急行「たざわ1号・陸中1号・むろね1号」(1978年8月)
1978年10月の交通公社の時刻表から。
まだ東北新幹線が開通しておらず、上野から青森までは特急で9時間を要していました。
東北では特急・急行が多数運行しており、分割・併合を行う多層建て列車も多数運行されていました。そのうち、分割・併合を何度も行っていた、列車についてご紹介します。
急行「たざわ1号・陸中1号・むろね1号」です。
仙台
東北本線のダイヤ。
(交通公社の時刻表 1978年10月号より)
3つの列車が併結されています。この時点でかなり素敵な予感です。
それぞれの行き先は↓の通りです。
- 急行たざわ1号 秋田行き(田沢湖線経由)
- 急行陸中1号 宮古行き(釜石線・山田線経由)
- 急行むろね1号 盛行き(大船渡線経由)
行き先が違うということは、途中で分割をします。
一ノ関で「むろね1号」を分割し、花巻で「陸中1号」を分割します。
図にするとこんな感じです。
7時25分、仙台を発車します。
一ノ関
仙台を発車して1時間半で、一ノ関です。8:52到着です。
ここで「むろね1号 盛行き」を分割して発車します。
時刻表です。
(交通公社の時刻表 1978年10月号より)
分割だけでなく、盛から来て8:48に到着していた「急行さかり 盛岡行き」(盛〜一ノ関は普通列車)を併合します。盛行きを分割して、盛から来た列車を併合します。
8:56に編成をリニューアルした多層建て列車が盛岡方面へ発車します。
- 急行たざわ1号 秋田行き(田沢湖線経由)
- 急行陸中1号 宮古行き(釜石線経由)
- 急行さかり 盛岡行き
急行むろね1号はここで分かれて、大船渡線に入ります。
花巻
さらに1時間弱走って、花巻です。9:46着です。
ここで「陸中1号 宮古行き」を分割して発車します。
時刻表です。
(交通公社の時刻表 1978年10月号より)
またもや分割だけではありません。
釜石から来て9:37に到着していた「急行はやちね2号 盛岡行き」を併合します。
釜石方面(宮古行き)を切り離しておいて、釜石から来た列車を併合します。
9:54にさらに編成をリニューアルした多層建て列車が盛岡方面へ発車します。
- 急行たざわ1号 秋田行き(田沢湖線経由)
- 急行さかり 盛岡行き
- 急行はやちね2号 盛岡行き
急行陸中1号はここで分かれて、釜石線に入ります。
盛岡
10:20、盛岡着。
ここで「さかり」「はやちね2号」を分割します。
時刻表です。
(交通公社の時刻表 1978年10月号より)
10:27に「たざわ1号」のみになった列車は秋田方面へ発車します。
- 急行たざわ1号 秋田行き(田沢湖線経由)
大曲
12:01、大曲着。終点の秋田も近づいてきました。
時刻表です。
(交通公社の時刻表 1978年10月号より)
新庄方面から来ていた「千秋1号 青森行き」が先に到着しており、併合します。
結局、「たざわ1号」が単独で運行していた区間は田沢湖線内(盛岡→大曲)のみでした。
12:04に再び多層建て列車となった列車が秋田へ向かって発車します。
- 急行たざわ1号 秋田行き
- 急行千秋1号 青森行き
秋田
12:55、秋田着。「たざわ1号」はここが終着です。
青森まで行く「千秋1号」が「たざわ1号」を残して出発していきました。
さて。
大曲から併合した「千秋1号」がどこから来たのかをたどってみましょう。
「千秋1号」は仙台・米沢から青森行きの急行です。
途中、新庄まで仙台・米沢から羽後本荘行きの急行「もがみ」を併結しています。
時刻表です。
(交通公社の時刻表 1978年10月号より)
7:30仙台。。。?
再び仙台
「たざわ1号」が仙台を発車したページを見返してみましょう。
「たざわ1号」が仙台を発車した5分後、7:30に「千秋1号・もがみ」が発車しています。この2本が4時間半後に大曲で併合しているとは、このページだけでは想像もつきません。
新庄
仙台始発で陸羽東線経由で走る「急行千秋1号 青森行き」「急行もがみ 羽後本荘行き」。
米沢始発で奥羽本線を走ってくる「急行千秋1号 青森行き」「急行もがみ 羽後本荘行き」。新庄駅で合流します。
ここで分割・併合が行われるわけですが、まずは時刻表をみてみましょう。
ここから読み取れるのは↓です。
A. 仙台から来た「千秋1号・もがみ」が9:57に到着。
B. Aを分割。それぞれ「①仙台系統 千秋1号」「②仙台系統 もがみ」と呼ぶ。
C. 米沢から来た「千秋1号・もがみ」が10:03に到着。
D. Cを分割。それぞれ「③米沢系統 千秋1号」「④米沢系統 もがみ」と呼ぶ。
E. 「①仙台系統 千秋1号」と「③米沢系統 千秋1号」を併合。
F. Eは、10:14に奥羽本線に入り、大曲に向けて発車。
G. 「②仙台系統 もがみ」と「③米沢系統 千秋1号」を併合。
H. Gは、10:12に陸羽西線に入り、羽後本荘に向けて発車。
わかりづらいので図にしてみましょう。
この作業は「新庄スワップ」と呼ばれるようです。(リンク)
なお、こういう運行にしていた理由はよくわかりません。(調べても見つからなかった)
仙台発の陸羽東線・奥羽本線経由の青森行き「千秋1号」と、山形発の陸羽西線経由の「もがみ」が新庄駅で乗り換えられるようなダイヤを組む、という手もあるような気もしますが。。。
まとめ
登場した列車をすべてまとめてみました。
今は急行もなくなり、東北を走る優等列車も仙台以北では、「つがる」と「いなほ」のみとなっています。
当時であれば、周遊券を使った乗り鉄旅を楽しめたことでしょう。
新幹線や高速道路の開通で便利になり高速化された今は、当時の時刻表をみて思いを馳せるのみです。
こうして、歴史を読み解いていくことを楽しんでいきます。