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ジャッジしないと悟りに至る

今回のテーマはスピリチュアル界隈で、よくおすすめされる

「ジャッジしない」について。

「ジャッジしない」
judge: 裁く、判決・判断を下す

これをするな、ですから、「裁かない」こと。

物事の良い悪いを判断したり、決めつけないしないことです。

ジャッジすることは、けっこう「呪い」に近い行為です。

他人をジャッジすれば、他人の考えや行動範囲を閉じ込められるし、自分で自分をジャッジすれば、自分を閉じ込めます。

結果、閉じ込められた人は苦しくなる。

苦しくて行き場が無くなれば呪術にかかった状態と同じになり、苦しさが極まると自ら死を選ぶ人も出てきかねません。

年代別にみると、若いうちは様子見をするため、ジャッジするよりも情報収集することに重きを置きます。なので20代前半まではそれほど人や物事をジャッジしません。

しかし年齢を重ねるほど、人は割と簡単に“こういうことでしょ”と人や物事をジャッジしがちです。

なので、若いうちは他人にジャッジされがちなことへの対抗策が大事。つまり、「他人からジャッジされる=呪いをかけられる」ことへの対策です。

そして年を重ねるほど、人や物事をなるべくジャッジしない習慣をつけるのが大事です。

ジャッジのポイントは、否定しないだけでなく肯定もしない。

「ジャッジ=否定」ととられがちですが、「肯定もジャッジ」です。

それダメだよ、わからない、それは間違い、も言わないけど、

それ良いよ、わかる、それは正しい、も言わない。

もちろん簡単に判断できることも沢山ありますけどね😆

(例:フランスの首都はパリだと言われたら即肯定するし、ロンドンだと言われたら即否定します)

ただ、真偽不明なことは、憶測でジャッジせず、情報収集に集中します。

そうすると、話がより先へ進み、考えがより深くなります。

話は否定しても肯定しても、そこで話は終わります。

しかし、否定も肯定もしないと、議論が進んで

結果、「あ〜〜〜、そういうことか〜〜〜〜〜〜」と”悟り”に至りやすくなります。

会話でいえば、「ほうほう」と話を聞き続けるだけでいいし、

自分単独でいえば、とりあえず淡々とやり続ければいいです。

でも別のことをやりたくなればやればいいし、その時にいちいち自分への言い聞かせは要らないのです。

「私のやっていることは正しいんだ」と自分に言い聞かせる必要はないし、他人を説得する必要もない。

ただやればよくて。そんなの実際にやってみなけりゃ分からない話です。

分からない話を絶対正しいとか、絶対間違っているとかジャッジするのは本来不可能。

でもやっていく内に確信も生まれてきます。特定の物事に対して”悟る”わけです。

50ー60年生きたとして、3つ、4つ悟ることがあれば、それで「あの世への成果」としては十分に思います。

p.s.
2つ、3つでもいいです😆

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