『神社のご由緒』について
お読みいただきありがとうございます!
神社、たまにはお参りされてますか。観光地にもなり人でにぎわっている神社、地域の丘などにあるひっそり静かな佇まいの神社、住宅街にちょこんと建っている小さな祠。家と家の間に突然建っていたり、お寺と一緒になっていたり(そもそもお寺と神社の違いが分からなかったり)、歴史上の「人物」が祀られていたり。日本人にとって神社はそこら中に当たり前にあって馴染み深いけれども、少し掘り下げて考えてみるともやもやっとなる不思議なスポットではないでしょうか。
そんな神社でお祈りをした後、境内を散策したりしてその神社の成り立ちについて思いを馳せてみてください。さらにもやっとすることうけあい。私自身も子供の頃から持っていたそのもやもや、五十路を目前にしてようやく晴れてきました。
そんなこんなで懇親会とか場末のスナックとかで「あの神社ってなんなん?」とか「こういうご利益がある神社ってどこなん?」という問いにペラペラ答えていると「へぇー!おもしろいね!」と言ってもらえたり、神社の由緒書の前で「この神様の名前、何て読むんだろうね。」と言っているカップルに読み方を教えてあげるとおもしろがって色々聞かれたりという機会に恵まれることに気づきました。
せっかくなのでもっとたくさんの人に神社をおもしろがってもらいたい、との思いから神職でも学者でもなんでもないただのオジさんの私がいろいろな神社の由緒書きを噛み砕いて解説しようとこのnoteを立ち上げました。
由緒書きを読む
神社の境内でご由緒書きを見たことがあると思います。次の画像のような案内板です。
これは伊勢市駅前にございます『世木神社』の由緒書です。
主祭神『あめのむらくものみこと???』、『度会春彦神主』え…人?神様じゃないの?というのが一般的な反応かと思います。
この由緒書は読みがなをふってくれているのでまだ助かりますが無いとまず何という神様が祀られているのかすら読むことも難しいですよね。
私のnoteではこういった神社の由緒書を分かりやすく解説しようと思っており、早速ですが次の段落で実際に解説してみようと思います。
世木神社のご由緒
度会氏とは
由緒書によりますと主祭神の天牟羅雲命とは度会一族の遠祖の豪族ということでこの辺に古くから土着していたのでしょう。
さて、どのくらい昔なのでしょう。日本書紀によると伊勢の神宮は第四十代天武天皇の頃には既に存在します。また、外宮の御祭神であらせられる豊受大御神さまが勧請されるのは第二十一代雄略天皇の時代とされていますので、それに従いますと五世紀の中頃には今の場所にご鎮座なされていたことになります。
となると天牟羅雲命の一族がこの地に居たのはもっと昔で卑弥呼と同じ頃の豪族なのかなーと古代史浪漫の空想が広がります。
そしてその子孫の度会一族はというと明治初期まで神宮の外宮の祀官を世襲していた一族です。伊勢神道 (度会神道)を起こし、神宮と庶民との結び付きを深めて神宮の発展に貢献しました。また外宮の地位向上にも努めたお家です。
産土社(うぶすなしゃ)
産土社とは地域をお守りくださっている神社のことです。今は氏神社(うじがみしゃ)に吸収されたような感じです。地域住民のいわゆる鎮守の神様のような感じでしょうか。詳しく説明しはじめると難しくなるので大雑把ですがこの辺にしておきます。
世木氏について想うこと
この辺りに住み着いて治水を司っていたということは今で言う市長さんみたいな感じだったのでしょうか。ネット検索では世木氏についての情報はぱぱっと出てきませんでした。十五世紀中葉に他の土地へ移住ということですが、その頃といえば応仁の乱の頃です。何か大事があったのでしょうか。中世史浪漫です。
まとめ
神話の時代から伊勢市に居を構えていた度会一族、ある家は神宮(外宮)祀官として、ある家は地域の長として発展していったのでしょう。その一族と地域住民を見守り続けてきた世木神社もまた建国以来二千年以上の歴史を支えてきた神社と言えるでしょう。
神社は浪漫です。
世木神社のホームページ
世木神社のホームページがございました。より詳しく正しい情報はそちらでご確認ください。
おわりに
『神社のご由緒』輝かしい初投稿は以上です。このような感じでじっくりと進めていこうと思っております。宜しければお付き合いいただけたらと思います。
またゆくゆくは「ここの神社へ行ってきて」「この由緒書を記事にして」などのお声をいただけたら嬉しいなと考えております。が、始めたばかりから欲をかくのではなくコツコツと書き溜めていこうと思います。
拙い文章を最後までお読みいただき誠にありがとうございました!
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