いてみた。
「ネットで画像を見ていると、これと似たやつがあって、良性って書いてたんですが、良性っぽいですか?」
と。すると、
「骨膜反応って言って、ここに三角形ができてると思いますが、これは悪性の時に見られるものです。」
と言われた。その瞬間、自分の中の何かが崩れた気がした。洞窟の中におなかがすいたライオンがいて、その中に放り込まれ、逃げ道をすべてふさがれたようなどうしようもなさを感じた。
逃げられない恐怖。逃げても死ぬ恐怖。
誰しも時々、死ぬときってどんな感じなのだろうと考えたことがあると思う。でも、それはまだまだ先のことで、フィクションの世界を考えるような一種の幻想だと思っていた。自分事ではないこと。
しかし、それを実感してしまったとき手が震えた。まだまだ食べたいものも、行きたいところも、やりたいこともあるのに。
呆然としながら、抗がん剤治療がどうのこうのというパンフレットの説明をされた。髪が抜ける、吐き気がでる、便秘になる、味覚障害、精子がなくなる。情報過多だった。
その後、閉館時間を過ぎていたこともあり、裏口からがんセンターを後にした。帰り道、何を考えていたか、隣にいた母と何を話したか全く覚えていない。ただひとつ、
「もうやるしかないんじゃない?」
と母から言われたことだけ覚えている。
そうだよな。やるしかないよな。としか考えられなかった。とりあえず5日後の入院に備えようと考えるしかなかった。
次回『第3話 生検手術』です。よろしくお願いします。