「神様に呼ばれる」ではなく「神様に会いに行く」
「呼ばれないといけない神社」
「神様に呼ばれる」
とか見聞きしますけど、まず基本は逆パターンです。
たとえば神社では、神職さんがご祭神をしょっちゅうお呼びされます。
お呼びするための手段が、祝詞の奏上や神楽の奉納です。
わざわざ呼び出すわけですから、普段から常駐しているとは限りません。
ひょっとすると、 本殿の御神体に常駐されているのかもしれませんが、一般の参拝客には分かりません。
風の吹く感覚からすると、本殿から風が吹いてくることが多いですが、別の方角から来ることもあります。
その吹く風の元になる地上の場所に常駐していらっしゃるのか、あるいは空からそこに一旦降臨されているのか?
神様の呼び出しが普段おこなわれていないお社で参拝した場合は、降臨してこられます。
普段呼び出されていないからこそ、タイムラグが発生します。
ですから、誰かが呼ばないと来られないと思ってよいでしょう。
ただ、呼ばれたからどこでもホイホイと
来られるわけでは無く、来やすい場所と、来にくい場所があるようです。
その来やすい場所の一例が、清浄な空間です。
「神様に呼ばれる」のはそうそう無くて
基本的には「神様を呼ぶ」
つまり、神様が私に会いたがって呼び出すのでは無く、私が神様に会いたいと、こちらから会いに行くことになります。
おそらく、この
「呼ばれないといけない神社」
「神様に呼ばれる」
をよく見聞きするのは
「神様が私のことを好きだから(興味をもったり評価をしているから)神社に参拝しているのだ」
というスタンスを取りたいし、周りにもそうだと認めさせたいのだろうと推測します。
そういうことはまず無いです。
あとあと考えて
「そういえば、あれはひょっとして呼ばれていたのかしら?」
と思うことはあるかもしれませんね。
基本的に
「私が神様のことを好きだから(興味関心があるから)神社に参拝している」
のです。
そして時にお役目等をいただくわけですね。
もっとも本当の本当は、神様が私のことを好きで神様が私のことを呼び出しているのかもしれません。
でもそれって相手の思っていることですから、自分には分かりません。
他の人間の思っていることでもなかなか分からないのに、まして神様の思っていることなんて、なお分からない。
だったら、たしかにわかる自分の気持ちを見て自分の気持ちに従って行動している方が健全かと思います。
「自分軸」を立たせるってやつですね。
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